ロンドン郊外ライムハウス

2015.06.16
森 良和

昨年夏の終わりにまたロンドンに行ってきた。これが11 回目,私にとって最も訪問回数の多い海外の街だ。ヨーロッパで最初に訪れた都市なので愛着もあるし,何よりも英語だけですませられる安心感がある。食事がきわめてシンプルなのも楽しい。
滞在目的はウィリアム・アダムズ関係の研究を進めることで,なかでも真っ先に探訪したのが郊外のライムハウスであった。この地名を知らずとも,イギリス人航海士ウィリアム・アダムズの名はよく知られていよう。1600 年にオランダ船リーフデ号で日本に来航し,後年「三浦按針」の名で徳川家康に重用された「青い目のサムライ」である。そのアダムズが若き日に12 年間の徒弟生活を過ごしたのがライムハウスの造船所で,結婚式を挙げたのもすぐ近くの聖ダンスタン教会においてである。
ではライムハウスの造船所にどんな意味があるのか。それは徒弟時代のアダムズがここで一般にイメージされる以上に高水準の教育を受けたからである。日本到着後のアダムズと面会したカトリック宣教師らは,アダムズを「天文学や数学,航海術に大変通じている」異端者と評している。当時日本に在住していた宣教師たちは,政治的・宗教的対立からオランダ人やイギリス人を嫌悪していたが,アダムズの優れた科学的知識は認めざるを得なかった。一航海士に過ぎず,大学教育ともまったく縁がなかったアダムズがなぜ,またどのように豊かな知識を身につけたのか,大いに興味を喚起される。
これについて想起されるのは,アダムズと同じ1564 年にイタリアで生まれた「近代科学の父」ガリレオである。両者には何ら接点がないが「造船所」ではリンクしている。晩年のガリレオの述懐によれば,その斬新な科学概念はヴェネツィアの造船所の熟練職人たちからもヒントを受けて構想されたという。そう言えばガリレオもピサ大学を中退し,大学外で本格的に数学を学んでいる。このころ,以前は低く見られがちであった現場の職人たちの技術水準の素晴らしさにようやく知識人が本格的に目を向け始めたのである。
16 世紀後半のイギリスでも女王エリザベス1 世とその重臣たちの指揮下,海外発展の具体的な方法について精緻な検討が重ねられていた。特にポルトガルとスペインが独占していた世界貿易に対し,後進のイギリスとオランダは新局面を切り開こうと躍起になっていた。全欧からのさまざまな航海書,航海技術書が次々に英語に翻訳され,造船や艤装の拠点であったライムハウスでもかなり先進的な数学や技術を導入して,新時代の基盤を支えていた。「知は力なり」とし,観察や実験の重要性を唱えたアダムズと同世代の思想家フランシス・ベーコンの出現にもこうした時代背景があろう。
ライムハウスは現在ロンドン中心部から郊外電車で十数分のところにある。もちろん現在造船所はなく,テムズ川沿いの「マリーナ」(プレジャーボートの係留施設)としてわずかに往時の面影を残している。今年の夏にもまたロンドンを訪れるつもりである。ライムハウスでフィッシュ・アンド・チップスを食べながらアダムズを追慕することにしよう。

プロフィール

  • 通信教育学部 教育学部教育学科 教授
  • 早稲田大学 博士課程 文学研究科 史学 単位取得満期退学。文学修士。
  • 専門は、十六・十七世紀の諸相、日欧交渉史、大学の歴史、比較文化文明論など。
  • 玉川大学高等部教諭を経て現職。
  • 著書:『歴史のなかの子どもたち』(学文社)、『ジョン・ハーヴァードの時代史』(学文社)、『他者のロゴスとパトス』(共著、玉川大学出版部)、『リーフデ号の人びと』(学文社)などがある。
  • 日本西洋史学会、比較文明学会、大学史研究会、早稲田大学史学会 会員