実地調査による新たな発見
2025.01.01
山口 意友
筆者は、以前から今日の日本の道徳の礎となった『武士道』(新渡戸稲造)や『国定修身教科書』の文献研究を行っているが、ここ数年は文献による研究だけでなく現地に出向いた調査研究も行い始めた。今年度の調査で面白い体験をしたので今回はエッセーとしてそれを紹介してみたい。
「眞木和泉」調査
昨年度(2023年)は眞木和泉(保臣)についての現地調査を行った。新渡戸稲造がその著書『武士道』の中で「義」を論じる際に、眞木和泉の言を引用している。「士の重んずることは節義なり。節義はたとへていはば人の体に骨ある如し。・・・」の箇所である。また高等修身教科書(高等科修身[男子用])でも、眞木の有名な言、すなわち「我一歩を退くれば彼一歩を進め、我一日優遊すれば彼一日精熟す」が示されている。このように眞木は『武士道』や『国定修身教科書』にも登場する人物であり、彼の武士道的道徳論は今日の日本の道徳にも少なからず受け継がれていると思われる。
そこでさっそく眞木和泉守記念館があるに水天宮(福岡県久留米市。ここは全国各地にある水天宮の総本宮である)に行き、同境内地にある眞木神社(祭神:眞木和泉)を訪問し調査を行った。眞木は水天宮の神職として産まれ第22代宮司でもあるので、眞木和泉守記念館も社務所内に併設されている。同記念館では神社の禰宜の方が常に付き添って詳細な説明をしてくれ、また多くの資料を頂いたのだが、その中に後の「神風連の変(乱)」「秋月の変(乱)」「萩の変(乱)」 1 に思想的影響を与えた人物である旨が記載されていた。「神風連」は三島由紀夫の『豊饒の海 奔馬』に登場するものであるし、またハリウッド映画「ラストサムライ」の背景的原型になっている旨はそれとなく知っていた 2 。だが、「秋月の変」「萩の変」に関しては神風連に影響を受けた武士の反乱という位の知識しかほとんど有していなかった。
「秋月の変」調査
そこで今年度(2024年)は秋月の変の調査のために、久留米市に隣接する朝倉市にある秋月博物館に行くことにした。同博物館の受付で「秋月の変(敢えて「乱」ではなく「変」と呼んだ)に関する資料はどのあたりに展示されているのか」と尋ねたところ、それを耳にした同館長が「変」という語に感銘を受けたとして事務室から出てこられ、どこから来られたのか尋ねられた。東京の玉川大学から来た旨を伝えると、一瞬の間を置いた後、館長が「空たかく野路は遥けし~♪♪」と歌い出された。びっくりしていると、さらに、自分は昔玉川大学の通信で教員免許を取って教員になり、数年前まで近くの中学校の校長をしていた旨と、さらに自身が学んだ全人教育について詳しく話された。ひとしきり玉川大学通信教育の話で盛り上がったが、その後館長自らが館内をずっと案内して下さった。ただ、「秋月の変」の資料はまだ整理していないため未展示資料が多い旨を語られた。
眞木和泉と秋月の変の関係性についての研究調査に張り切っていた筆者としては残念でならなかったのだが、同館では特に秋月藩医の緒方春朔(おがたしゅんさく)らによる種痘の発明に関する資料展示に力を入れているということで、展示されている一次資料をもとに日本における種痘について館長が詳しく説明された。


思いもよらない発見
実は、種痘に関しては『国定修身教科書』のなかに1796年にエドワード・ジェンナーが発明した旨が示されており 3 、種痘の発明者と言えば恐らく誰もがジェンナーの名をあげるであろう。だが、展示の文献資料によれば、秋月藩医の緒方春朔らによる種痘の発明はジェンナーよりも6年前の1790年なのである。ジェンナーの種痘法が牛痘種痘法であるのに対し、緒方春朔の場合は鼻旱苗法によるもので方法は異なっているとは言え、ジェンナーの牛痘法が後に日本に伝来し普及し始めるまでの約60年間は日本の天然痘予防に多いに貢献したとされる。
元々は「秋月の変」の調査のために訪問した秋月博物館であったが、まさに瓢箪から駒、思いもかけない知識を得ることになった。筆者は、従来テキストクリティークを中心とする文献研究を主眼としてきたが、現地に行くことで新たな発見に繋がることを痛感した。やはり学問は机上だけの文献による目学問だけでなく、直接、現地に行って様々な資料に直接触れてみることが重要であることを強く感じた次第であった。事実、緒方春朔に関して新たな問いを生むこともできた。なぜ、緒方春朔の種痘についての記述が『国定修身教科書』には一切記載されていないのか。彼が(「秋月の変」を起こした)秋月藩の藩医であったからなのか、等々。次年度はこうした新たな問いを明らかにすべく新たな文献調査と現地資料調査を行ってみたいと思った次第である。
今回は玉川大学の通信教育に在籍経験のある館長と色々話すうちに、福岡の地でも小原國芳先生の教えが今も生きていることを知ってとても嬉しく感じた。なお緒方春朔を知るには下記の書籍等が役に立つ。
- 富田英壽『天然痘予防に挑んだ秋月藩医 緒方春朔』海鳥社 2010年
- 一般社団法人 朝倉医師会HP(緒方春朔について)https://www.asakura-med.or.jp/ogata.html
- 朝倉医師会 富田英壽医師による 緒方春朔のHP http://www.ogata-shunsaku.com/
- 1.
一般には「神風連の乱」と呼ばれるが、実は「不平士族の反乱」ではないという事から、正しい名前は「神風連の変」と言われる。「神風連の変」にて死した百二十三士を祀る桜山神社(熊本市)はもとより新開大神宮(同)のHPや熊本県公式観光サイトでもそのように記載されている。それゆえ、「神風連の変」に呼応した秋月や萩についても本稿では「乱」ではなく「変」と称す。
- 2.
新開大神宮のHPには「十数年前に上映されたハリウッド映画「ラストサムライ」はご存知でしょうか?その背景的原型が「神風連」と「西南の役」です。」と記されている。(下記URL参照)
https://isemiyasan.jp/shinpuren - 3.
『国定修身教科書(尋常小學修身書)』は第1期から第5期まであるが、第2期以後はすべての期においてジェンナーの種痘発明について記されている。記載箇所は以下のとおり。第2期教科書:巻四の第十四、第3期教科書:巻四の第十五、第4期教科書:巻四の第八、第5期教科書:初等科修身一の六。
プロフィール

- 教育学部教育学科 通信教育課程 教授
- 九州大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。文学修士。
- 専門は、道徳哲学、教育哲学、並びに応用倫理。
- 福岡の純真短期大学を経て現職。
- 著書:『〔改訂版〕教育の原理とは何か-日本の教育理念を問う-』(ナカニシヤ出版 2017)、「『反道徳」教育論-「キレイゴト」が子供と教師をダメにする-』(PHP研究所 2007)、『正義を疑え!』(筑摩書房 2002)、『平等主義は正義にあらず』(葦書房 1998)、『女子大生のための倫理学読本』(同 1993)。共著に『教職概論』(玉川大学出版部 2012)、『よく生き、よく死ぬ、ための生命倫理学』(ナカニシヤ出版 2009)、『情報とメディアの倫理』(同 2008)、『男と女の倫理学』(同 2005)、『生と死の倫理学』(同 2002)、『幸福の薬を飲みますか?』(同 1996 )。共訳に『環境の倫理』(九州大学出版会1999)、『健康の倫理』(同1996)。
- 学会活動:日本倫理学会・日本教育学会・日本道徳教育学会・西日本哲学会・九州大学哲学会