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シュテファン・クルッケンハウザー

2016.11.01

“第二のシュナイダー”“近代オーストリア・スキーの父”

玉川学園と成城学園は、1963(昭和38)年2月に、オーストリア国立スキー教師養成所教授のクルッケンハウザーを招聘した。この招聘にあたっては、玉川学園、成城学園、日本スキー連盟が招聘委員会を組織し、準備、運営にあたった。同様に両学園が中心となって、日本のスキーの歴史を塗り替えたハンネス・シュナイダーを招聘してから33年後のことであった。

クルッケンハウザーは、“第二のシュナイダー”、あるいは“オーストリア・スキーの父”と言われた人物である。実際にはクルッケンハウザーは、オーストリア国立大学のスキー指導員を養成している研究所の所長であり、オーストリア国内のスキー指導者を統一された指導方法で養成するスキー指導の第一人者でもあった。彼の功績については、『玉川学園五十年史』に次のように記述されている。

クルッケンハウザー教授は若くしてオーストリア自然体操の創始者ガールホーファの影響を受け、また、ハンネス・シュナイダーに兄事しアールベルク・スキーを身につけられた。戦後、フランス・スキーの優位のなかに、オーストリア・スキーの技術体系を立て直し、「オーストリア・スキー教程」を完成された。これは、十年余の年月と最高のスキー指導者の衆知を集めたものであったが、常にその中心となって、すぐれた経験と科学的な研究態度で指導されたのである。
シュナイダーの招聘が、日本のスキー史上における先駆的役割をはたしたとすれば、今回のクルッケンハウザー教授一行の招聘は、日本のスキー技術の変革と統一という面で画期的な意義をもったと言えよう。

1963(昭和38)年2月11日、クルッケンハウザー一行が来日した。その来日に先立ち、オーストリアから招聘のスキー教師により、白馬山麓親ノ原スキー場にて中学部から大学までのスキー学校を開催。来日前後の具体的なスケジュールは次の通りである。

羽田空港でのお出迎え
玉川学園を訪問された一行

玉川学園スキー学校 1月5日~1月9日

先着のホルスト・シュヴァルツェンバッヘルを講師として、白馬山麓親ノ原スキー場にて中学部から大学までのスキー学校を開催し、450名の学生、生徒、教職員、卒業生が参加

スキー学校開校式
全員でスキー板を立てて
「シーハイル!(スキー万歳)」を三唱

プレ・ゼミナール 1月25日~2月9日

先着の指導員バルトル・ノイマイル、ホルスト・シュヴァルツェンバッヘルの両スキー教師が担当

第一次プレ・ゼミナール(草津温泉)1月25日~27日
第二次プレ・ゼミナール(燕温泉)1月29日~31日
第三次プレ・ゼミナール(白馬八方尾根)2月3日~5日
第四次プレ・ゼミナール(白馬八方尾根)2月7日~9日

クルッケンハウザー夫妻、フランツ・フルトナー来日 2月11日

クルッケンハウザーご夫妻

クルッケンハウザー一行が本学に来園 2月13日

このときの様子が『玉川学園五十年史』に次のように記述されている。

2月13日には、公式の歓迎式典に先だち、クルッケンハウザー教授一行が玉川学園を来訪された。小学部グラウンドに学生、生徒、児童全員が迎えるなかで、小原園長は、世界一の先生をお迎えしたことの意義を強調された。つづいて立ったクルッケンハウザー教授は、感謝の言葉とともにスキーを称え、最後に全員の唱和を求めての「シー・ハイル」の三唱が玉川の丘にこだまするなかに挨拶を終えられた。
一行はそのあと、中学部を熱心に参観。ついで三角点に建てられたハンネス・シュナイダーの立像の除幕式にのぞまれた。

小学部グラウンドでの歓迎式典の中で、クルッケンハウザーに玉川大学名誉教授の称号が贈られた。

玉川学園歓迎式典
名誉教授の証書授与
シュナイダー像の除幕式
小学生の野外写生を撮影するクルッケンハウザー
中学部を参観
中学部生たちのヴァイオリン製作を見学

歓迎式典(厚生年金会館) 2月16日

クルッケンハウザーによる学術講演、一般公開講演、写真展 2月16日~2月21日

学術講演
日本体育学会スキー特別講演会(法政大学)2月16日
東京教育大学スキー特別講演会(東京教育大学)2月18日

一般公開講演
東京講演会(新宿厚生年金会館)2月14日
札幌講演会(中島スポーツセンター)2月19日
大阪講演会(大阪中央公会堂)2月20日

写真展
クルッケンハウザー教授写真作品展(新宿伊勢丹7階) 2月15日~21日

  • クルッケンハウザーは写真を撮ることにおいてもその手腕は名高い。

クルッケンハウザーほか3指導員による特別講習会2月25日~3月9日

第一次特別講習会(苗場国際スキー場)2月25日~27日
第二次特別講習会(苗場国際スキー場)2月28日~3月2日
第三次特別講習会(白馬八方尾根)3月4日~6日
第四次特別講習会(白馬八方尾根)3月7日~9日

玉川学園創立者小原國芳の働きかけにより、東宮御所にて、クルッケンハウザー一行の皇太子殿下拝謁の儀が実現3月11日

小原國芳がクルッケンハウザー一行を皇太子殿下に紹介

歓送会(銀座東急ホテル)3月13日

羽田空港から帰国3月18日

『シー・ハイル』

なお、玉川大学出版部では、クルッケンハウザーの招聘と共に、現代オーストリア・スキーの技術を紹介した『シー・ハイル』を刊行した、1962(昭和37)年11月のことであった。その32年前、シュナイダーを招聘した際にも、玉川学園出版部はシュナイダーの著書『Wunder des Schneeschuhs』(スキーの驚異)を抄訳した『シュナイダーとアールベルク・スキー術』を刊行していた。

クルッケンハウザーは1988(昭和63)年10月1日に亡くなられた。享年83歳。葬儀は10月10日にオーストリアのザルツブルクで行われた。棺はトニー・ザイラー、ノイマイヤーなど、クルッケンハウザーに関わりの深いスキーヤーに担がれて墓地へと向かった。

参考文献

  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史 写真編』 玉川学園 1980年
  • 三笠宮寛仁著『皇族のひとりごと』 二見書房 1977年
  • 小原哲郎編『シー・ハイル -オーストリア・スキー-』 玉川大学出版部 1962年
  • 『全人』158号(1962年10月号) 玉川大学出版部 1962年
  • 『全人』159号(1962年11月号) 玉川大学出版部 1962年
  • 『全人』160号(1962年12月号) 玉川大学出版部 1962年
  • 『全人』162号(1963年2月号) 玉川大学出版部 1963年
  • 『全人』163号(1963年3月号) 玉川大学出版部 1963年
  • 『全人』664号(2003年11月号) 玉川大学出版部 2003年

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