学び方の多様性

2020.04.03
魚崎 祐子

先日、ある小学校の教室で九九の学習をしている様子を見ました。その教室では、1の段から順番に、上がり九九や下がり九九、そしてランダムに、それぞれ10秒以内で言えると次の段に進んでいくという方法を取り入れていました。子どもたちは早口言葉さながらに唱えますが、舌が回らずに言い間違えるとタイムオーバーとなってしまい、合格がもらえません。また、別の学校でも同じく九九の学習をしている様子を見たことがあります。こちらは計算カードを使って練習していましたが、式の部分は口に出していませんでした。

どちらの進め方が良いのかはわかりませんし、やっていることが本質的に異なるわけでもないでしょう。ただ、式の部分を声に出すことにワーキングメモリーを取られてしまう子どももいれば、音の響きとともに覚えた方が覚えやすい子どももいると思われます。そして「この教室ではこのやり方で九九を学習していく(そしてその方法でできるかどうかで評価する)」ということが決められると、他の選択肢が用意されることは多くはないでしょう。

同様のことは、一斉に同じ方法で同じ内容を身につけようとする場面の多い教室のあちこちで起こっているのではないでしょうか。情報の入力ひとつをとってみても、得意な方法は人によって異なるとされています。視覚を用いて入力するのが得意な人、聴覚を用いて入力するのが得意な人、言語情報を用いて入力するのが得意な人、イラストや画像を用いて入力するのが得意な人……などといったように得手不得手があり、それは友人同士や親子間でも人それぞれです。

例えば私は学生時代、テスト前になると漢字にしろ、英語のスペルにしろ、歴史の人物名にしろ、とにかく書くことで覚えようとしていました。あるいは声に出しながら覚えていたこともあったように思います。ただ、手で書くにしろ、声に出すにしろ、他の人が見たら勉強しているように見えていたのではないでしょうか。

ところが息子は視覚認知の力が強いのか、眺めて覚えるのが好みのようです。手を動かすでもなく、声に出すでもなく教科書やノートを眺めている様子は、側から見ているとじっと眺めているのかぼんやり眺めているのかすら判断しにくいことがあります。つい「ぼーっと眺めていないで手を動かしなさい!」と言いたくなるのですが、人によって覚え方には向き不向きがあるのだと自分に言い聞かせ、ぐっとこらえています。(少なくともそのつもりです。)

クロンバック(Cronbach, L.J.)は適性処遇交互作用という概念を提唱しましたが、個々の持つ認知特性も適性の1つだと言えるでしょう。自分の認知特性の型と教師のとる教授方法とがうまく合えば授業はわかりやすくなりますが、それが食い違うことによって理解しづらくなることもあり得ます。教師になる人は言語での入力を得意とする人が多いと言われており、ついつい何でも言語化する傾向があるようです。ですが、教室の中の子どもたちは必ずしもそうとは限りません。

知識を身につけたり、技能を獲得していったりする道筋は1つではありません。様々な学習のやり方を試しながら、自分の認知特性に合った学習方法を用いることができるようになると、あらゆる場面で応用できるでしょう。そのためには、授業の中でも様々な方法について試していく機会が必要なのではないでしょうか。そして中には、先述したように学習しているように見えないものの、本人には合った入力方法をとっていることがあるかもしれないということも把握しておく必要があるでしょう。

プロフィール

  • 教育学部教育学科 通信教育課程 准教授
  • 早稲田大学大学院人間科学研究科 博士後期課程修了
    博士(人間科学)
  • 専門は学習心理学、教育心理学
  • 早稲田大学助手などを経て現職。
  • 著書に『Dünyada Mentorluk Uygulamaları』(共著、Pegem Akademi Yayıncılık、2012年)、『テキスト読解場面における下線ひき行動に関する研究』(単著、風間書房、2016年)、『研究と実践をつなぐ教育研究』(共著、株式会社ERP、2017年)、主要論文に『配布資料の有無が授業中のノートテイキングおよび講義内容の説明に与える影響』(単著、日本教育工学会論文誌(39)、2016年)、『短期大学生のノートテイキングと講義内容の再生との関係−教育心理学の一講義を対象として−』(単著、日本教育会論文誌(38)、2014年)などがある。
  • 学会活動:日本教育工学会、日本教育心理学会、日本教授学習心理学会、日本発達心理学会 会員