健康・生命を問いかける大阪・関西万博から
2025.09.01
藤谷 哲
本稿では、10月13日(月)まで開催中の大阪・関西万博のことをお話しします。

世界各地を巡回開催するのが万博ですが、大阪・関西万博は、「いのち輝く未来社会のデザイン」という理念(the Expo’s theme, ‘Designing Future Society for Our Lives’)を掲げています。また、特に今回はパビリオンのいくつかで、健康を主題にしたテーマ事業を行っています。健康を、万博事業が依拠する主題のひとつとすることは、百数十年もの歴史の中でも初めてのことのようです。

(大阪ヘルスケアパビリオン,撮影・藤谷哲)
たとえば、山中伸弥先生(京都大)のご研究で有名な「iPS細胞」から作製された人工心筋の展示が、8館からなるテーマ事業パビリオンから少し離れた「大阪ヘルスケアパビリオン」内にあります。静止画写真ではわかりませんが、みずから一定の間隔で微動して入れ物の中で動くさまは、なかなかの見物です。
さて、ここでは、そんなテーマ事業パビリオンのひとつ、生物学者の福岡伸一氏がプロデューサーを務めているパビリオン「いのち動的平衡館」のことについて開幕に合わせて出版されたご著書(福岡伸一『君はいのち動的平衡館を見たか』(朝日出版社))から引用しながら、お話しします。
福岡氏は、わたしたちを初めとする生命の摂理について、研究者の立場からこのたびのテーマ事業パビリオンを監修しました。この中で、氏が従来から主張してきた『動的平衡』という概念に基づき、それを、いのち(生命)を知るための展示というカタチにしました。
『私のやりたいこと、とはこんなことだった。生命の歴史、進化史は一般的には、弱肉強食・優勝劣敗・適者生存の原則によって進んできた、と考えられている。つまり進化は、競争と闘争の繰り返しの中にある、と。しかし、私はそうは思わない。生命とは本来的にもっと利他的で、共生的で、互恵的なものである。遺伝子はただただ自己複製することだけが唯一の目的であり、そのためになりふり構わず利己的に邁進してきた、という利己的遺伝子論は、ひとつの作り話でしかない。(p.68)』
実はこの言及の背後に、その名も『利己的な遺伝子』という大変有名な著作があります(リチャード・ドーキンス著、日高敏隆他訳『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店[原著: Oxford University Press, 1976]))。紙幅の都合でこちらへの言及は避けますが、福岡氏は生命の摂理について、この『利己的』に真っ向逆、『利他的』という語を用いた主張をし、それを万博のテーマ事業パビリオンにまで昇華させているのです。
かなり硬めの生命科学の文章になってしまいますが、もう一カ所長めに引用します。その真意について味わって下さい。
『それまで大型の原核細胞は、小型の原核細胞に出会うとこれを餌として飲み込み、細胞内で分解して栄養源に変えていた。しかしあるとき、両者は利他的に共生することを選択した。大型の原核細胞は、小型の原核細胞を細胞内部に呑み込むものの、分解せずにそのまま温存する道を選んだ。その代わり、呑み込まれた小型の原核細胞はそれぞれの得意な能力を発揮して、その余剰を大型の原核細胞に返報することを選んだ。有機物を酸化してエネルギーを生産する能力の高い小型の原核細胞は、その能力を最大限に発揮して、大型細胞の内部で共生するようになった。これが後の真核細胞に見られるミトコンドリアの起源になったと考えられている。また、太陽の光をキャッチして二酸化炭素から有機物を作り出す能力(光合成能)を有する小型の原核細胞は、大型の原核細胞の内部で保護されながら、光合成をさかんに行うようになった。これが後の真核細胞における葉緑体の起源である。
これを細胞内共生説と呼ぶ。この仮説にはきちんとした証拠がある。(p.71)』
進化してきた生命の営みの摂理は、細胞にまで立ち返ると、利他的だと呼べる――。そこからどんなメッセージを我々に伝えたいのかについては皆様のご想像にお任せして、あとは、氏の著書とテーマ事業パビリオン「いのち動的平衡館」に譲ることにします。本稿の執筆時点で私もまだ見ることができていない「いのち動的平衡館」パビリオンなのですが、我々をとても豊かな思索へといざなってくれそうな気がします。
ところで、日本が初めて万博に出展したのはなんと大政奉還より前、1867(慶応3)年のパリ万博。その後の1873(明治6)年ウィーン万博のときの展示の様子を描いた絵が残されています(国立国会図書館の許諾を得て転載)。

読者の皆様は、東京ビッグサイト・幕張メッセ・インテックス大阪・マリンメッセ福岡・アクセスサッポロのような各地の施設で執り行われる「産業見本市」は、ご存じですか。企業・団体が開発・提供する商品やサービスについて情報発信して、その交流、さらには商談も促し、産業振興に資するイベントです。万博、すなわち万国博覧会は、この産業見本市の性格を帯びています。
今回の大阪・関西万博であれば、『コモンズ・パビリオン』と呼んでいる、一つの国・地域で独立して建っていない、万博協会の準備のもとで国・地域・国際機関が複数共同で収まっているパビリオンがあります。産業見本市を訪れたことのある方であれば、コモンズ・パビリオンに行くと、そのしつらえが産業見本市と似ていることにお気づきになると思います。コモンズ・パビリオンで行われている展示は、実はこのウィーン万博の絵と似ています。
最も小さな区画だけを持つ国ですと、その広さは独り暮らしのアパートにも満たない程度です。でも、その中に並べた物や説明パネルに注意深く目を向ければ、実に多彩な情報が手に入ります。産業見本市が国内外の「企業・団体」単位で出展するとしたら、万国博覧会は「国・地域・国際機関」単位で出展して(一部、国内の大企業も)、文物や情報を届けるのです。
大阪・関西万博は来訪者にパビリオン見学の予約を呼びかけていますが、コモンズ・パビリオン6館はすべて事前予約が不要。各国のイベントやパビリオンでの人気の展示物のことが話題になりがちな万博ですが、コモンズ・パビリオンだけでも十分に見応えがあります。9月は少し暑熱の厳しさが和らいできます。21時まで開館する夜であればなお穏やかでしょう。「実は、まだ行っていません」という方は、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
参考文献:
国立公文書館アジア歴史資料センター, 『万国博覧会に見る日本 ~明治・昭和の≪COOL JAPAN≫~』,
https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p07.html ,
福岡伸一,『君はいのち動的平衡館を見たか』,朝日出版社,2025.
プロフィール

- 教育学部教育学科 教授
- 東京工業大学大学院 博士(工学)
- 専門は科学教育、教育工学、教科教育学
- 高校・中学講師、短大・大学講師、日本科学未来館科学コミュニケーター、大学准教授を経て、現職。