玉川高等女学校(女学部)・女子高等部

2013.06.24

高等女学校(女学部)

自然の中で
生花

玉川学園創立から遅れること1年、1930(昭和5)年4月、学内では女学部と呼ぶ高等女学校が開校した。当時の学園案内によると、「健かなる身体、信念あり朗らかな心情、頭と手の両方ともに働くことの出来る女子を作って新時代に応じる方針」であると書かれている。
初年度の入学者は14人。出身地は鹿児島、北海道、樺太、長野、茨城とさまざまであった。校舎は新築の小学部の一棟が使用された。課程は5年制で、通常の学科のほかに女子に適した労作指導を行ったのが特徴的だ。
例えば、菜園、花壇経営、裁縫(和洋)、手芸、編み物、炊事、美術工芸、印刷といった種類の労作が行われた。一方、声楽、ピアノ、華道、茶道、タイプライターなどの練習にも力を注いでいた。
生徒は学園内に設けられていた女子塾に寝起きしていた。生徒は午前6時に起床し、炊事当番は学習の合間をぬって、男子生徒も合わせた90人分の食事を用意し、後片付けや掃除も行った。午前中の学習を終えると、午後からは労作に従事した。
ほかにも学内の畑で野菜を育てたり、土木では1週間に1回セメントで飛び石を造ったり、寄宿舎付近の道路を修復したりした。また、図書館のカード整理や、男子学生の玉シャツや作業服の縫製、カーテン作りなども担っていた。
また、新食堂ができたことを機に、炊事は女生徒の大きな労作の一つになった。料理の本や雑誌を参考に献立を考え、月末には通帳の整理や計算も行った。
開設当初の女学部はこのように、塾生活と日課、日々の労作と学習活動が一体になっていた。1932年には新しい校舎が完成。労作は次第に当番制と農芸部、土木部、工芸部、購買部、出版部、印刷部、機械部として独立。部員は責任をもって、自分の仕事に従事するようになる。例えば、農芸部は学園内の食生活の自給自足を目指してかなりの成果をあげ、工芸部は机やいすなど学園内の木工備品製作のほとんどを手がけた。また、土木部、機械部は学園村開発の先頭に立ち、購買部は学園生活に不可欠なものになった。出版部、印刷部は『女性日本』や『児童百科事典』を編集したりと、学園財源の最も大きな一つである出版活動の戦力となった。また、裁縫部は蒲団を60枚仕立てたり、玉シャツを130枚作ったりした。次第に、内容も充実し、生産性も向上。生徒の知識、技能、気力、体力、探究的態度といった面からも著しい成果が表れるようになった。
1945年に終戦を迎えると、学制改革が実施され、高等女学校は新制の高等部に移行、1949年に廃止となった。

女子高等部

ホームスパンを織る
1940(昭和15)年10月

洋裁 1931(昭和6)年
女子塾と生徒 1933(昭和8)年頃

1930(昭和5)年に高等女学校が発足した際、すでに高等科として2人の入学者があるが、女子高等部として設立したのは1935年4月、専門部の開設と同時期であり、組織上では専門部文科に含まれる。
女子高等部は高等女学校(女学部)を修了した女子が、より高等な一般的教養と実際的技能を身に付けることを目的としている。才気煥発な女学生の知的好奇心を満たしつつ、家庭人として社会人として、確固たる信念と能力を有する全人的指導をすること。単に講義や筆記による学習だけではなく、図書館や研究室において、師弟ともに研鑽しながら真理を探究する精神を育むこと。労作を通じて健全な身体と人生の労苦に耐えうる力を養うことが、教育目標として「玉川塾女子高等部要覧」に記されている。
自然豊かな学園の環境を生かして草花や野菜が栽培され、音楽や美術教育も積極的に行われた。学科としては、国語、国文学史、漢文、心理学、哲学史、英語、独語、仏語、洋裁、茶道、華道などが開講された。午後から行われた労作では、「女性日本」係と裁縫部に分かれて作業を行った。『女性日本』は編集部、読者係、会計部、発送部から成り、裁縫部では染色、和裁、洋裁を広く学んだ。当時の労作は、労作のための労作というより、学校生活そのものが労作であった。
後年『女性日本』編集時の思い出を、卒業生は次のように語った。「時々、掲載するためのインタビュー記事を取りに行きました。先生は『一流の人に会うことだよ。それが教育なんだよ』とおっしゃるのです。それはそうでしょう。理想でしょう。でも、それがどんなに難しいことか……。私達は先生の紹介状と1枚の名刺を持って、有名な方に会えることのみ心を弾ませ、嬉々として出かけたものです。名刺には『ムスメたちをよろしく!』と、一言の添え書きがしてありました」。
学生たちは女子塾に共同で寝起きし、朝の礼拝をはじめ、ともに食し、ともに学び、運動に学習に勤しんだ。女子高等部は男子における専門部生と同様、玉川学園における最上級生であり、学生たちもその自覚と誇りを持って勉学に労作に励んでいたようだ。
女子高等部が開設した初年度の学生は4人、翌年は10人という極めて家族的な構成であった。1936年から1949年までに56人の卒業生を輩出した。

参考文献
玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 1980
玉川学園同窓会編『玉川学園同窓会2002会員名簿』 玉川学園同窓会事務局 2003
小原芳明編『全人』No.671 玉川大学出版部 2004 
『玉川高等女学校設立認可申請書』