人とのつながり
2015.01.05
原田 眞理
2014年8月、スクーリングが終了してすぐに教育学部の学生達とゼミ合宿に行った。学生の希望もあり、私自身が福島県からの県外避難者支援等に携わっている関係から、福島県川内村を行き先に選んだ。常磐自動車道は福島第一原子力発電所事故以来、警戒区域になり閉鎖されていたが、2014年2月に常磐富岡インターまで再開通したので、常磐道を使い、富岡町を先に訪れることにした。
富岡町は福島県浜通り地方の中央にある。夜ノ森の桜とツツジが有名であったが、夜ノ森周辺は現在も帰還困難区域となり立ち入ることはできない。富岡駅前は2013年3月から警戒区域解除に伴い、立ち入りは可能となっている。その当時から私自身は3回富岡町を訪問したが、行く度に道路にある穴は減り(といっても砂利を敷き詰めたりして穴を埋めてあり)、誰もいない静けさの町に、工事車両を見かけるようになった。富岡町に行く度に「時が止まった」というのはこのことだと感じる。津波と地震、原発事故の残した爪痕はあまりにも残酷である。すべてがあのときのままである。約4年のうちには、見渡す限り草木がぼうぼうにのび、町を飲み込んでいる。そして、静寂。さらに目に見えない放射線の影響がある。各地点におかれている線量計の数字だけが私達に語りかけてきた。なかなか個人で訪れる機会はない場所であるが、現在もこのような場所があることを知ってほしいと思う。
川内村では教育課の課長さんからこれまでの説明を受け、大学生と遊ぶのを待ちわびてくれた学童の小学生、中学生と出会った。たった車で15分ほどの距離だが、川内村は静かに落ち着いている。
震災のこころの傷を受けたうえに、避難や帰還で悩み、放射線の影響を考えながら子育てをするのは容易ではないと思われるが、子供たちはとても元気で人なつこく、すぐにうちとけて遊んだ。遊んでいると、川内村小学校の先生に声をかけられた。なんとその先生は玉川大学の卒業生とのことで、玉川の学生が来ると聞き、わざわざいらしてくださったそうだ。さらには、川内村に玉川の学生が帰省しており、その学生も急に合流して一緒に学童の子供たちと遊ぶことになった。さすが教育の玉川、教育現場のどこに行っても玉川の関係者がいるのだと感じた。
震災後は「絆」がロゴのように用いられていた。県外では、避難者同士をつなぐことが求められ、同じ村出身の方々のコミュニティ作りのお手伝いをしてきた。今回震災の被害にこころを馳せながら福島県を訪れていると、逆に私達自身が玉川を軸につながっていったことを実感し、非常に感慨深く感じた。教育の玉川と言われるこの大学で学ぶ皆さんも、その一員である。人とのつながり、ご縁は不思議であるが、自分自身が作るものでもある。大学を離れてからも、このつながりを大切に活躍してほしいと思う。
(写真はすべて筆者が撮影したものである。)
プロフィール
- 通信教育部 教育学部教育学科 教授
- 東京大学大学院医学系研究科(心身医学講座) 博士(保健学)
日本臨床心理士資格認定協会臨床心理士
日本精神分析学会認定心理療法士
私立中高スクールカウンセラー - 専門は精神分析、臨床心理学、教育相談、医療心理学。また、東京臨床心理士会3・11震災支援プロジェクト委員として、特に福島からの在京避難者支援を行っている。
- 東京大学医学部付属病院分院心療内科、虎の門病院心理療法室、聖心女子大学学生部学生相談室主任カウンセラーなどを経て現職。
- 著書:『子どものこころ―教室や子育てに役立つカウンセリングの考え方』『学級経営論』『女子大生がカウンセリングを求めるとき』『カウンセラーのためのガイダンス』など(含共著)
- 学会活動:日本心身医学会代議員、日本精神分析学会・日本心理臨床学会、日本教育心理学会 会員