「伝える」ことをカガクしたい

2023.09.01
藤谷 哲

はじめまして。今年度新任の教員、藤谷哲(ふじたにさとる)と申します。このたびご縁があり、玉川大学に迎え入れて頂きました。通学課程よりもずっと多人数の方々の学修に関わることとなる通信教育課程は、非常勤講師だったこれまでは関わりがなく、今年度が初めてとなります。どうぞよろしくお願いします。

いわゆる「インバウンド」、外国人観光客の人波が都心に帰ってきました。そんな方々を迎えるためのプロフェッショナルのひとつに通訳案内業があります。資格名でもある「全国通訳案内士」の方のお話しを伺うと、全国通訳案内士によるツアーガイド帯同を求める外国人観光客は、いわゆる「上っ面」ではない、日本の奥深さを知りたいと求めているのだそうです。たとえば、誰でも行く京都は、英語で“touristy”だと表現するとのこと。そしてそんな客は、現地をよくわかる人(手引き)がいるところで価値を知りたい、“background”をしりたい、一般人と触れ合いたい、等と望む、知識・教養・素養のある人だという印象を受けるとのことです。

ところで、外国人観光客とあなたが話をするとしましょう。どんな話だったら、できますか。全国通訳案内士の方々は、帯同中に出くわしそうな実に多彩な場面に準備を怠りませんが、そこまでではないあなたができること、話せる話題は、何ですか。
このとき、観光バスガイドさんが話しそうなことを必死に準備しても、恐らく無理が生じ、なかなか会心の結果は出ません。一方、あなたが日常よく見ていることや経験していること、また、日本在住者なら当たり前の事象であれば、日本語、あるいは外国語で、あなたは話ができるかもしれません。そしてそれが外国人観光客にとり驚くべきことであれば、伝えることが有意義ですし、伝えられると“not touristy”。楽しいです。

ではここで、頭の中での実習のようなことをしてみましょう。もし読者のあなたが都心部で仕事に就いておられるなら、平日朝の山手線で日常的に見かけることができる、次のような場面を想像することは、恐らくできますね。

――朝、あなたが座っていた山手線外回り。品川駅から、現地深夜発・東京朝着の米国便で羽田空港に降り立ち、電車で最初のホテルに向かおうとする、あなたと同年齢くらいの観光客ご夫婦の姿が。連れだった子どもと乗ってきて、ご夫婦はあなたの隣席に座り、子どもがその前に立ちました。車内混雑するものの、ご夫婦は座れてホッと一息。
同じく品川駅から、小学一年生と思しき制服姿の児童が独りで乗車。あなたやご夫婦からやや離れた位置で、手すりを握って立っています。
すると、明らかに独りで通学しているその小1の姿に、品川発車直後からご夫婦の目が、釘付け。「なんだアレは!?」と言わんばかりの衝撃を受け、見ておいでです。――

なにが「衝撃」なのかが分からない方もおられるかもしれません。実は米国のいくつかの地域では、13歳未満の子どもの保護者が子どもを独りにすることが触法行為、です。児童誘拐防止などが目的です。かの有名な米国の黄色のスクールバスは、児童の自宅前に横付けされ、保護者は、自宅玄関から児童を連れてバスまで来て乗せます。幼稚園送迎バスなら、日本も同じ光景があります。しかし米国であれば小学校卒業まで同じ、という感じです。

さて、ここでその小1に驚くご様子のご夫婦に、隣席のあなたが“解説”をしてみませんか。日本語または英語で、あなたなら何と言いますか。演劇台本のつもりで、思いつく話し言葉の文を書き出してみましょう。

…で、ここまでが何か教育と関係あるの?と思われたかもしれません。私の視点を説明させて下さい。
児童に発言・発表を促し、話して皆に伝える活動を取り入れる機会が近年、学校現場で増えています。調べたことの発表などの機会はもちろん有意義ですが、知ったばかりであることだと、自信のなさから伝えることがうまくいかないかもしれません。学校での機会がこういう状況ばかりになってはいないか?というわけです。
逆に、児童本人が十分知っていること・親しんでいることを伝える学習の題材にできないか。全国通訳案内士や科学コミュニケーターといった伝えることの職業人は、対象の事象を十分理解し更に相手を慮って伝えるためにどうしているかを児童用資料にしたい。そんな思いが、私にはあります。

――さて、できましたか。では僭越ながら、わたしはこんな「台本」にしました。
『あの子に関心があるんですか?』
『あの子はいま、独りです。』
『この路線の別の駅にある、小学校に登校中です。』
『あのような子が小学校に登校するとき、独りで登校することは、ここではごく当たり前のことです。』
『現在の東京で、あの子の安全を心配する必要は、ほぼありません。』
『私やあなたのように、大人の乗客は、あの子を見守っています。そっと、ね。』
『あの子は1年生です。左の肩に黄色いワッペンがありますね。あれは1年生の目印です。』

――あなたがもうすこし「事情通」ならば。
『あの黄色いワッペンは、交通事故傷害保険の証書の代わりです。日本の企業の慈善事業で、全国の1年生は、学校からアレがもらえます。』
『どこで降りる予定ですか?』『このあと通る新宿駅と渋谷駅は、1日に300万人が利用します。もちろん、世界の1位と2位です。あの子も降りるかも。』

――そして、こんなセリフが言えたら、カッコイイですね。
『あの子どもが独りで登校できる東京は、我々の誇りです。』

書き出されたことが、あなたが自信を持って話せて伝えられることならば、それは全部、正解、です。
そしてあなたが勇気をもって伝えたら、そのご夫婦は来日初日から楽しさ満点。旅はまさに好発進。ご夫婦は子どもと、『あの子を見て。いま独りで登校中なんだって! こちらの方が教えて下さったよ。』『えーっ、びっくり! すごい!』と盛り上がれます。
あなたのお蔭で、日本に好印象を抱いてご帰国なさる方がまた、増えますね。

プロフィール

  • 教育学部教育学科 教授
  • 東京工業大学大学院 博士(工学)
  • 専門は科学教育、教育工学、教科教育学
  • 高校・中学講師、短大・大学講師、日本科学未来館科学コミュニケーター、大学准教授を経て、現職。