玉川こども百科

2014.03.20

「幼児期にこそ本物を」の想いから生まれた100冊の百科辞典

玉川学園にはさまざまな「初めて」がある。その一つが「日本で最初の児童向けの百科辞典の刊行」であり、1932(昭和7)年に出版された『児童百科大辞典』だった。そしてその後、太平洋戦争を挟んで玉川学園の百科辞典出版事業は継承されていく。その中でも全100巻と群を抜いて巻数の多い百科辞典が、『玉川こども百科』だった。

戦前、『児童百科大辞典』を出版し、戦後になって玉川学園では『学習大辞典(全32巻)』を1947(昭和22)年から1951(昭和26)年にかけて、そして『玉川児童百科大辞典(全30巻)』を1950(昭和25)年から1953(昭和28)年にかけて、続けざまに出版していた。そしてさらに、これらの百科辞典の読者よりもさらに若い年代である幼稚園児から小学1〜3年生に向けた百科辞典を作りたいと、小原國芳は考えていたのだった。ただ、それは小原自身も「一番難しい」と感じる事業だった。そこで以前からこの年代に向けて挿絵や写真を中心に据えた書籍シリーズを刊行する計画があったが、これを『玉川こども百科』と名付け刊行することにした。読者対象を幼稚園児から小学校低学年児に絞ったこの百科辞典の出版も、前出の『児童百科大辞典』同様に日本で最初の試みであった。
実際に「小学校低学年児に、深い知識を、分かりやすく」伝えることは多くの困難を伴った。それでも学園の教員や官公庁、企業、そして多くの卒業生の協力もあり、『玉川こども百科』は徐々に形づくられていくこととなる。最初に発行されたのは1951(昭和26)年の『汽車・電車』。直後に『自動車』も発行され、ここから100巻という壮大なスケールの百科辞典の編纂・刊行が、幕を切って落とされた。

店頭に並ぶ玉川こども百科

100巻の内訳は「理科(計36巻)」「社会科(計40巻)」「芸術(計11巻)」「ことば・伝記・童話(計13巻)」といった内容だった。そして一冊ごとにテーマを決め、絵や写真を用いてくわしく説明していった。たとえば理科で「地球」といった巻があるかと思えば、社会科には「お金の話」といった巻があるなど、内容も多岐にわたっていた。中には「みつばち」といった巻もあった。これは当時の玉川大学農学部で教鞭を執っていた岡田一次教授がみつばち研究の権威であり、その知識を一冊にまとめたものだった。ちなみに岡田はその後、玉川大学ミツバチ科学研究センターの初代所長にも就任する。この巻に収められた写真は岡田をはじめ写真部の主任写真部員が、2年以上をかけて撮り溜めたものを使用しており、まさに研究の成果を生かした内容の濃いものであった。
その他にも『飛行機』の巻は玉川工業専門学校で指導顧問を務め、玉川大学でも科学の講義を担当した、日本のロケット開発の父である糸川英夫が協力した。さらに童話作家の浜田廣介、児童文学者の巽聖歌、インド哲学者の中村元、考古学者の樋口清之といった実力者が著者として名を連ね、多くの巻の挿絵を影絵で知られる藤城清治や日本画家の片岡京二が手がけるなど、内容、体裁のすべてにおいて力を抜くことのないつくりになっていた。刊行当時に発行された『全人』にも、小原國芳が「美しい文章と歌で、幼き日に真実、正確なものを  科学日本が生まれるために俗悪な色絵 ごまかしの空想画は子供教育に有害」と記したように、すべてが本格的な内容だった。
このように、子ども向けだからと手を抜くことなく作り上げた『玉川こども百科』は、大正期の児童雑誌『赤い鳥』に、芥川龍之介や北原白秋といった当代一の書き手が子どもたちのために筆をふるったことと相通じるものがある。

こうした『玉川こども百科』の編纂にあたり、陣頭指揮を執ったのが、後に理事長・学長・学園長、総長となる若き日の小原哲郎だった。その編集作業は多くの困難を伴い、小原國芳は『全人』誌の「身辺雑記」や「編集室」の中で、「苦労です」「大変な苦労」「大変な労作」を連発していた。
けれども質の高いものをめざした國芳、哲郎らの苦労は多くの読者の感激の声によって報われることとなる。また『春の植物』『夏の植物』『秋冬の植物』の3冊が、1959(昭和34)年5月5日の産経新聞において「新機軸の植物図鑑、年少者にも理解できる解説」と評価され、第6回産経児童出版文化賞を受賞。児童向けの百科辞典として、唯一無二の存在となる。そして第1巻の刊行から9年の月日がたった1960(昭和35)年12月、遂に100巻目を刊行し、この壮大な事業は完結した。
多くの苦労を伴った『玉川こども百科』は、出版界での評価は高かった。また、主たる読者であった子どもたちにも熱狂的に受け入れられ、大人になってからも幼少期に親しんだこの本を懐かしく回顧する人が多いという。「子供のための良書」という玉川学園の思いは、こうして結実を見るに至ったのだった。


参考文献
小原國芳編『全人』第21号 玉川大学出版部 1951
小原芳明編『全人』第689号 玉川大学出版部 2005
小原芳明編『全人』第752号 玉川大学出版部 2011
玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園50年史』 玉川学園 1980