小原國芳学長と数学教育学者小倉金之助博士

2022.09.01
守屋 誠司

 数学教育学者の必読書に1924年(大正13年)にイデア書院から発行された小倉金之助著の『数学教育の根本問題』がある。この本で小倉は、20世紀初頭から諸外国で進められていた数学教育の改造運動や教育心理学の視点から、当時の日本の中等教育における数学教育の問題を分析・指摘し新たな方向性を示した。それは、代数学と幾何学などに完全に分けられた孤立(分科)主義、難問解法による形式陶冶主義を批判し、それに代わって、科学的精神の開発を目的とした融合主義、実質陶冶を取り入れた実用数学を提案している。序文には「教育家らしくない態度、数学者らしくない教育論、-本当に人間的な数学教育論、これが私の立場である。」(小倉(1924),2-3)とし、本文では、「人は伝修的知識としての数学を学ぶのではない、「人」として生きんが為めの数学を学ぶのである。私の数学教育論はこの立場にたつ。」(小倉(1924),156-157)と言い切っている。この立場で、中学校数学教授要目(現在の学習指導要領に相当)も提案した。とにかく、数学教育界の大先輩・大重鎮で、日本の数学教育学はこの書物から始まったと言って良い。
 2020年に古書の数学教育雑誌等を大量購入した際、「前田隆一・森規矩男・加藤重義編『算数と数学2 小倉金之助先生追悼記念号1963 No.133』教育総合研究所,1963.2」を見つけた。追悼文の先頭は、「小倉金之助先生に感謝する 小原国芳」であったため驚いた。「小原学長と小倉は関係が深かったのか?」と疑問に思い読み始めると、『数学教育の根本問題』は、小原が小倉に数学教育に関する本の執筆を依頼して、出版された本であることが分かった。なお、玉川大学HPの「出版部の誕生」1)によると、イデア書院は小原が1922年に設立し、その後、1929年設立の玉川学園出版部がイデア書院を吸収して、現在の玉川大学出版部に続いている。
 この追悼記事には、小原が執筆を依頼したところ、数学教育について勉強するから3年待ってほしいと言われたことや、玉川学園に講演に来ていて、文学的匂いの講演であったこと、教育学者長田新との微妙な関係、さらに、児童百科大辞典の数学編の編集・執筆をしていたことが書かれている。
 教育哲学者小原國芳と数学教育学小倉金之助は、『数学教育の根本問題』の出版から、深い関係を持っていたことが分かり、その後に小原が数学教育について語る際には、小倉の思想が反映されているように思われる。
 『数学教育の根本問題』は、1973年に玉川大学出版部から再販されているので、これの古本を、インターネットなどで手に入れると良いであろう。なお、本稿の詳細は守屋(2021)2)である。

プロフィール

  • 教育学部教育学科 通信教育課程 教授
  • 東北大学博士課程情報科学研究科修了。博士(情報科学)。
  • 山梨県の公立小・中学校の教諭を勤めた後に、兵庫女子短期大学専任講師、山形大学助教授、京都教育大学教授を歴任。この間に山形県立保健医療大学、福島大学、大阪教育大学等の非常勤講師を務めた。
  • 京都教育大学名誉教授。山梨大学非常勤講師。
  • 専門は数学教育学で、教材開発や教育方法、数学的認知、比較数学教育、数学の文化史を研究する。
  • 数学教育学会執行理事(会長代理、事務局長)。
  • 著書:『小学校指導法 算数』(玉川大学)編著・他多数。