「人生の最も苦しい いやな 辛い 損な場面を真っ先きに微笑みを以って担当せよ」(玉川モットー)

正門の玉川池の石組みにも刻まれている玉川モットー。昭和36(1961)年に製作された。そのモットーはどのようにして生まれたのか、その変遷を辿ってみる。

昭和4(1929)年6月に創刊された『学園日記』の、創立者小原國芳が書いた「少年たちに告ぐ 新しい学園の生れましたわけ」の中に、次のような言葉が記載されている。「とってもつらい苦しい悩ましい困難が君達を試練することであろう!・・・(略)・・・喜んで、困難を友としてよ、微笑みを以って辛苦を迎えてよ。・・・(略)・・・喜んで損をする人間になってよ。最も苦労の多い場面を真先に選んでよ。」と。この言葉が、玉川モットーの原点になったものと思われる。

そして、昭和5(1930)年1月に刊行された雑誌『教育研究問題・全人』(42号)の中に「新しく玉川学園が生まれたわけ」として、「全人教育の立場からホントの真を掴み、ホントの善を経験し、ホントの美しさを理解し、聖の世界のわかる人間を育成せんがために他ならぬ。さらに喜んで困難と闘い、人生の一番辛い損な場面をも率先して引き受け、国のため、社会のため、人類のため捨石となり土台となり得る真人間・・・(略)」という國芳の言葉が記載されている。

また、昭和7(1932)年9月の『塾生に告ぐ』の中で、「第二里を行く人を 世の中の いやな つらい 苦しい 困難なことを微笑を持って 真っ先にやる人を 誰だって探しているのだ 心から待望しているのだ かかる人になる準備をすることだ その心構えのないような人はドコへ行ったってダメだ。」と國芳は力強く訴えている。

昭和10(1935)年から昭和12(1937)年頃の学校案内等の学園概要では、「第二里行者と人生の開拓者」と題して「人生の最もいやな つらい 苦しい 困難な 損な場面を真っ先に微笑を以って担当し得る第二里行者が欲しいのです。」と國芳は書いている。ただし、モットーとは注記されていない。

昭和15(1940)年、学園の概要をまとめた小冊子『玉川塾の教育』というパンフレットの「第二里行者と人生の開拓者」という項目の中に、「『人生の最もいやな つらい 苦しい 困難な 損な場面を真っ先きに 微笑を以って担当せよ。』とは玉川っ児のモットーであります。」と記載されている。そして、「いやな つらい 苦しい 困難な 損な」は、昭和34(1959)年以後、現在と同じ「苦しい いやな つらい 損な」の順番に変化していった。

この玉川モットーは、困難に立ち向かい、それを担う気概のある人材が生まれることを願い、学生、生徒、児童、園児、そして教職員を対象に、全学共通の実践目標として掲げられている。

参考文献

岩渕文人『玉川学園金石誌(墨書解題)』
『学園日記』(創刊号)1929年6月
『教育研究問題・全人』(42号)1930年1月
『塾生に告ぐ』1932年9月
『学校案内』1935年、1936年、1937年
『玉川塾の教育』1940年