音楽資料とは

2025.08.01
栗林 あかね

博物館の資料にはどのようなものがあるかと問われたとき、多くの方がすぐに思い浮かべるのは、美術・工芸品や民俗・民族資料の類ではないでしょうか。「音楽」という単語は、まず出てこないでしょう。博物館資料の分類の中では、音楽資料は「みんぞく」に所属する場合が多くあります。しかしそれは、主に人びとの生活に密接に関わった証としての、楽器の類に基づいていることがほとんどです。

私の専門は音楽資料ですが、その概念としては「音楽家が音楽家として生きていた証」すべてを対象とします。もう少し、具体的に示しましょう。ここで言う音楽家は、クラシック音楽に携わる人びとです。楽譜、演奏会チラシ・プログラム、書籍、新聞、雑誌、録音、手紙、書類、写真、楽器、衣装、賞状などの音楽活動にかかわるモノに加え、信仰に関する品、身の回りの愛用品など、音楽家が音楽家として生きていくうえで必要とした、また、その人らしさを表すモノを含みます。教育博物館では、音楽家自身が所有していた背景をもつ音楽資料と非音楽資料の両方を重視しており、そのどちらも合わせて「音楽資料」として扱います。

音楽資料を取り扱うためには、一般的な博物館資料を扱うための技術とは異なる、音楽に関する多様な知識・能力・技能が必要です。基本的なことでは、単旋律楽譜からオーケストラスコア、そして現代作品などの特殊な楽譜を読み解く力。楽典・音楽理論、音楽のレパートリー、音楽雑学・通俗的知識、さまざまな楽器の基礎、音楽形式、西洋音楽史、世界各地の民族音楽、日本の音楽、外国語などの能力と知識。また、音楽をきいて即座に曲名を特定できる、あるいは曲名がわからなくても曲調や使用されている楽器、曲の形式から推測ができることも重要で、こうした能力は枚挙にいとまがありません。

音楽資料の本場は欧米で、日本において本格的な音楽資料を所蔵する博物館はごく限られています。さらに資料を所蔵していても、それを適切に扱えていないという例もあります。その大きな理由のひとつは、「正しい扱い方がわからない」から。先ほど例えたように、音楽資料はほかの博物館資料とは性質・性格が違うため、音楽に深い理解がなければ、適切に扱うことは難しいのです。このことはすなわち、誠実で信頼に足る先達を見つけること自体も困難である、という現実をも示しています。ただ単に音楽がわかるというだけでは不十分で、その資料が将来どのように活用されうるかを俯瞰的に見渡せなければなりません。そうでなければ、資料が誤った方法で整理されたまま、それですべてが完了した、と判断されてしまいかねない。これでは資料の可能性を十分に引き出すことが出来ず、情報の発信がマンネリ化し、最終的には資料の存在自体が忘れ去られてしまう恐れがあります。資料と向き合う際には、驕らず、常に、自らの理解が不十分かもしれないという謙虚な姿勢を持って取り組まなければなりません。

博物館が音楽資料を所蔵することには、音楽家の活動を語るうえで極めて重要な証拠を保持することであり、調査研究の継続、関係資料の補完など、不断の努力と責任が伴います。それはすなわち、その音楽家と生きざまを体現する資料に対する、深い敬意のあらわれでもあるのです。

プロフィール

  • 教育博物館 講師
  • 最終学歴:昭和音楽大学大学院音楽研究科 博士後期課程 音楽芸術運営専攻 単位取得満期退学
  • 専門:音楽資料学、音楽図書館学、日本近代洋楽史
  • 職歴:昭和音楽大学附属図書館、成城大学図書館、玉川大学教育博物館研究員を経て、2015年より現職。
  • 監修楽譜:
    ・ガスパール・カサド《ショパンの主題による7つの変奏曲》(風の音ミュージックパブリッシング、2021年)
    ・J.S.バッハ―ガスパール・カサド《『コラール』愛する御神にすべてを委ねる者は BWV 691》(風の音ミュージックパブリッシング、2023年)
  • 学会活動:日本音楽学会、IAML(国際音楽資料情報協会)日本支部、日本音楽芸術マネジメント学会、アート・ドキュメンテーション学会