「普通」の学び方とは?

2024.04.01
魚崎 祐子

読み書きを苦手とする子どもたちに対し、パソコンやタブレット端末などのICT機器を用いると学習を助けることができたという話を耳にしたことのある方も多いと思います。教室における支援方法の1つとしてもよく挙げられます。実際に、印刷された文字を読むのは難しかった子どもが音声入力を併用することで情報を理解しやすくなったという声や、手書きではなかなか正しい漢字を書くことができなかった子どもが、タイピングであれば提示される候補の中から正しい漢字表記を選ぶことができるので抵抗感が減ったなどという声を聞くこともあります。このように考えてみると、読み書きが苦手だと思われていた子どもの中には、実は「紙と鉛筆を用いた」読み書きが苦手なだけだったという場合が含まれているという可能性があるでしょう。

では、ICT機器は魔法の道具でしょうか。答えはケースバイケースということになるでしょう。先述のようにこれまでのやり方では難しかったけれど、ICT機器を用いることでスムーズに作業できるようになって目の前が開けたと感じる学習者も少なからず存在します。しかし中にはそのような効果を感じることができなかったり、ICT機器が入ってきたからこそ、あるいはそれを前提とした状況だからこそ難しさを感じたりする学習者もいるかもしれません。例えば、機器の扱いそのものが難しかった、タイピングをしようとしたけれどキーの配列がわからず、入力に多くの時間がかかってしまった、などといった場合には、これらの機器があったからといって学習を助けるところまではいかないでしょう。

通信教育課程でもここ数年、レポートや科目試験などのオンライン化が進みました。手書きの時よりもスピードが上がった、書き間違えても修正しやすくなった、などといったようにそのメリットを享受しておられる方も少なくないでしょう。一方で従来のように紙と鉛筆を用いて解答する状況であれば難なく取り組めていたのが、急にオンラインツールを使うことを求められてとまどったという方もおられるかもしれません。このように使える道具、使うことを求められる道具が変わった途端、これまで困っていなかった人が困ったり、困っていた人がスムーズに作業できたりするといったように立場が入れ替わることもあるのです。

私自身は小さい頃から慣れ親しんできた紙と鉛筆を用いた読み書き、何十年にもわたりほぼ毎日パソコンを触る生活の中で慣れてきたタイピングなどに抵抗はなく、難しさを感じません。このように考えると、私はどちらの環境においても読み書きにはあまり困っていないということになります。しかし、何かを書かなくてはいけない場面において、フリック入力を求められると、途端にその動きの速度や正確性は落ちます。打ち間違えては入力し直している姿を見かねた息子から「何て打とうとしているの?入れてあげるから口で言って」と介入されることすらあります。そして息子は目にも止まらぬ速さで指を動かして入力するといった具合です。書きたい内容は頭の中にあるのに、スムーズに入力できない自分にイライラすることもありますし、「いやいや時間をかければできるんだけど」「タイピングで入力させてくれればもっとスムーズにできるのに」などといった思いも頭をかすめます。完全に「できない」というわけではなくても、「やりづらい」ということまで含めて考えると、似たような経験を思い浮かべることができる方もおられるのではないでしょうか。道具の有無や種類にとどまらず、その使い方によって障壁が生じることもあり得るということになります。

普段、紙と鉛筆での読み書きに困っていない人はそれが「普通」のやり方だと感じがちですし、タイピング入力を用いている人はそれが「普通」の入力方法だと考えがちです。そして目の前に何かしらの困難を抱えている学習者がいても、自分の考える「普通」の中での代替案しか思いつかないかもしれません。しかし場面によって、自分のやり方は意外と「普通」ではないかもしれないということを頭に置く必要があります。読み書きに限らず、何らかの難しさを変えた学習者への対応を考える上では、自分にとっての「普通」を疑ってみることで気づかされることもあるのではないでしょうか。

プロフィール

  • 教育学部教育学科 通信教育課程 教授
  • 早稲田大学大学院人間科学研究科 博士後期課程修了
    博士(人間科学)
  • 専門は学習心理学、教育心理学
  • 早稲田大学助手などを経て現職。
  • 著書に『Dünyada Mentorluk Uygulamaları』(共著、Pegem Akademi Yayıncılık、2012年)、『テキスト読解場面における下線ひき行動に関する研究』(単著、風間書房、2016年)、『研究と実践をつなぐ教育研究』(共著、株式会社ERP、2017年)、主要論文に『配布資料の有無が授業中のノートテイキングおよび講義内容の説明に与える影響』(単著、日本教育工学会論文誌(39)、2016年)、『短期大学生のノートテイキングと講義内容の再生との関係−教育心理学の一講義を対象として−』(単著、日本教育工学会論文誌(38)、2014年)などがある。
  • 学会活動:日本教育工学会、日本教育心理学会、日本教授学習心理学会、日本発達心理学会、日本教師学学会 会員