玉川大学・玉川学園Webサイト
IEサポート終了のお知らせ

玉川大学・玉川学園webサイトTOPページリニューアルに伴い、Microsoft 社の Internet Explorer(以下、IE)のサポートを終了いたしました。本学園が運営するサイトをIEで閲覧した場合正しく表示されない恐れがございます。
皆様にはご不便をおかけしますが、別のブラウザを利用しての閲覧をお願いいたします。

玉川豆知識 No.191

草刈り十字軍と玉川大学

草刈り十字軍は、富山県大山町(現在の富山町)の造林地でのヘリコプターによる除草剤散布を防ぐために、1974(昭和49)年、「手で草を刈ろう」と全国から若者が集まり、約10日間合宿して、8月の炎天下の中で下草刈りをしたことが始まりです。それから43年にわたりこの草刈り十字軍の活動は続きました。まさに森林ボランティアの元祖のような活動でした。玉川大学の学生たちも発足初年度から参加し、22日間で42.5ha(ヘクタール)を刈りました。玉川大学隊は「ただ、草を刈るだけでなく、地域との交流、そして森を学ぶ」という精神を大切にし、この活動を「草学塾」と名づけて下草刈りに取り組みました。

1.草刈り十字軍の誕生

造林地においては、植栽した木々が周囲の雑草によって生育が妨げられ、生存ができなくならないように、下草刈りを定期的に行う必要があります。下草刈りの時期は7月下旬から8月上旬が一般的で、非常に手間のかかる作業です。そのため1970年代には除草剤を散布することなどが併用して行われていました。

当時富山県立技術短期大学教授だった足立原貫氏(後にNPO法人農業開発技術者協会・農道館理事長)は教え子たちと、過疎化が進んだ富山県大山町小原で新しい形態の農業に挑戦していました。1973(昭和48)年、その農地の裏手に広がる造林地に、ヘリコプターで除草剤を散布することが計画されました。薬剤によって水が汚染され、生態環境破壊を招くと危惧した足立原氏は、町や森林開発公団に除草剤散布の計画を中止するよう陳情。だが、訴えはうまくいかず、次に県と交渉。取り敢えず除草剤の散布は延期されました。しかし対案がない反対では問題解決にはならないと言われた足立原氏は教え子たちと相談。その結果、自分たちの手で造林地の下草刈りを行うことを提案。しかし、造林地は約200haという広さで、足立原氏と教え子たちだけでは到底すべての下草を刈ることは困難でした。

そこで足立原氏らは、全国の学生たちにボランティア活動への協力を呼びかけ参加者を募りました。そして「草刈り十字軍」と銘打って、1974(昭和49)年の夏より人の手による草刈り活動を開始。初年度は約187haを刈ることができました。数日間の合宿によるこの活動は、炎天下の中、急斜面で大型の刃物を扱う危険を伴う重労働でありましたが、参加した学生たちの環境保護の意識を高めることとなりました。翌年の1975(昭和50)年からは県もこの活動を支援し、200万円の予算を付けてくれることに。なお、その後この活動は、東京、神奈川、新潟、京都、滋賀など全国各地へと波及していきました。

2.玉川大学生はじめ全国の若者たちが参加

1974(昭和49)年の草刈り十字軍発足にあたって、足立原氏は全国の大学を駆け巡り、講演会を開催したり、学生が集まっている場所で勧誘をしたりして、参加者を集めていきました。その甲斐あって富山県立技術短期大学はもちろんのこと、玉川大学、山形大学、同志社大学、国際基督教大学、和光大学、大阪府立大学、東京農業大学、獨協大学、早稲田大学、千葉大学、東海大学など40を数える大学の学生たちが参加。加えて社会人や高校生などの若者も集まり、下は15歳から上は44歳までの250人を超える参加者が、平均10日間(玉川大学隊は22日間)にわたる作業に携わりました。

この時玉川大学からは20人の学生が参加し、7月17日に福光町刀利に入山。22日間で42.5haを刈りました。現地は水道やガス、電話はなく、風呂はドラム缶を調達してドラム缶風呂を製作、電気は必要に応じて発電機で発電するといった生活環境でした。玉川大学隊は、「ただ、草を刈るだけでなく、地域との交流、そして森を学ぶ」という精神を大切にし、この活動を「草学塾」と名づけて草刈りに取り組みました。

第1回草学塾参加者(一仕事を終えて山頂にて)
第1回草学塾出陣式(玉川学園の塾食堂前にて)

「草学塾」初代の隊長は、玉川大学の塾(寄宿舎)舎監をしていた農学部卒業生の岡田隆史さんです。岡田さんは著書『美味しさはあっとハート フランス料理のシェフが綴る笑いと涙のかくし味』の第2章で「草刈り十字軍・草学塾」について述べています。また岡田さんは1983(昭和58)年に家族とともに富山県福光町に移住を決意。1987(昭和62)年に福光町にフランス料理専門店を開業。草学塾を支援する基地となりました。映画『草刈り十字軍』では、岡田さん役を劇団俳優座所属の塩山誠司氏が演じています。

結団式(第1回草学塾)

北日本新聞1993年8月10日付「20歳の草刈り十字軍(中)草学塾の絆 温かいハートに支えられ歴代隊長が記念の集い」につぎのような記述があります。

草刈り十字軍は県内四カ所に入山している。大沢野、大山、小矢部そして福光。現在、大沢野と大山は関東の学生の小グループを核に、一般参加者が加わっている。小矢部は、同志社大と鳥取大の合同編成。福光は玉川大を主体にやってきた。それぞれの隊のカラーがあるが「草学塾」と名乗りを上げたのが、玉川大隊だった。
四十九年七月。草刈り十字軍を提唱した足立原貫県立大教授の呼び掛けに応じて、玉川大学の塾(寄宿舎)舎監をしていた岡田隆史さんら二十人の学生が最初に挑戦した。
「いい出会いがある町」と福光町に入山。「ただ、草を刈るだけでなく、地域との交流、そして森を学ぶ」精神を大切に「草学塾」と名づけた。初代十字軍の活躍はすごかった。二十二日間で四十二・五ヘクタール。

  • ちなみに1ヘクタールは100m×100mの大きさであるが、平地ではない山地では傾斜の角度によって広さが変化する。あくまでも航空写真による面積表示。

また、『きみ、青春の一夏 山へ入って 草を刈ろう 草刈り十字軍写真集』(桂書房/1994年発行)に岡田さんが草学塾について文章を寄せています。その中から数行を抜粋して以下に記載します。

この運動への参加は決してアルバイト的発想でも、単に労働力の提供でもない。下草と戦うことを通して山林や自然界の実情を学び、地域の人達との交流をはかりながら文化、歴史にも触れたい。そして私達が大学で実践してきた規則正しい塾生活をここでも展開していこう。こうした私自身の気持ちを込め、草刈り十字軍・玉川大学草学塾は生まれたのである。
この年は、前半戦のほとんどが雨に打たれるなかでの草刈り作業であった。地元の方々のご指導でゴザでつくった蓑をまとい山に入った日もあった。ドラム缶の風呂で汗を流し、岩魚の骨酒(こつざけ)に酔っぱらった夜もあった。
私達はそれでもがむしゃらに草を刈った。二十名、二十二日間、四十二・五ヘクタール。この私達の作業記録は二十年たっても未だに破られていない。

廃校での懇親会(第1回草学塾)

この時学生として参加し、翌年の第2回も参加、1976(昭和51)年の第3回では草学塾隊長を務められたのが水野宗衛さん。玉川大学のホームページに掲載されている農学部のコラムに、「学生時代の思い出」(2011年6月9日に掲載)というタイトルで草刈り十字軍のことを綴っていらっしゃいます。その中の数行を抜粋しました。

玉川大学でも20名ほどの学生が集まり、7月の後半から8月中旬にかけ、ガスも上水道も電話もない山小屋で合宿生活を送りながら、山林の下草をひたすら刈り続け、40ha以上の山林の除草を行いました。本当に毎日がつらい作業の連続でしたが、地元のお祭りや交流会に積極的に参加し、つらい記憶よりもみんなで頑張った楽しい記憶が多く思い出されます。当時お世話になった森林組合の皆様とは今でも交流しています。

福光町の方々による講話(第1回草学塾)
大太鼓の練習(第1回草学塾)
宿舎前で大太鼓の練習(第1回草学塾)

さらに水野さんが草刈り十字軍の思い出について、次のようなコメントを寄せてくださいました。

「山林の下草刈り」は経験したことのない人には決して理解できない大変な作業です。しかも生活環境は、水道、電気、ガス、風呂も無くもちろんコンビニもない現在では考えられない過酷な環境。さらに夏の早朝や薄暗くなった夕方になると北陸地方の山間部に大量発生する吸血アブ「オロロ」に苦しめられる日々。そんな過酷な日々が続きましたが、それでも多くの仲間が毎年声を掛け合って参加しました。その背景には、現地福光町で学生の受け入れに心血を注いでくださった、森林組合の山崎勝一さんと本田粂蔵さんお二人の大きな存在があったことが大変大きいと思います。このお二人の協力無しでは玉川隊は実現しなかったと思います。山の中のぽつんと一軒家の宿舎には電話はありません。もちろん携帯電話などあるはずがありません。外部との連絡の手段は、唯一森林組合との無線のやりとりでした。山崎さんとの朝晩の無線によるやりとりは、互いの毎日の安全確認と日々の食料や生活用品のお願いなど多岐にわたりましたが、常に快く対応していただき感謝しかありません。今でも山崎さんの富山なまりの「こきりこ」の歌は忘れることはありません。
大鎌の使用方法や鎌研ぎの方法そして下草刈りの現場での指導は本田さんでした。小さな身体でしたが、いつもほほえみを忘れずに接してくださり、時に学生達と競い合って下草刈りを行いました。休憩時間でのたわいのない話も夢中で話したものでした。
作業現場は宿舎近くにはほとんどありませんでした。作業現場近くまでは学生達を車に乗せ移動、さらにそこから現場まで歩く(登山かな)ことがほとんどで、1時間以上歩かないと到着しない現場もありました。急峻な山道を先頭に立ち、重い荷物を担ぎながら現場まで案内し、作業の指導をする本田さんの姿は今でも目に浮かびます。
今思えば、山﨑さんも本田さんも決して若くはありませんでしたが、24時間体制で我々の安心安全を全力でサポートしてくださいました。まさに玉川大学が目指している、全人教育の師弟同行、24時間の教育を身をもって実践してくださいました。お二人には心より感謝申しあげます。

第1回草学塾の参加者
草刈り機も使用(第1回草学塾)
草刈り後の楽しいひととき(第1回草学塾)
越中五箇山見学(第1回草学塾)
近くのお寺を参観(第1回草学塾)
第2回草学塾の参加者
第4回草学塾の参加者
第4回草学塾の参加者

1978(昭和53)年には現地にて「玉川大学草学塾5周年の集い」が開催され、本学からは相原幸一学生部長(当時)らが出席。定村福光町長(当時)や関係部長から相原学生部長および参加学生全員に感謝状が手渡されました。また石碑および立山杉の若木5本が寄贈されることになりました。炎天下の中、黙々と下草を刈る学生たちの姿に心を打たれた地区の方々からの贈り物でした。寄贈された石碑と若木は同年11月26日にトラックで玉川学園に運ばれました。翌27日に定村福光町長も出席され、玉川学園キャンパスにて植樹式を開催。草学塾OBの方々も出席されました。なお、石碑は玉川学園キャンパス内にある野草園の入り口付近に設置されました。草学塾も翌1979(昭和54)年、福光町荒木の砺波広域圏・健康増進センター(当時)の前庭に小原國芳揮毫の「夢」の文字が彫られた黒御影石の石碑を建立。あわせて記念誌を発行しました。

玉川大学草学塾5周年の集い
野草園の入り口付近に設置された石碑
小原國芳揮毫の「夢」の文字が彫られた黒御影石の石碑

第5回、第6回、第7回、第11回の計4回草刈り十字軍に参加し、第7回では草学塾隊長、草学塾20回記念の集いでは事務局長、草学塾30年記念同窓会では幹事長を務められた大野太郎さんにも、当時の様子をお聞きしました。

植栽の手入れで生じる草の匂いは、学生時代に山で草を刈った懐かしい記憶を呼び起こします。当時、玉川の丘には大学塾(暁峰、梁山、竜胆、海棠、桔梗)があり学生約350名が舎監とともに生活していました。玉川学園12の教育信条の1つ「塾教育」(現在は「24時間の教育」)に基づく教育活動です。その大学塾において草刈り十字軍(草学塾)の募集が行われていました。1978(昭和53)年、大学1年生の6月頃、先輩方から「大自然に身を置き、塾生活をしながら草を刈る。もちろん給料も出るぞ。地元の人たちと交流する機会もある。素晴らしい夏になるぞ。ぜひ一緒に行こう!」との強力な勧誘を真に受け、7月中旬上野発の夜行列車に乗ることになったのです。
翌朝到着した国鉄(JR)富山駅前で第1回に設置された石碑「地球は緑であってほしい」周辺の草むしりを終えバスで福光町へ。福光町役場での入山式にて大鎌が手渡されました。そして森林組合のマイクロバスで山中の宿舎「青年の山」へ向かったのです。その日から山小屋での生活が始まります。日替わりの食事当番が沢から引いた水で自炊、夕飯は肉なしカレー、タンパク質はマグロフレーク缶詰。ドラム缶風呂、満天の星空、虫の声。物珍しい世界を楽しんだのはここまで。
翌朝、体操、礼拝に始まる草学塾の初日は大鎌と砥石が支給され森林組合職員による鎌研ぎ講習。そしてヘルメットを被り山に向かいます。当時の私は肌が弱く刈った草の汁を浴びて全身かぶれました。その後の炎天下での草刈りは想像を超える苦行でした。そして毎日山で草を刈る日々の中で何度も「もう二度と来ない」と考えるのです。草刈りは自分自身との戦いですが、ともに生活する仲間や地元の方々の支援があったからこそ乗り越えられました。山での最終日、草を刈り終わった感激も想像以上でした。打ち上げの際、思わず言った「また来年も必ず来ます!」には自分自身が驚きました。後に振り返れば、まさに学び多き一大労作の場でした。給料から毎日の食材費や鎌、砥石、ヘルメットなどの経費、交通費を差し引いたら残りは帰りのお弁当代くらい。しかし、不思議なことに安堵感と達成感で胸がいっぱいだったことを覚えています。
その後、私の人生の中で通算約25年、草刈り十字軍(草学塾)に関わることになったのです。

第5回草学塾参加者
入山式(第5回草学塾)
鎌研ぎ(第5回草学塾)
草刈り(第5回草学塾)
草刈り(第5回草学塾)
草刈り(第5回草学塾)
昼休憩(第5回草学塾)
礼拝(第5回草学塾)

また、学生部の職員がクラブ活動の合宿巡りの途中で現地を訪問し、数日間、学生たちと生活を共にし、草刈り活動にも参加しました。1978(昭和53)年の第5回草学塾に学生部職員として参加された山田剛康さんが、その時の様子を次のように語っています。

草刈り十字軍には本学では塾生が中心となって参加。草学塾として塾生活の形式でこの活動が行われました。朝5時頃に起床、体操と簡単な礼拝を行った後、朝食を食べ、作業道具の準備をして山へ。時には1時間、道なき山の斜面を、大きな鎌と弁当、ペットボトルを持って登りました。作業用ツナギを着て、地下足袋を履いた出で立ちで。大きな鎌は危険なので振り回さないよう指導があり、鎌を引くようにして草を刈るため、毎日鎌を研ぐことが必要でした。毎日研がないと草を刈れなくなってしまいます。その大きな鎌は一人ひとりに配付され、個人管理となります。山小屋には学生たちだけで宿泊。学生たちが当番制で朝と夜の食事(カレーライスなど簡単なもの)を準備。さらに山で食べる昼食用の弁当とお茶を人数分用意します。弁当といっても、梅干しに塩昆布、そしてご飯といった簡単なもの。昼食時、地べたの上に置いておいたアルミ製の弁当箱を開けると、ご飯の上に蟻がいっぱい、なんてこともありました。さらにペットボトルに入れてくれたお茶を飲もうとしたら虫が侵入していたり。日常では考えられない出来事をいろいろと体験しました。アブやハチに刺されたり、うるしにかぶれたりすることもしばしばあります。さらに風呂はドラム缶。上級生から順番に入ります。風呂に入り、夕食を食べ、ミーティングが終わると、一日の疲れがどっと出てきて、食事当番以外は午後8時ぐらいには寝入ってしまいます。また草刈りを数日行った後、中日には地元の方々との交流会が開かれました。例えば、草鞋づくりを習ったり。草鞋はすべりにくいということで、実際に履いて山小屋の周りを歩き回ったりしました。我々学生部の職員らは数日間だけの参加でしたが、それでも急斜面での作業で疲労困憊でした。しかし今思うと懐かしく、良き思い出となっています。

草刈り(第5回草学塾)
草刈りの準備(第5回草学塾)
ドラム缶風呂(第5回草学塾)
鎌研ぎ(第5回草学塾)
夕食の準備(第5回草学塾)

1986(昭和61)年、草学塾に女性が初めて参加しました。文学部2年生の徳永貴子さんと文学部1年生の山本佳也さん。彼女たちは宿泊する山小屋での炊事や洗濯を主に担当。当時、新聞記事に徳永さんがつぎのような内容で紹介されました。水道、電気、ガス、電話もない生活に飛び込み、最初は泣き出すこともあったが、隊員のお母さん役として大活躍と。実は二人の女性たちは途中までの参加予定でしたが、徳永さんは最終日まで残ることに。一番困ったのは入浴。ドラム缶風呂にはさすがに入ることができず、時々の街への買い出しの際に福光温泉で入浴していたそうです。

1990(平成21)年、草学塾に初めての女性の隊長が誕生。文学部3年生の所谷紀子さんで、翌年も隊長を務めました。彼女は1年生の時から草学塾に参加し、男性隊員とともに山に入り草刈りを行いました。4年間草学塾に参加した彼女は、どの隊員からも「お姉ちゃん」と慕われ、そのことは新聞記事でも紹介されています。

草学塾の活動は、上述のとおり草刈り十字軍の中でも人里から遠く離れた陸の孤島である福光町の山林を活動拠点として、1974(昭和49)年から1993(平成5)年までの20年間、玉川大学の単独チームとして草刈り活動を続けてきました。草学塾の最後をまとめたのは、第19回、第20回の隊長を務めた農学部3年生(第20回当時)の浦口亮一さんです。浦口さんは第20回草学塾の翌年1994(平成6)年にも現地を訪れ、第1回隊長の岡田隆史さんとともに砺波森林組合、富山県林政課など関係各所に草学塾活動終了の報告をしました。

草学塾は毎年平均約20人(最大38人、最少15人)の参加者で、平均約20haの草刈りを行い、その作業は先輩から後輩へと受け継がれていきました。数多くの大学の学生たちがこの草刈り十字軍の活動に参加しましたが、長い期間、毎年コンスタントに一定の人数が参加している大学は玉川大学(草学塾)だけでした。

第7回草学塾入山式

3.その後の草刈り十字軍

2015(平成27)年まで全国より述べ数万人(1993年までが23,167人)が参加し、草刈りを行った面積は延べ約1,860haに達しました。しかし参加人数がピーク時の1~2割に減ったこと、除草剤が改良されたことなどから、2016(平成28)年8月の活動を最後に43年の歴史に幕を閉じることになりました。最後の活動は8月1日からの10日間、16都道府県の49人が参加して行われました。そして富山県内の4地区で12.5haの草を刈ることができました。同年9月17日に射水市で草刈り十字軍の修了式を開催。草刈り十字軍はこの修了式をもって幕を閉じましたが、その翌年の2017(平成29)年8月23日・24日には、元参加者有志10人による活動が行われています。

「草刈り十字軍」の活動は高く評価され数々の賞を受賞。1989(平成元)年10月にソロプチミスト日本財団から「第10回青少年ボランティア賞」、1993(平成5)年6月に第11回「朝日森林文化賞」、1995(平成7)年4月に社団法人国土緑化推進機構から「第6回みどりの文化賞」、 1997(平成9)年1月には「北日本新聞文化賞」をそれぞれ受賞しています。

1997(平成9)年には『草刈り十字軍』という題名で映画化もされています。1995(平成7)年7月に映画製作の準備が開始され、翌年、クランクアップ。そして1997(平成9)年1月に公開上映されました。上映時間100分。さらに翌年には英語版(英語字幕、日本語音声)が完成し試写会が開催されました。この映画の原作は足立原氏と野田伸氏共著のノンフィクション『山へ入って草を刈ろう――「草刈り十字軍」17年の軌跡』(1991年朝日新聞社発行)。脚本・監督は『YAWARA!』の吉田一夫氏。吉田氏はこの作品で厚生大臣賞を受賞。企画は『カルメン故郷に帰る』、『二十四の瞳』、『楢山節考』などを監督した木下恵介氏。実は原作が出版されてから映画化までに10年の歳月を費やし、そのため当初監督予定だった木下恵介氏はこの間に死去。キャストは足立原貫役を『戦争と人間』、『忍ぶ川』、『砂の器』の加藤剛氏、綾部葉子役を『ゴジラ』、『名もなく貧しく美しく』の河内桃子氏が演じています。

監督の吉田一夫氏著「人ありてこそ我あり 草刈り十字軍から学んだこと」(林野庁情報誌「林野-RINYA-」2007年12月号)に次のような記述があります。

撮影の事前取材に行ったとき、外から見ていては分からないと痛感し仕事を忘れて二週間、ともに草を刈りました。お山の拭き掃除とも呼ぶべき大変な作業で、これは無理だと幾度もへこたれそうになりました。しかし参加していた仲間たちに支えられ、ついに刈り終えることができたのです。その時味わったのは何にも代えがたい感動です。
森林ボランティアがすばらしいのは目に見える成果はなくとも次世代に何かを残すことができるという純粋な奉仕精神にあります。日本の文化が育んだ森を大切にする素敵さを子どもたちにも学んで欲しいです。
私は今年還暦を迎えましたが、人生の思い出として34回目となる草刈り十字軍に再び参加しました。老若男女、61人が参加しました。体力的に大変でしたが、もう一度仲間とともにあの感動を味わえました。

富山県福光町に草刈り十字軍に関する石碑が4つ建てられました。最初に建立された石碑には、「地球は緑であって欲しい 玉川大学草学塾 1974年秋」と書かれています。「地球は緑であって欲しい」は岡田隆史さんが提唱した文言です。この石碑は、第1回草刈り十字軍・草学塾の参加者が出し合った寄付金を富山県内の緑化事業に役立ててほしいと毎日新聞社に託したところ、富山県林政課と富山市が受け入れを申し出てくれて、1974(昭和49)年秋に富山駅前の緑地帯に白樫の若木とともに「緑の記念碑」として建立されたものです。石彫刻家の岩城信嘉氏が石彫を担当。1987(昭和62)年には富山駅前の改修工事に伴い猿倉山公園に移設。さらに現在は、以下の3つの石碑とともに福光町にある岡田さんのフランス料理専門店の敷地の一角に設置されています。

石碑「地球は緑であって欲しい 玉川大学草学塾 1974年秋」

1988(昭和63)年8月、草刈り十字軍15回記念に建てられた石碑(幅95cm、奥行30cm、高さ98cm)には、「地球は緑であってほしい 一九八八年八月 草刈り十字軍十五回記念 玉川大学草学塾 福光町長 定村栄吉」と書かれています。定村町長自ら揮毫。2003(平成15)年7月12日には草刈り十字軍三十周年記念同窓会が開催され、これを機に「地球は緑であってほしい 草刈り十字軍 草学塾 三十周年記念 平成十五年七月 寄贈 山崎勝一」と書かれた石碑(幅155cm、奥行30㎝、高さ95cm)が建てられました。

15回記念に建てられた石碑
30周年記念に建てられた石碑

1979(昭和54)年に福光町荒木の砺波広域圏・健康増進センター(当時)の前庭に建立された小原國芳揮毫の「夢」の文字が彫られた黒御影石の石碑も、現在は岡田さんのお店の敷地の一角に置かれています。2008(平成20)年に砺波(福光町)森林組合が広域合併により、富山県西部森林組合に再編されたことに伴い、同年に移設されました。この石碑は、草学塾の活動5周年を記念して、当時の草学塾隊長と38人の玉川大学生が費用を出し合って建立したものです。

石碑の表側
石碑の裏側

4.玉川大学草学塾20回記念の集い

1993(平成5)年8月8日に草学塾OBたちが福光町の中央会館に集い、「玉川大学草学塾20回記念の集い」が開催されました。集いには、草刈り十字軍の提唱者である足立原教授をはじめ福光町長、富山県の林政課長など多数の方々が出席。その集いのことが、北陸中日新聞1993年8月9日付「福光の森林守ります 草刈り奉仕20周年 玉川大草学塾OBらが記念の集い」に次のように記されています。

関係者約二百人が出席した集いでは、初代隊長で同町に住み着きレストランを経営する岡田隆史さんが「人数が集まり過ぎて、プレハブを建てたり、オペラコンサートを開いた年もあった。苦しい作業を二十年間も続けることができたのは、皆さんの温かいハートがあったからです。どうもありがとうございました」とあいさつ。足立原教授も「ただ反対するのではなく知恵を貸し、力を貸した草刈り十字軍はこれまでの住民運動の在り方を変えた」と、生みの親として運動の意義を述べた。

草学塾20回記念の集い

集い終了後、福光中学校に場所を移して玉川大学合唱団(65人)の演奏会が催されました。約500人近くの住民が参加。合唱団は「森の音楽会」と題して森にちなんだ曲を披露。なお、合唱団はその他8月5日から8日の間に、福光南部小学校、福光中部小学校、福光東部小学校、吉江中学校でも演奏会を開催しました。

「玉川大学草学塾20回記念の集い」開催にあたり、第1回から第19回までの草学塾隊長経験者を中心に玉川大学草学塾20回記念事業実行委員会が組織されました。実行委員長は第1回隊長の岡田隆史さん、事務局長は第7回隊長の大野太郎さん、実行委員には工藤俊一さん、水野宗衛さん、浅利茂さんなど、委員会は総勢20人で構成されました。

「玉川大学草学塾20回記念の集い」の前日には、記念植樹が行われました。全国から駆けつけた草学塾のOB・OGの方たち約20人と受け入れ側の地元森林組合の方々の手で、白樫の若木が植えられました。夕方からは、草刈りを終えたばかりの学生たちも加わり懇親会が開かれました。

草学塾20回記念植樹

草学塾の20年間の歩みは以下のとおりです。

事項
1974(昭和49)
  • 足立原教授の呼び掛けで、塾舎監だった岡田隆史さんが20人の塾生とともに福光町刀利に入山。「玉川大学草学塾」が発足。
  • 草学塾生の寄付金を基に、富山駅前に石彫刻家岩城信嘉氏の作による「地球は緑であってほしい」(岡田さんが提唱)の記念石碑の建立および記念植樹(白樫)を行う。
1978(昭和53)
  • 福光町が草学塾満5年を記念して、玉川大学に立山杉5本を寄贈。定村福光町長はじめ福光町関係者5人が参加して玉川学園キャンパスにて記念植樹式を行う。
1979(昭和54)
  • 草学塾5周年を記念して、福光町荒木の砺波広域圏・健康増進センター(当時)の前庭に小原國芳揮毫の「夢」の石碑を建立。あわせて記念誌を発行。
1983(昭和58)
  • 草学塾10回を記念して、富山県内全体の草刈り十字軍合同の祭典と記念100㎞マラソンを開催。『草刈り十字軍10年のあゆみ』を発行。あわせて福光町が玉川大学に、福光町野地の町有林20アールの山林を提供。「玉川の森」と命名。
1985(昭和60)
  • 草学塾が福光町音楽協会との共催で、福光町福祉会館にて、「草刈りの夕べ」コンサートを開催。
1986(昭和61)
  • 玉川大学文学部芸術学科「ピーコックヒルズ」(草学塾参加者を中心とする16人)声楽コンサートを、福光町福祉会館にて開催。福光町音楽協会が後援。
  • 草学塾に初めての女性2人が参加。
1987(昭和62)
  • 草学塾に玉川大学生以外の参加者を受け入れ。
1988(昭和63)
  • 草学塾15回記念に、定村福光町長が揮毫した「地球は緑であってほしい」と書かれた石碑を、岡田隆史さんのフランス料理専門店の一角に建立。
  • 草学塾の一般参加者の中に初めて高校生が参加。
1990(平成2)
  • 草学塾に初めて女性の隊長が誕生。
1992(平成4)
  • 草学塾の草刈りの場所および宿舎が、刀利地区から小二又地区方面に移動。
1993(平成5)
  • 「草学塾20回記念の集い」および玉川大学合唱団による「森の音楽会」を開催。
  • 草刈り十字軍が団体として朝日新聞社の第11回「朝日森林文化賞」を受賞。これを記念した天皇、皇后両陛下との会見に岡田隆史さんが草刈り十字軍を代表して参加。
  • 20年間続けてきた草学塾としての現場での活動を終了。
  • 「玉川大学草学塾20回記念の集い」および「玉川大学草学塾30年記念同窓会」の資料より
「玉川の森」に植樹
【草刈り十字軍写真集に掲載】
鎌研ぎ
【草刈り十字軍写真集に掲載】

草学塾の20年間の実績は以下のとおりです。

年度(回)実施期間
(月/日)
参加者(人)延人員(人)面積(ha)隊長名
[敬称略]
1974(1) 7/15~8/11 20 410 42.5 岡田 隆史
1975(2) 7/17~8/10 33 634 57.0 増淵 智
1976(3) 7/16~8/10 27 462 40.0 水野 宗衛
1977(4) 7/15~8/10 31 470 48.0 久保田貴大
1978(5) 7/14~8/13 38 550 42.0 染谷 良治
1979(6) 7/19~8/10 22 282 20.5 小林 道美
1980(7) 7/9~8/6 22 322 15.1 大野 太郎
1981(8) 7/10~8/ 5 25 336 21.5 宮下 尚也
1982(9) 7/10~8/5 21 241 14.2 板垣 秀聡
1983(10) 7/25~8/23 15 180  5.5 藤田 和宏
1984(11) 7/25~8/8 18 200 6.1 三輪 章志
1985(12) 7/25~8/8 24 262 15.3 上野 正直
1986(13) 7/25~8/8 26 236 13.0 上野 正直
1987(14) 7/25~8/8 18 128  5.5 渡辺 雄三
1988(15) 7/25~8/8 23 184  5.4 駒形 達哉
1989(16) 7/25~8/8 26 221 11.8 縄  好修
1990(17) 7/25~8/8 28 242 12.2 所谷 紀子
1991(18) 7/25~8/8 27 222 11.4 所谷 紀子
1992(19) 7/24~8/7 31 179 11.8 浦口 亮一
1993(20) 7/26~8/9 34 246 11.4 浦口 亮一
  • 「玉川大学草学塾20回記念の集い」の資料等より

草学塾の一日のスケジュール(実施年によって多少異なる)

時間スケジュール
3:30
5:00
5:20~
6:10
7:00~12:00
12:00~14:00
14:00~17:00
17:00
17:45~19:00
19:00~20:00
20:00~21:00
21:00
22:00
食事当番起床、朝食の準備開始
起床、体操と簡単な礼拝
朝食、作業道具の準備
宿舎出発(作業場所まで山道を歩く)
草刈り作業 (50分作業、10分休憩を5セット)
昼食および鎌研ぎ、休憩
草刈り作業 (50分作業、10分休憩を3セット)
宿舎へ戻る(宿舎まで山道を歩く)
鎌を研ぐ、風呂へ入る
夕食およびミーティング
自由時間(洗濯など)
就寝
完全消灯

1981(昭和56)年の草学塾のオリジナル定食は以下のとおりです。
 【朝食】ごはん、みそ汁、つけもの、生玉子
 【昼食】ジャンボおにぎり
 【夕食】カレーライス、トマト

5.草刈り十字軍 草学塾 30年記念同窓会(集い)

草学塾結成30年目を迎え、2003(平成15)年7月12日に、OB・OGが再び福光町に集まり同窓会を開催。あわせて30周年記念の石碑の除幕式を行いました。「地球は緑であってほしい 草刈り十字軍 草学塾 三十周年記念 平成十五年七月 寄贈 山崎勝一」と書かれた石碑は、元砺波森林組合課長の山崎勝一氏から寄贈されたものです。さらに翌日には、かつて草刈り作業の現場であった刀利地区、玉川の森などを視察。この30年記念同窓会(集い)の役員は、幹事長がOB会会長の大野太郎さん(第7回隊長)、幹事が岡田隆史さん(初代隊長)、水野宗衛さん(第3回隊長)、浅利茂さん。

報道機関に送付した草学塾30年記念同窓会の報道発表(プレスリリース)に、岡田隆史さんが7月12日開催の意味について、つぎのように記載しています。

30年前の1974年夏、足立原先生から「富山で事件が起きた」と連絡を受けた私は意味もわからず富山県へ。すると予定される各隊の現場を割り付けて欲しいと任務を受け、県林政課のジープで県内の全現場、大山、大沢野、八尾、そして福光町の現場を視察しました。
  (略)
易しそうな現場、よい宿舎のある現場などに他の各隊(東京混成チーム、山形隊、関西隊など)を割り付け、私は当時ヘリコプターによる農薬散布の一番の推進派といわれる福光町を最後に残したのです。果たして受け入れてもらえるものかと不安を抱えながら、単身、当時の福光森林組合に乗り込むと、予想もしないような出来事に遭遇したのでした。それは職員の中でもヘリコプター散布を強力に推し進めていた一人の職員が私と会うなり、「あんたが岡田さんか、一緒にやりましょう」と分厚い右手を差出し、硬い握手を交わしてくれたのです。
それが山崎勝一さんであり、その日が昭和49年(1974年)の7月12日であったのです。

【参考】草刈り十字軍10周年記念100キロマラソン

1983(昭和58)年8月5日、草刈り十字軍10周年を記念して100キロマラソンを実施。草学塾チーム(21人)をはじめ全国学生・社会人チーム(33人)、関西学生チーム(13人)、OBその他関係者チーム(18人)の計4チームが、それぞれ走る距離を分担してトータルで100キロを目指しました。ゴール後は全員で、「草刈り十字軍10年の歩みと展望」をテーマとした意見交換会、さらには交流集会を行いました。

参考文献

  • 農業開発技術者協会草刈り十字軍運動本部編『きみ、青春の一夏山へ入って草を刈ろう 草刈り十字軍写真集』 桂書房 1994年
  • 富山県林政課編『草刈り十字軍10年の歩み』 富山県・富山県森林組合連合会・小矢部市・福光町・大沢野町 1983年
  • 小原哲郎監修『全人教育』第356号 玉川大学出版部 1978年
  • 玉川学園同窓会会報『たまがわ』No.96 玉川学園同窓会 1993年
  • 玉川大学農学部コラム「学生時代の思い出 草刈り十字軍」 2011年6月9日
    玉川大学農学部 (https://www.tamagawa.ac.jp/college_of_agriculture/news/archive/column/detail_045.html
  • 吉田一夫「人ありてこそ我あり 草刈り十字軍から学んだこと」(林野庁情報誌『林野-RINYA-』平成19年12月号 に所収)
  • 岡田隆史編『月刊ラモヴェール』第15号 (有)ティアンドケイ 1993年
  • 岡田隆史編『月刊ラモヴェール』第28号 (有)ティアンドケイ 1994年
  • 岡田隆史編『月刊ラモヴェール』第198号 (株)ティアンドケイ 2008年
  • 北陸中日新聞1974年7月17日付「除草剤からお山を守る 草刈り作戦スタート」
  • 富山新聞1978年7月13日付「ようこそ草刈り十字軍 玉川大学の学生三十六人 あす五度目の入山」
  • 毎日新聞1978年11月27日付「「草刈り十字軍」満5年 友情の立山杉 玉川大に贈る 学生の活動に心打たれ」
  • 読売新聞1979年6月29日付「玉川大の草刈り十字軍 奉仕5周年の石碑建立 福光の健康センターに」
  • 富山新聞1980年7月15日付「下草刈りに若い情熱 玉川大の“十字軍”福光へ」
  • 読売新聞1980年7月15日付「“草刈り援軍”ただ今到着」
  • 北日本新聞1980年7月15日付「ことしも“草刈り十字軍”始動」
  • 読売新聞1983年8月17日付「ありがとう草刈り十字軍 玉川大に山地20アール贈る 協力10年の恩返し 「玉川の森」と名づけて」
  • 中日新聞1983年8月21日付「玉川大の草刈り十字軍ことしで十周年 立山杉五百本を記念植樹」
  • 北日本新聞1985年8月7日付「福光で玉大生 地元民と音楽で交流 カマを楽器に持ちかえ」
  • 毎日新聞1986年8月16日付「草刈り十字軍 自然を守る“緑の戦士”」
  • 北陸中日新聞1986年11月25日付「草刈り十字軍 福光の空に玉大生の歌声 思い出とコンサート」
  • 朝日新聞1988年8月19日付「15年目の草刈り十字軍 頼もしい『ジャンヌ・ダルク』次々登場」
  • 北日本新聞1990年6月28日付「草刈り十字軍 初の女性隊長誕生 玉川大学隊(福光)・所谷さん 隊員ら「お姉ちゃん」」
  • 朝日新聞1993年6月3日付「草刈り十字軍(富山県)「人生道場」に全国から若者」
  • 朝日新聞1993年6月23日付「緑がはぐくむ豊かな郷土 第11回朝日森林文化賞」
  • 北日本新聞1993年8月6日付「草刈り十字軍20周年を記念 児童らに歌声プレゼント 福水で玉川大合唱団」
  • 北陸中日新聞1993年8月9日付「福光の森林守ります 草刈り奉仕20周年 玉川大草学塾OBらが記念の集い」
  • 北日本新聞1993年8月9日付「20歳の草刈り十字軍(上) みんなと一緒が楽しい 厳しい作業通じ芽生え」
  • 北日本新聞1993年8月10日付「20歳の草刈り十字軍(中)草学塾の絆 温かいハートに支えられ歴代隊長が記念の集い」
  • 北日本新聞1993年8月9日付「20歳の草刈り十字軍(下) 手刈りのこだわり貫く 住民運動の出発点」
  • 朝日新聞2003年12月30日付「草刈り交流30年目の碑 玉川大生ら富山で活動 作業は過酷 強烈な記憶」
  • 「草刈り十字軍」43年間の活動に幕 富山、有志で環境保護  2016年8月24日
    日本経済新聞社 (https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG20H57_U6A820C1000000/
  • 草刈り十字軍 富山で再始動「貴重な学びの場を残したい」  2017年8月24日
    毎日新聞社(https://mainichi.jp/articles/20170824/k00/00e/040/283000c
  • 富山 「年に一度は来たい」 新・草刈り十字軍、今年も  2019年8月23日
    朝日新聞社(https://www.asahi.com/articles/ASM8Q3SY7M8QPUZB004.html
  • 「玉川大学草学塾20回記念の集い資料」 玉川大学草学塾20回記念事業実行委員会 1993年
  • 「玉川大学草学塾30年記念同窓会資料」 玉川大学草学塾30年記念同窓会幹事会 2003年
  • 「玉川大学草学塾30年記念同窓会の報道発表(プレスリリース)原稿」 玉川大学草学塾30年記念同窓会幹事会 2003年
『草刈り十字軍写真集』
『草刈り十字軍10年の歩み』

シェアする