誤解に注意!「生きる力」

2024.01.01
山口 意友

学習指導要領の改訂に際して、文科省は「生きる力」に関する新たなリーフレットを出したが、教職を志す人たちにとってこれは極めて誤解を招きやすい内容のように思われる。それゆえ本稿では初学者が「生きる力」を正しく理解するためにも、そのリーフレットの内容を精査して、どこが誤解されやすいのかを明らかにしてみたい。

「文科省が示す“生きる力”とは何ですか?」と問われたらどう答えられるだろうか。平成10年(1998年)の学習指導要領に「生きる力をはぐくむ」という語がはじめて使われて以来、「生きる力」は学校教育上のキーワードとなっているのは周知のことである。だが、文科省が示す「生きる力」の定義を明確に言うことのできる人はあまりいないように思われる。さて先の問いを出されたら、初学者はまずは「生きる力」という語でネット検索をかけて調べてみるに違いない。そうすると検索結果の筆頭に文科省の「学習指導要領「生きる力」」がヒットし、それをクリックすると次のような画像が現れてくる。

そしてその頁の下では「ポイントがわかるリーフレット」(下図)へとリンクされている。

このリーフレットに記されている文言を見てどう思われるだろうか。恐らく初学者は、「なるほど、生きる力とは ①知識及び技能、②思考力、判断力、表現力、③学びに向かう力、人間性、これら三つの力をバランスよく育むことだ」と結論づけることになるだろう。事実、このような形で「生きる力」を解説した書籍やホームページも散見される。

だが、「生きる力」をこの3点として理解することは誤りである。このことを今から明らかにしたい。リーフレットの2頁目を見ると次の内容が示される。(赤枠筆者)

(筆者が記した)上記赤枠内を見てみると、ここには「これまで大切にされてきた、子供達に「生きる力」を育む、という目標は、これからも変わることはありません」と記されている。このことは「従来示されてきた“生きる力”」はそのまま存続し、その先にあるものをこのリーフレットで示したと考えねばならない。

では、「従来示されてきた“生きる力”」とは何であるのか。それを明確にするためにも、学習指導要領の「総則」の箇所を確認してみよう。学習指導要領の「総則」は以下のような構成になっており、その内容を要約してみると次のようになる。(小学校の場合)

第1章 総則

第1 小学校教育の基本と教育課程の役割

  1. 各学校においては・・・これらに掲げる目標を達成するよう教育を行うものとする。
  2. 学校の教育活動を進めるに当たっては・・・次の(1)~(3)の項目実現を図り、児童に生きる力を育むことを目指すものとする。
    (1)基礎的・基本的な知識及び技能を確実に修得させ・・・児童の学習習慣が確立するよう配慮すること。
    (2)道徳教育や体験活動等を通して・・・豊かな心や創造性の涵養を目指した教育の充実に努めること。
    (3)学校における体育・健康に関する指導を・・・適切に行うこと。
  3. 2の(1)~(3)までに掲げる事項の実現を図り、・・・生きる力を育むことを目指すに当たっては・・・教育活動の充実を図るものとする。その際、・・・次に掲げることが偏りなく実現できるようにするものとする。
    ① 知識及び技能が修得されるようにすること
    ② 思考力、判断力、表現力等を育成すること
    ③ 学びに向かう力、人間性等を涵養すること

上記、第1章総則第1の「2」の内容(下線部)を見て分かる通り、ここに「従来示されてきた“生きる力”」の三要素が示されている。すなわち(1)の「基礎的・基本的な知識及び技能」、(2)の「豊かな心や創造性の涵養」、(3)の「体育・健康」であり、これらはそれぞれ知育・徳育・体育を意味する。そして、次の「3」で「生きる力を育むことを目指すに当たっては」という形で、①「知識及び技能」、②「思考力、判断力、表現力」、③「学びに向かう力、人間性等」の実現が示されている。

こうした点を確認すれば、文科省が新しく出した上記リーフレットはあくまでも「生きる力」についてではなくて、「生きる力」のその先にあるものとなる。事実、このリーフレットの表紙には「生きる力 学びの、その先へ」と記されている。

このことは「小学校学習指導要領解説 総則編」(p22~)を見ればさらに明確となる。ここでは「2 生きる力を育む各学校の特色ある教育活動の展開」(先の「第1章 総則 第1の2」に対応」)の節で、(1) 確かな学力(p23.「同2の(1)」に対応)、(2) 豊かな心(p24.「同2の(2)」に対応)、(3) 健やかな体(p31.「同2の(3)」に対応)について述べられる。そして、次の「3 育成を目指す資質・能力」(p34.同「同3」に対応)の冒頭において以下のように示される。

本項は,児童に知・徳・体のバランスのとれた「生きる力」を育むことを目指すに当たっては、各教科等の指導を通してどのような資質・能力の育成を目指すのかを明確にしながら教育活動の充実を図ること、その際には児童の発達の段階や特性等を踏まえ、「知識及び技能」の習得と「思考力、判断力,表現力等」の育成、「学びに向かう力,人間性等」の涵養という、資質・能力の三つの柱の育成がバランスよく実現できるよう留意することを示している。

こうした点からも明らかなように、冒頭のリーフレットで示される3項目(①「知識及び技能」、②「思考力、判断力、表現力」、③「学びに向かう力、人間性等」)と生きる力の3項目((1)知、(2)徳、(3)体))とは明確に区別しなければならないのである。

最後に「知」・「徳」・「体」の内容を持つ「生きる力」を文科省が今までどのような形で示してきたかを明らかにしておこう。(これを見ると冒頭のリーフレットの内容と明らかに異なっていることを再確認することができるだろう。)

以上の点から明らかなように、「生きる力とは何か」と聞かれたならば、(1)確かな学力(知育)(2)豊かな人間性(徳育)(3)健康・体力(体育)が合わさったものと答える必要がある。これらの文言に際しては、学習指導要領の改訂により、(1)「確かな学力」⇒(そのまま)、(2)「豊かな人間性」⇒「豊かな心」、(3)「健康・体力」⇒「健やかな体」、という形で多少の変更はあるが、それぞれが(1)知育、(2)徳育、(3)体育を示し、それらが総合して「生きる力」が構成されるという点に変わりはない。

ネットを利用した学習はとても便利ではあるが、上記のような誤解を招きやすいのも事実である。「生きる力」について調べる際には、ネット上のリーフレットだけでなく、「学習指導要領」に立ち返ってその内容を正確に理解することが必要である。

プロフィール
  • 教育学部教育学科 通信教育課程 教授
  • 九州大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。文学修士。
  • 専門は、道徳哲学、教育哲学、並びに応用倫理。
  • 福岡の純真短期大学を経て現職。
  • 著書:『〔改訂版〕教育の原理とは何か-日本の教育理念を問う-』(ナカニシヤ出版 2017)、「『反道徳」教育論-「キレイゴト」が子供と教師をダメにする-』(PHP研究所 2007)、『正義を疑え!』(筑摩書房 2002)、『平等主義は正義にあらず』(葦書房 1998)、『女子大生のための倫理学読本』(同 1993)。共著に『教職概論』(玉川大学出版部 2012)、『よく生き、よく死ぬ、ための生命倫理学』(ナカニシヤ出版 2009)、『情報とメディアの倫理』(同 2008)、『男と女の倫理学』(同 2005)、『生と死の倫理学』(同 2002)、『幸福の薬を飲みますか?』(同 1996 )。共訳に『環境の倫理』(九州大学出版会1999)、『健康の倫理』(同1996)。
  • 学会活動:日本倫理学会・日本教育学会・日本道徳教育学会・西日本哲学会・九州大学哲学会