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ニルス・ブック

2013.03.21

デンマーク体操の父

玉川学園が創立以来取り組んできたデンマーク体操は、小原國芳とニルス・ブックとの出会いによって導かれた。ニルス・ブックは、1912(大正1)年のスウェーデン・ストックホルムのオリンピックでデンマーク体操団を指揮するなど、体操家として活躍。「デンマーク・オレロップ国民高等体操学校(現・オレロップ体操アカデミー)」の創始者であり、「デンマーク体操(基本体操)」を考案した人物だ。

そもそも、小原國芳がニルス・ブックの存在を知ったのは、世界の体育を調査・研究してきた体育教師、三橋喜久雄のひと言がきっかけだった。1927(昭和2)年、「現在世界の体育・体操家のなかで一番偉いのは誰なのか」と尋ねた小原國芳に対し、三橋は即座に「それはデンマークのニルス・ブック氏です」と答え、オレロップ国民高等体操学校で行われていたデンマーク体操の魅力を熱く語った。

デンマーク体操とは、青少年の体の基礎的改造、矯正、発育促進を目的として考案された民衆体操のこと。人間の呼吸に合わせたリズミカルな動きを取り入れた躍動感あふれる体操で、筋力の強化だけでなく柔軟性や巧緻性(機敏性)も向上させるのが特徴だ。かねがね、「体操とは、それを行う人も見る人も感動するような芸術性がなくてはいけない」と感じていた三橋は、デンマークに留学していた当時、デンマーク体操を目の当たりにし、そこに自身が探究していた真の体育像を見いだした。

三橋の話を聞いた小原國芳は、ニルス・ブックの体操を教育に取り入れるべきだと直感する。それまでも、日本の教育現場で体操は行われていたものの「一、二、三、四」の号令のもと、規律正しく行うスウェーデン式体操が中心だった。小原國芳はこのスウェーデン式体操に対し、堅苦しさを覚え、物足りなさを感じていた。

しかし、折しもそのころは玉川学園の創立期と重なっていたため、それから4年後の1931年に、満を持して、妻の信とともに欧州教育行脚を敢行。その際に、オレロップ国民高等体育学校を訪問し、自身もデンマーク体操を体験した。後年、小原國芳はそのときの様子を次のように語っている。

「2週間もつぶさに。全く、驚嘆しました。『これだ!』と心臓に脳裏に強く刻み付けました。生理的で、科学的で、しかも芸術的で、リズミカルで、更に、鍛練的で、巧緻的で、調和的で!」

常々、「日本の青年には、よい頭(Head)、よい手腕(Hand)、美しい心情(Heart)に加え、よい健康(Health)が必要である」と語ってきた小原國芳は、デンマーク体操は理想を具現化させるために不可欠な要素であると直感し、ニルス・ブックに「体操団を引率して、日本に来てくれるよう」に懇願する。

ニルス・ブックの来日に対して、スウェーデン体操を推進する文部省はいい顔をしなかった。すでに2年前にスウェーデン体操をもとに「学校体操要目」を作成していたため、必要を感じなかったのだ。しかし、小原國芳はそれでも、ニルス・ブック招へいをあきらめなかった。「学校体操」として受け入れられないのであれば、「社会体操」として推進すると決意を新たにしたのだ。

ブック側からも「日本にも私の体操研究所がほしい」という申し出があったため、小原國芳は創立まもない玉川学園に、さっそく体育館とグラウンドを竣工。オレロップ国民高等体操学校の兄弟学校にふさわしい施設を整備した。

この熱意がブックを動かし、1931年9月、ニルス・ブック体操団の一行26人は来日。来園時に、玉川学園は「オレロップ国民高等体操学校東洋分校」として承認された。

もともとは玉川学園の児童・生徒の健康教育のために招へいされた体操団であったが、ブックは全国の青少年の健康促進を目的として、日本全国40数カ所、足かけ48日にわたって、実演と講演を行った。

その結果、デンマーク体操を独自に取り入れた「海軍体操」が全海軍に普及。海軍のほかにも、航空隊や商船学校、鉄道省が積極的にデンマーク体操を取り入れ、「航空体操」「国鉄体操」が作られた。さらに、1932年には全日本体操連盟によって創案された「ラジオ体操」(第二体操)にも、デンマーク体操の原型が取り入れられた。デンマーク体操はこうして、さまざまに形を変えながら普及。全国津々浦々、日本国民の健康づくりに貢献してきたといえるだろう。

その後も、本学は「東洋分校」として、デンマーク体操の講習会を頻繁に行い、体育教員をデンマークに派遣、体操の研究・普及に尽力した。これらの教員の指導の下で、毎年の本学の体育祭では、「徒手体操」や「転回運動」、さらに「こん棒体操」「旗体操」「ボール体操」「リング体操」を中心に、デンマーク体操の発表が行われている。また日常的には、球技や水泳などのウォーミングアップのなかにデンマーク体操が取り入れられている。
また、オレロップ体操アカデミーでは、体操を習得した者に対し、OD章(体操学校のある地名Ollerupの頭文字と、デンマーク語で「社会に奉仕する人」の意味でDelingsfrereの頭文字Dをとったもの)を授与しているが、オレロップは本学に対し、OD章の授与権も認めており、東洋分校が授与するOD章にはOとDのアルファベッドの間に東洋分校の所在する玉川学園の頭文字Tが入れられた「OTD章」が用いられている。

2011年には、オレロップ国民高等体操学校の「東洋分校」80周年を記念して、本学記念体育館前に、「ニルス・ブック像」が建立された。

参考文献
石橋哲成『小原國芳の健康教育とデンマーク体操 -ニルス・ブック一行の招聘から80年目にあたりて-』(『玉川学園・玉川大学 体育・スポーツ科学研究紀要第12号』 玉川大学学術研究所 2012 所収)
小原國芳『私の体操史』(橋本道『基本体操』玉川大学出版部 1970 所収)
『デンマーク・オレロップ国民高等体操学校東洋分校 設立80周年記念 ニルス・ブック像 除幕式』パンフレット 2011 
『玉川學園概況』1992

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