「言葉にして語る」ことと「話を聴く」こと

2017.01.11
原田 眞理

Freud の使用していたカウチ
(London のFreud Museum で購入したポストカード)

毎年秋学期に教育学研究科において「カウンセリング研究」という授業を担当している。ここでは私自身も初心にかえり,カウンセリングについて学生たちと勉強をしている。カウンセリングという用語は非常に広義であり,さまざまな形態を含む。これに対して心理療法(psycho therapy)という用語もあり,こちらは狭義になり,学派によりアプローチ方法は異なるが,こころの整理や気づきなどを生じるべくセラピューティックなかかわりをする。私の専門は精神分析であり,カウチに横になってもらい,頭に浮かんだことを話してもらうという自由連想法を用いる。写真は精神分析の創始者であるS.Freud が使用していたカウチの写真である。いずれにしても,そこでは主として言語が媒体になってくる。

日本語臨床では言葉の両義性を大切に考え,たとえば「みにくい」は「見にくい」と「醜い」があり,「はなす」という言葉には「話す」と「離す(放す)」の両方の意味があると考える。すなわち人に「はなす」ことは,言葉を語るということと同時に,自分の語る言葉にのせてさまざまな感情を自分の身から離す(放す)という意味もあると考えるのである。一般的に「話したらこころが軽くなった」と表現するのはここに由来しているであろう。私たちは,こころに生じたもやもやしたものやこころの傷を消すことはできないが,「はなす」ことによって,言葉にして語ること,語り直すこと,ができ,それに伴いそのもやもやしたものやこころの傷は変化していくのである。
一方,教育相談の授業などをしていると,必ず受ける質問がある。「人の話ばかり聴いて自分は辛くなっていかないのですか?」などである。人の話を聴くと聴き手側にも影響するのかという質問であろう。それは影響するというのが答えであるが,その程度は人による。聴き手は話し手のその感情を受け止めるため,こころが重くなったりすることもあるが,臨床心理士などの資格を持つ人はトレーニングを受け,ある意味で境界線を引くことができるようになる。河合隼雄先生のたくさんの著書や講演で,カウンセラーについて,クライエントの人生を代わりに生きることはできないという謙虚さを述べておられるが,これが私の中では大きな軸の一つとなっている。
東日本大震災の支援を続けて6 年目であるが,被災者の方々のお話に耳を傾けながら,亡くなった方を生き返らせることもできず,失った家を元に戻すこともできず,ただ話を聴くだけの自分に恐ろしい無力感を感じた。しかしこの無力感は被災者の方々が強く感じている無力感でもあり,私がそれを体験することが荷を共に背負うことになるのだと考える。そして,私自身が被災をしていないからこそ,こころに深く傷を負った方々は安心して言葉にすることができるのであり,私自身はその方々を見守りながら共に荷を背負うことができるのだと考える。

【参考文献】
河合隼雄著『カウンセリング入門』創元社
河合隼雄著『こころの処方箋』新潮文庫

プロフィール

  • 通信教育部 教育学部教育学科 教授
  • 東京大学大学院医学系研究科(心身医学講座) 博士(保健学)
    日本臨床心理士資格認定協会臨床心理士
    日本精神分析学会認定心理療法士
    私立中高スクールカウンセラー
  • 専門は精神分析、臨床心理学、教育相談、医療心理学。また、東京臨床心理士会3・11震災支援プロジェクト委員として、特に福島からの在京避難者支援を行っている。
  • 東京大学医学部付属病院分院心療内科、虎の門病院心理療法室、聖心女子大学学生部学生相談室主任カウンセラーなどを経て現職。
  • 著書:『子どものこころ―教室や子育てに役立つカウンセリングの考え方』『学級経営論』『女子大生がカウンセリングを求めるとき』『カウンセラーのためのガイダンス』など(含共著)
  • 学会活動:日本心身医学会代議員、日本精神分析学会・日本心理臨床学会、日本教育心理学会 会員