筑後川大石堰五庄屋物語

2022.01.01
山口 意友

1

昔の道徳教材(小学校6年生用)を調べていたら「協同」と題する以下のような文章に出会ったので、そこで感じたことをエッセイ調にして記してみたいと思う。

まずはその道徳教材の要約。

協 同
 久留米〔現福岡県久留米市〕の東、筑後川の流れに沿う地方では、川よりも高所に田畑があるため、水を引くことが不便で作物が出来ず農民は貧しい暮らしをしていました。寛文3年〔1663年〕にこの地域の庄屋五人(栗林次兵衛・本松平右衛門・山下助左衛門・重富平左衛門・猪山作之丞)が、村々の貧困を救う方法はないかと考えた末、筑後川に大きな堰を設け掘割を作って水を引くより他はないと決しました。しかし大河である筑後川に堰を設けることは莫大な費用がかかる大工事であるため、財政難であった久留米藩(有馬藩)は彼らの申し出をなかなか認めようとはしません。そこで五人の庄屋達は費用は自分らの身代を潰してでも自分らで賄い、また工事が成就しなかった場合には自らの命をもって償うと血判することで久留米藩の許可を得ることに成功しました。この計画に賛同し協力しようとする他の庄屋達はいるものの、中には堰建設により洪水の恐れが生じるという理由で反対した庄屋も多々見られました。ついに大工事が始まりましたが農民達は「五人の庄屋を死なせてはいけない」と言って懸命に働き計画通り大きな堰が完成し、村々に筑後川の水が行き渡るようになりました。すると工事に反対していた庄屋達は、堰の水利にあずかりたいと願い出てきました。最初から五庄屋に賛同していた庄屋達は、彼らは工事に反対していたのだから我々の村に水が来るまでは差し控えさせるようにと申し立てました。が、五人の庄屋は「この工事はもともとこの地方のために起こしたことなのでその水利はできるだけ広く受けさせたい」と答え、反対していた庄屋の村々にも水を分け隔て無く与えるようにしました。
 この地域が収穫の多い豊かな土地になったのは、この五人の庄屋をはじめ村々が心を合わせ必死になって尽くしたおかげであります。我々の住む市町村は、昔から人々が協同一致して郷土のために力を尽くしたおかげで、今日のように開けてきたのです。協同の精神は、人々が市町村を成し、全体を繁栄させる基であります。

2

さて、この文章を読んでどう思われるだろうか。こんにちの日本人のほとんどは農業に従事しておらず、農林水産省の資料によれば農業従事者は全人口の1%を少し超えるくらいである。稲作に一度も関わったことのない多くの人は、梅雨によって田に水が満たされ田植えを迎え、それ以後は田の草取りなどをしておけば秋には稲穂がつき収穫の時期を迎えると単純に考えている方々も多いのではないかと思う。実は筆者もそのように考えていた。だがよくよく考えてみると稲作は水があってこそ可能なものであり、梅雨明けからの夏期には人工的な水の確保と管理が必要となる。こんにちでは、田のいたる所に溝渠(水路)が張り巡らされ文字通り「水田」状態が当たり前だが、川よりも高地にある田畑に水を確保するため先人がどれほど大きな苦労をしたのか、つくづくと考えさせられた。(大石堰の下流地域にある朝倉の三連水車は有名だが、これも水路から高い地域にある田畑へ水を引くための先人の知恵であることは言うまでもない。)

この話に興味を持った筆者はさっそく五庄屋について調べてみた。古い書物としては1931年(昭和6年)に出版された石井眞太郎編纂の『大石長野堰渠誌』がある。また、「筑後川中流4 堰の歴史に学ぶ-藩政時代における農業用水の開発-」、「筑後川大石長野堰の開削と生葉五庄屋」などの論文もネット上で見出すことができ、さらに帚木蓬生が五庄屋を題材にした『水神(上・下)』(新潮文庫)という小説を2012年(平成24年)に上梓している。

この書を読んでみると、工事を企画した五庄屋の姿だけでなく、低い川から水を得るため一日中、打桶(うちおけ 二人がかりで桶を川に入れて水をくみ上げること)をする農民の姿、最初は反対していたが後に頭を下げて許しを請う庄屋の姿、五庄屋の金策に協力する両替商、五人の庄屋を死なせてはいけないと懸命に働く農夫の姿などが描かれている。そして堰が完成し初めての取水で事故が起き死者が出たことにより五庄屋は処刑される危機に瀕するが、五庄屋に責めが及ばぬように一命と引換えに嘆願書を残して切腹する堰渠担当の下級武士の姿が描かれる。

筆者は現地に行って直接この目で見てみたが、建設機器のない当時、この大河にわずか3ヶ月で堰を作ったことに驚きを隠せなかった。(農民が人夫となって工事を行うため、農閑期である1月から3月の間に工事を起工・完了させる必要があったのである。)

写真1 当時の大石堰。左側に取水口が見える(石井眞太郎編『大石長野堰渠誌』昭和6年より転載)

3

大石堰の溝渠沿いにあたる江南小学校(福岡県うきは市)には校内に「五庄屋資料館」があり、田植えを控えた5月2日には小学校の体育館で「五庄屋追遠会」が開かれるという。また校歌は五庄屋の偉業が歌詞となっており、それを読むと五庄屋の決死の覚悟が手に取るように分かる。

  • 一 
    寛文初年の頃とかや いでこの民を救わんと
    慨然(がいぜん)死をもて誓いたる この地に五人の庄屋あり
  • 二 
    夏梅 清宗 菅(すげ)高田及び今竹 五か村の
    庄屋はここに差し出(いだ)す 水道工事の請願書
  • 三 
    水もし引くに来(きた)らずば 皆一同にはりつけの
    刑罰その身に受くべしと 壮(さか)んなるかなこの事や
  • 四 
    至誠は人を動かして 許しの下る村口に
    早たてらるる仕置(しおき)台 見るに励まぬ人ぞなき
  • 五 
    矢よりもはやき筑後川 さかまく波とたたかいて
    岩切りうがち水をせく その辛(しん)その苦そもいかに
  • 六 
    百難万艱(ばんかん)排し得て 開きし長野と大石の
    井堰(いぜき)に命を救わるる 田の面(も)は二千百余町
  • 七 
    千古の偉業功成りて 下りし賞与の数々も
    五人は辞して皆受けず 誰かは高義に泣かざらん
  • 八 
    尊き歴史は我が村の 無窮のほまれ散らぬ花
    みたまは永(なが)く祀(まつ)られて 守るか民の幸いを

4

ここで我々は3つの事を学ぶことができるのではないかと思う。一つは言うまでもなく「協同」というタイトルが示す通り、農民思いの五庄屋、五庄屋思いの農民らが将来の村の繁栄のために艱難辛苦を乗り越えて協同する姿である。次に、堰建設に反対していた村々にも水利を分け隔てなく与えた五庄屋の優しさである。本来であれば反対する村々への水利は拒絶するか、あるいは後回しにする方法もあるにもかかわらず彼らを許したことは、当時この道徳教材で学んだ児童達に寛恕の精神を強く示したこととなっただろう。

そして三つ目は「昔の道徳教材」がこうした協同による偉業を子孫に伝えていることである。この「昔の道徳教材」とは、実は、『第四期国定修身教科書』(巻六第十)のことである。この第四期修身教科書は、戦後、「ファシズム的教科書」(註)とネガティブなラベリングをされた戦前の道徳教科書である(使用期間、昭和9年~16年)。終戦直後の四大指令によって「修身教科書」は徹底的に排除されてしまいその影響は現代に至るも続いているが、戦前の修身教科書をやみくもに全否定するのではなく、そこから取捨選択してこんにちの道徳教育に活かすことのできる、こうした内容を積極的に見出してみることも必要であり、それが「学習指導要領」の示す伝統と文化の尊重に繋がるのではないだろうか。五庄屋による江戸時代の偉業が「修身教科書」によって大正・昭和の子供達に伝えられ、さらにその地に住む現代の子供達にも脈々と伝えられ、そして帚木蓬生の『水神』において我々にも伝えられたという事実は、伝統と文化の尊重による先人への敬いと感謝に繋がっていると言えるだろう。

なお、五庄屋を題材とした『水神』は2010年度新田次郎文学賞を受賞した作品で涙無しには読むことのできない物語ではあるが、非常にさわやかな読後感をもたらしてくれる書でもあるので、是非一読をお勧めしたい。

註.唐澤富太郎『図説 近代百年の教育』日本図書センター p.144、中村紀久二『『複刻国定修身教科書』解説・索引』大空社p.60 参照

写真2 大石堰横の大石水神社内にて
(2021年11月6日筆者撮影)
写真3 大石堰横の大石水神社内にて
(2021年11月6日筆者撮影)
写真4 大石堰横の大石水神社内にて(2021年11月6日筆者撮影)
写真5 現在の大石堰
(2021年11月6日筆者撮影)
写真6 現在の大石堰取水口
(2021年11月6日筆者撮影)
プロフィール
  • 教育学部教育学科 通信教育課程 教授
  • 九州大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。文学修士。
  • 専門は、道徳哲学、教育哲学、並びに応用倫理。
  • 福岡の純真短期大学を経て現職。
  • 著書:『〔改訂版〕教育の原理とは何か-日本の教育理念を問う-』(ナカニシヤ出版 2017)、「『反道徳」教育論-「キレイゴト」が子供と教師をダメにする-』(PHP研究所 2007)、『正義を疑え!』(筑摩書房 2002)、『平等主義は正義にあらず』(葦書房 1998)、『女子大生のための倫理学読本』(同 1993)。共著に『教職概論』(玉川大学出版部 2012)、『よく生き、よく死ぬ、ための生命倫理学』(ナカニシヤ出版 2009)、『情報とメディアの倫理』(同 2008)、『男と女の倫理学』(同 2005)、『生と死の倫理学』(同 2002)、『幸福の薬を飲みますか?』(同 1996 )。共訳に『環境の倫理』(九州大学出版会1999)、『健康の倫理』(同1996)。
  • 学会活動:日本倫理学会・日本教育学会・日本道徳教育学会・西日本哲学会・九州大学哲学会