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玉川豆知識 No.192

一つの学校が飛行機を一機チャーター、一大学が一隻の船を借り切っての洋上大学実施は、日本では初めての試み

本学大学生・高等部生108名が参加した玉川学園第1回総合海外研修旅行(ヨーロッパ研修旅行)。一つの学校が飛行機を一機チャーターし、しかも研修に力を入れた企画は日本で初めてで、画期的なことでした。また、本学工学部において第1回洋上大学を開校。コーラル・プリンセス号で横浜港を出航し、台北(タイペイ)や基隆(キールン)を見学。参加者440名。一大学が一隻の船を借り切っての洋上大学の実施は、日本では初めての試みでした。

1.玉川学園第1回総合海外研修旅行

玉川学園では、「地球はわれらの故郷なり」という広い視野と気概を持った人材を育成するため、学生、生徒、児童がさまざまな国々を訪問できるような機会を多く作っています。訪問した国の風土、文化、人々と接することで、平和を愛し、広く人類を愛する人間に育ってほしい、そのような思いが込められています。実際に海外旅行が困難な時代から、学生、生徒、児童たちを海外に送り出していました。例えば、玉川学園メキシコ親善使節団、玉川大学演劇舞踊団(ヨーロッパ公演)、玉川学園舞踊団(ギリシャ公演)など。

しかしながらこれまでの海外研修旅行、海外公演旅行は参加者が50名までにとどまっており、当時副学長であった小原哲郎からは、もっと幅広い学生や生徒を対象とする海外研修旅行が計画できないかという提案がなされました。そして玉川学園第1回総合海外研修旅行が実施されたのです。1972(昭和47)年のことでした。

期間は3月15日から4月4日まで。参加者は121名(学生・生徒108名、引率教員8名、旅行会社の添乗員5名)。5つのコースを設定。大学生対象のコースは3つ。西洋音楽コース、西洋美術工芸コース、西洋文化教養コース。高等部生対象のコースは2つ。欧州移動教室Aコース(イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリア)とBコース(イギリス、フランス、スペイン、ドイツ、スイス、イタリア)。どのコースもロンドンを起点とし、各コース別に研修した後、ローマに集合。往路の東京とロンドン間、復路のローマと東京間は特別機であるチャーター機を利用。それにより旅費が大幅に安くなり、参加者増につながりました。

ひとつの学校で100名以上の学生・生徒が参加し、そのうち高校生が50名も含まれていて、しかも往路・復路は飛行機を一機チャーターし、ヨーロッパ内では複数のコースに分かれて研修を行ったというのは、日本では初めての試みでありました。そのため、この画期的な研修旅行は、各方面で大きな反響を呼びました。玉川学園機関誌『全人教育』第274号によれば、テレビをはじめ新聞や週刊誌等で「わが国初の試み」、「生きた教材で国際人教育」、「初の海外修学旅行」、「修学旅行もヨーロッパへ」などと紹介されたそうです。あくまでも修学旅行ではなく研修旅行でしたが。

玉川学園創立者小原國芳は著書『教育一路』で次のように語っています。

「地球は、われわれの故郷である」とは、スイスのチンメルマン博士が昭和二十四年、二度目の来園をした時の言葉。宇宙時代にはいった今日、この言葉があらためて思い出されます。地球がすべての人々の故郷になるためには真の世界平和を実現しなくてはなりません。子供と教育とを通して、“世界仲良し”を実践してきました。洋の東西から年々、千名前後の研究者の来園です。
教育というものは、教室の中だけで行われるものでなく、地球上のあらゆるところが、宇宙のすべての場所が教育の現場でなければなりません。学生、生徒の国際交流はもとより、先生たちの交流にもつとめました。玉川学園ほど国際交流、国際親善に寄与している学校はない、と自負しております。

2.工学部第1回洋上大学

玉川大学工学部において、教養行事としての洋上大学を開校することとなりました。1972(昭和47)年のこと。8月27日にイギリス船籍コーラル・プリンセス号で横浜港を出航。台湾の台北(タイペイ)や基隆(キールン)を見学。そして9月4日に横浜港に戻って来るという9日間の船の旅。実際には帰路の沖縄沖でエンジンが故障し、横浜港へ着くのが一日遅れて5日になってしまいました。参加者は工学部2、3年生を中心とする約360名の学生と約80名の教職員および関係者で総勢440名。団長は松平工学部長。一大学が一隻の船を借り切っての洋上大学は、日本でも初めての試みでしょう。

コーラル・プリンセス号で横浜港を出航

横浜港出航時には、200名近くの関係者が見送りに訪れ、船腹には「玉川大学工学部洋上研修団」の幕、煙突には玉川のマークが書かれたコーラル・プリンセス号に手を振り、洋上大学の成功を祈りました。

この洋上大学の企画について、玉川学園機関誌『全人教育』第279号につぎのように記されています。

玉川大学の教育方針として、人間形成には学問だけでなく、情操を高め、徳を養うべきであるとして、毎年歌舞伎の観劇、演奏会の鑑賞、テーブルマナー等を実施して来ましたが、このたびの企画は、教養行事を集約し、その上に研修、親睦、観光を加えたものといえます。

毎日のスケジュールは、船上での朝の礼拝と体操から始まります。横浜港から台湾、台湾から横浜港の往路と復路では、午前中はゼミナールと講演(船長、副船長あるいは主任教員による講演)、午後は自由行動またはレクリエーション、夜は自由行動または演芸会。台湾上陸時(正味2日間)は、台北や基隆の町観光のほか、総統府での記念撮影の後、龍山寺での参拝、国立故宮博物院での展示物の鑑賞、薬品会社、食品会社、鉄工場の3つのグループに分かれての見学を行いました。

国立故宮博物院を見学
船上でのゼミナール

台湾が戦時態勢下という特殊な状況の中での上陸でしたが、何事もなく十分な成果を得ることができました。船上での生活は、海に浮かぶホテルでの生活といった感じで、食事のたびにテーブルマナーを実践していたようなものでした。船長主催のカクテルパーティーや船側主催のビンゴ大会なども行われ、洋上大学はまさに研修、親睦、観光を加えた集約された教養行事となりました。

関連リンク

参考文献

  • 小原國芳著『教育一路』 玉川大学出版部 1980年
  • 小原國芳監修『全人教育』第278号 玉川大学出版部 1972年
  • 古谷太郎「玉川学園総合海外研修旅行」(『全人教育』第274号 玉川大学出版部 1972年 に所収)
  • 猪股清二「玉川大学工学部洋上大学」(『全人教育』第279号 玉川大学出版部 1972年 に所収)

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