三浦按針の日本人妻

2016.05.01
森 良和

このところ三浦按針(本名ウィリアム・アダムズ,以下「按針」)を追っている。2 年前に公刊した拙著『リーフデ号の人びと:忘れ去られた船員たち』(学文社)では,按針をほとんど扱っていないので,その補完とするつもりだ。
リーフデ号とは西暦1600 年春,関ヶ原の戦いの半年前に豊後臼杵に来航したオランダ船である。出航時には110 人の乗船員がいたが,艱難辛苦を極めた2 年の航海で船員数は激減し,生存者は日本到着時に20 数人,その後14 人に減ってしまった。その生き残り船員の中でも最も有名なのがイギリス人按針で,時の最高権力者徳川家康に重用された。だが母国に残してきた妻子たちを案じ,望郷の念抑えがたく,何度か家康に帰国を願い出ている。しかし按針の力量を高く評価した家康は帰国を認めず,代わりに江戸の住居と三浦半島逸見の領地を与えた。日本人の妻が紹介されたのもこのころと思われる。
ところが按針のこの日本人妻には謎が多い。なかでも出自と名前が不明であることは長らく歴史家を困惑させている。明治期のある歴史書には妻が「馬込勘解由の娘」とあるが,日本の古文書にもイギリス・オランダ両商館の記録にも裏付けはない。また妻は何度かイギリス商館長と会っており,その日記にも登場するが,奇妙にも名が記されてない。按針との間にもうけた二子や,妹の名前はわかっているのだが……。にもかかわらずネット上では妻の名を「おゆき」としたものが多い。これはどういうことであろうか。
幕末の日英修好通商条約締結の直後,イギリスでは早くも按針を主人公とした小説が出され,日本でも明治期の日英同盟締結直後に同様の歌舞伎が上演されている。これらに登場する妻の名は前者では「メアリ」,後者では「通(つう)」となっている。それ以後1970 年までに日英両国で発刊された按針関係の創作や評伝を10 点ほど検証してみると,妻の名は上記のほか「ビクニ」「妙(たえ)」「クリセンスマム(菊)」「マゴメ・カゲユ」などとあり,「おゆき」は出てこない。
「おゆき」の初出は石一郎氏の小説『海のサムライ』(1973)であるが,私見ではこの名が伊東市の郷土史家牧野正氏の『青い目のサムライ三浦按針』(1980)に用いられ,さらに同書が英訳されて欧米の研究者に引用されたことが「おゆき」の拡散につながったと考える。事実それ以後の按針関連の洋書はほとんどOyuki を採用している。
では,石氏はなぜ「おゆき」としたのか。都内在住のご長男によれば,家族や縁戚関係に心当たりはないとのこと。一方,石氏は小泉八雲(本名ラフカディオ・ハーン)の生涯も小説化し,そこでは民話「雪女」の由来が説明されている。あくまで仮説であるが,按針の日本人妻「おゆき」は「雪女」が出所ではないか。とすれば,日本に骨を埋めた二人のイギリス人,三浦按針と小泉八雲は意外なところで結びつけられたことになる。
結論の正否はともかく,こうした追究には独特のワクワク感を覚える。これだから歴史の探究はやめられない。

プロフィール

  • 通信教育学部 教育学部教育学科 教授
  • 早稲田大学 博士課程 文学研究科 史学 単位取得満期退学。文学修士。
  • 専門は、十六・十七世紀の諸相、日欧交渉史、大学の歴史、比較文化文明論など。
  • 玉川大学高等部教諭を経て現職。
  • 著書:『歴史のなかの子どもたち』(学文社)、『ジョン・ハーヴァードの時代史』(学文社)、『他者のロゴスとパトス』(共著、玉川大学出版部)、『リーフデ号の人びと』(学文社)などがある。
  • 日本西洋史学会、比較文明学会、大学史研究会、早稲田大学史学会 会員