アムステルダムのニセ警官

2014.05.28
森 良和

ヨーロッパに出かけることが多い。もっとも,主な目的は専門分野の史料や資料の収集と現地踏査のために図書館,大学,博物館などを巡ることなので,「優雅な旅」にはほど遠い。もちろん有名な観光地を訪れることもあるが,所詮大聖堂も宮殿もテーマパーク,むしろ所用のついでに通る歴史的町並みや生活感漂う裏通りにいっそう興味を覚える。
昨年9 月のある朝もアムステルダムの裏通りを歩いていた。お目当ての博物館に行く途中,ホテルにカメラを忘れたことを思い出し,取りに戻ったとき例によって横道に入ってみた。噂に聞いていた「ニセ警官」に初めて出くわしたのはそのときである。
治安の非常に良い日本に比べ,ヨーロッパではスリや置き引きが多い。ただ,私自身は過去30 数回の海外旅行で被害にあったことはない。一度だけミラノの人混みでロマの子どもに上着のポケットからティッシュをすられたが,すぐに取り返した。現金はわずかしか持たないし,財布も持ってないので盗られることはありえない。飲み物や軽食以外の買い物はほぼ内ポケットに入れたクレジット・カードで済ませている。
その日,小太りの白人男性が英語で道を尋ねてきた。「イタリア人観光客なんだけど,道に迷ったようだから中央駅への行き方を教えて」。私が答えると,今度は「あなたはどこから来たのか」と訊く。「日本だ」と答えると,「いつか日本に行ってみたい,日本は美しい国で東京は素晴らしい所だそうだね」などと微笑みながら続ける。これは時間稼ぎだとあとでわかった。
するといつの間にかやって来た別の男がいきなり「警察手帳」を示して,「ポリス!ポリス!」と言いながら,「このあたりでドラッグが売買されているので,あなたのバッグをチェックする必要がある,パスポートも見せてくれ」と言う。一目で見破った私が苦笑しながら「パスポートは持ってない,ホテルの部屋にある」と答えると,さらに早口で何かまくし立てる。私はまったく相手にせず首を振り,道を尋ねてきた最初の男に「彼に( 道を) 聞きなよ」と言い,「バイバイ!Au revoir, non, adieu!(またな,いや,おさらばだ)」と言ってその場を去った。そのとき3 人目の男がやってきたのを見た。
「定番」ではバッグを渡すと勝手に財布を取り出して紙幣を抜き取るらしい。しかし,私の印象ではいかにも「ニセ」丸出し,警察と信じる人がいるとは思えないが,主なターゲットは日本人,中国人,韓国人ら東アジアの観光客で,被害者は全欧に及ぶと聞く。彼らの多くは東欧出身者のようだ。ニセ警官に限らず,海外では得体の知れない人々が道すがら時々声をかけてくる。お金を恵んでくれ,○○教(宗教)こそあなたを救う,タバコをくれ,今何時?,さらには化粧の濃い女性の「私の部屋すぐ近くなの」など。
こう書くとヨーロッパは魑魅魍魎(ちみもうりょう)うごめく怪しい異界のようだが,ほとんどは親切で生活スタイルもシンプルな楽しい人たちである。
またヨーロッパに行きたくなった。

プロフィール

  • 通信教育学部 教育学部教育学科 教授
  • 早稲田大学 博士課程 文学研究科 史学 単位取得満期退学。文学修士。
  • 専門は、十六・十七世紀の諸相、日欧交渉史、大学の歴史、比較文化文明論など。
  • 玉川大学高等部教諭を経て現職。
  • 著書:『歴史のなかの子どもたち』(学文社)、『ジョン・ハーヴァードの時代史』(学文社)、『他者のロゴスとパトス』(共著、玉川大学出版部)、『リーフデ号の人びと』(学文社)などがある。
  • 日本西洋史学会、比較文明学会、大学史研究会、早稲田大学史学会 会員