アンドラゴジーへのいざない-学習経験をふり返る-

2014.02.05
中村 香

「教育」とは、元来、「子どもの教育」と捉えられてきた。それは、「教育学」を意味するペダゴジー(pedagogy)という言葉からも明らかである。ペダゴジーとは、ギリシャ語で子どもを意味するpaid と、指導を意味するagogus の合成語であり、子どもを指導する技や科学が教育学ということになる。

ペダゴジーに対応する概念として提唱されたのがアンドラゴジー(andragogy)である。アンドラゴジーとは、1960 年代に、米国の成人教育学者ノールズ(Knowles、 M. S.)によって体系化された成人学習論・学習支援論である。ノールズは、成人教育に携わる中で、自己概念・経験・学習へのレディネス・学習への方向づけという4 点において、成人には子どもとは異なる学習特性があるのではないかという仮説を持つようになった。その仮説に基づき提唱されたのが、アンドラゴジーである。本稿では、仮説の1 つである「経験」について考察することにより、アンドラゴジーの観点について紹介したい。

アンドラゴジーでは、経験が学習資源になると考えられているが、それはどういうことか。育児を例に考えてみよう。出産や育児については、初等・中等教育の「家庭科」や「保健体育」で学ぶことになっている。だが、20 歳前後の通学課程の学生に、例えば離乳食の開始時期について尋ねても、滅多に答えられない。育児経験が無いために、学習したことが記憶に残らないのである。ところが、育児経験者を対象とする講座で同じことを尋ねたところ、育児書に書かれた時期・自分や知人の経験・育児書の課題・アレルギーの問題・核家族の問題など、さまざまな意見が次々と出てきた。唯一の正解があるわけではない場合には、互いの経験から学び合うこともできるのである。ゆえにアンドラゴジーでは、学習者の経験を当人や他者の学習資源として活かすために、経験を共有する対話やグループワークなどの体験的な学習が取り入れられている。

一方で、「成人は多くの固定した思考の習癖やパターンを有しており、この点ではあまり開放的ではない」(ノールズ、2002 年、50頁、*)という問題もある。例えば、自ら考えるよりも、教わったことを試験のために覚える学習パターン、つまり受動的な学習に慣れている場合には、その学習経験に基づいた学習観や習癖が価値づき・固定化され、成人であっても自己決定的に学習できるとは限らないし、教育者になった場合には、教え込みをしやすい。また、成人は経験を否定されると、自分自身を否定されたように感じるので、経験の蓄積や解釈の仕方によって硬直化した考え方・価値観などを「解凍」(同、51 頁)する経験を促すのが、成人の学習支援者の役割であると言われている。

通信教育部では、多くの成人学習者が学んでいる。学生のみならず教員も、自らの学習経験をふり返ると、学習や教育の地平が広がるのではないだろうか。

  • マルカム・ノールズ『成人教育の現代的実践』(堀薫夫・三輪建二監訳)鳳書房、2002 年。

プロフィール

  • 通信教育部 教育学部教育学科 准教授
  • お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科  博士(学術)
  • 専門は、生涯学習論、組織学習論、成人学習論、社会教育学。
  • 多国籍企業に約10年間勤めた後、留学等を経て、現職。
  • 主な著訳書は、『生涯学習のイノベーション』(編著、玉川大学出版部、2013年)『生涯学習社会の展開』(編著、玉川大学出版部、2012年)、『学校・家庭・地域の連携と社会教育』(共著、東洋館出版社、2011年)、『学習する組織とは何か』(単著、鳳書房、2009年)、『学びあうコミュニティを培う』(共著、東洋館出版社、2009年)、『成人女性の学習』(共訳、鳳書房、2009年)など。
  • 学会活動:日本教育学会、日本社会教育学会、日本学習社会学会、日本産業教育学会、日本キャリアデザイン学会 会員