1930(昭和5)年の正月、生徒たちを連れてスキー場を訪れた創立者・小原國芳は、「どうせ習うなら、世界で一番スキーのうまい人に教わりたい」という生徒のことばに心を動かされました。「それは誰なのか」と生徒に問い直すと「オーストリアのハンネス・シュナイダー ですよ」と。どんなことでも一流のものを子供たちに触れさせることに意義を感じていた國芳は、大借金の末、シュナイダーの来日を実現させました。後に國芳は、シュナイダーの「真の精神を体得しさえすれば、百の方法は自ら生まれ来る」という考えに、本学との面白いほどの共通点を見出したと述べています。また、1931(昭和6)年には、デンマーク・オレロップ国民高等体操学校(現・オレロップ体操アカデミー)の創始者であり、デンマーク体操(基本体操)の考案者、ニルス・ブックも一行26名を従えて来園しています。
この招へいについても、「世界の体育・体操家のなかで一番偉いのは誰か」と尋ねた國芳に対し、当時、成城学園の体育教師だった三橋喜久雄氏の一言がきっかけでした。
このように、創立者・國芳の「教育に対して何ごとも惜しまない姿勢」は、現在の玉川学園の教育活動(教育博物館の展示・研修行事・NASAのボールデン長官による講演・一流音楽家の招聘など)にも脈々と受け継がれています。