温故知新

2020.02.18
樋口 雅夫

学部・院生時代、私の研究テーマは、初期社会科教科書研究であった。終戦直後、GHQの指令により修身、日本歴史、地理の授業が停止され、替わってジョン・デューイのプラグマティズムの影響を受けた「ヴァージニア・プラン」を基調とした社会科が日本に導入され、1947年9月から全国の小・中学校で授業が開始された、その当時の教科書研究である。

社会科成立当初の小学校教科書の分析をしたい、と申し出た私に対し、恩師は、教科書よりも先に、吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』(新潮社、1937年発行)を読むように命じられた。今でこそ、漫画化されてベストセラーとなっているが、当時でさえ初版から50年以上が過ぎて絶版となっており、ほぼ歴史の中に埋もれてしまっていた本であった。

恩師の指示なので、ともかく読んでみようと思い、大学図書館から借りて読み進めた。主人公は15歳の少年「コペル君」。日々の経験や考えたことを「おじさん」との交換ノートに綴り、精神的に成長していく、という展開は、人間としての善き生き方を問う傑作であると感じられたが、一方で、この本と社会科教科書は何が関係しているのかはさっぱり理解できなかった。しかし、次いで1947年5月に発表された最初の学習指導要領(試案)を読み、同年9月に文部省の著作として発行された小学校5年生用教科書『村の子ども』を読むにつれ、最初の学習指導要領及び教科書は、『君たちはどう生きるか』を踏まえて作成されているとしか思えない、類似に気付くこととなる。

小学校6年生の副教材(1948年)
小学校6年生の書いたノート(1950年)

初期社会科の教科書は、①子どもと同年齢の主人公を登場させ、その主人公の経験したことや考えたことを中心にストーリーを展開させたり、②主人公の家族などを登場させて、その家族の話を盛り込んだり、③主人公を複数化し、班で調査したり研究したりして結果を示す、といった形式がとられていた。中でも、『村の子ども』は、主人公の信一君が、病気で飲んだ牛乳をもとに、その牛乳が酪農家の三郎さんとつながり、運送屋さんとつながり、その他様々な人々とつながっていることを発見し、「私たちは、この社会の中でちょうど網の目のようになって生きている」ことに気付く過程を、手紙の交換、という形で綴っていた*。まさに、『君たちはどう生きるか』でコペル君が粉ミルクの生産・流通・消費に関して、「人間分子の関係、網の目の法則」と名付けた名場面のオマージュであり、日本の社会科は、アメリカ社会科をただ直訳しただけのものではないことに気付いた瞬間だった。

戦後間もない1946年3月、玉川学園がアメリカ教育使節団の訪問を受けた際、学園にはすでに社会科研究部が設置されていた。創立時から学園が掲げる教育理念を活かし、「社会科」という教科をどのように創るか、当時、自由闊達な議論が行われたことは想像に難くない。過去に思いを馳せ、未来を拓く。研究の醍醐味である。

  • 片上宗二『初期社会科成立史研究』風間書房、1993年、813頁。

プロフィール

  • 所属:教育学部 教育学科
  • 役職:教授
  • 最終学歴:広島大学大学院教育学研究科博士課程前期修了
  • 専門:公民教育・社会科教育
  • 職歴:岡山県立高等学校教諭、広島大学附属福山中・高等学校教諭、広島経済大学経済学部講師、国立教育政策研究所教育課程研究センター教育課程調査官、文部科学省初等中等教育局教科調査官等を経て現職
  • 著書:『高等学校学習指導要領解説 公民編』(共著、東京書籍、2019年)、『中学校学習指導要領解説 社会編』(共著、東洋館出版社、2018年)、『新・社会科授業づくりハンドブック 小学校編』(共著、明治図書、2015年)、『テキストブック公民教育』(共著、第一学習社、2013年)、『新社会科教育学ハンドブック』(共著、明治図書、2012年)、『新・教育原理』(共著、ミネルヴァ書房、2006年)他
  • 学会活動:全国社会科教育学会、日本社会科教育学会(評議員)、中国四国教育学会、社会系教科教育学会、日本公民教育学会(理事)、社会認識教育学会、日本カリキュラム学会、日本教育方法学会、日本グローバル教育学会、法と教育学会(理事)、日本消費者教育学会(関東支部役員)