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玉川豆知識 No.195

八代目 坂東三津五郎と玉川学園

歌舞伎俳優で人間国宝の八代目 坂東三津五郎は、玉川大学文学部芸術学科顧問として演劇舞踊海外公演などの舞踊指導、玉川大学出版部からの『歌舞伎 虚と実』(1973年)と『歌舞伎 花と実』(1976年)の刊行、玉川学園機関誌『全人教育』への執筆など、玉川学園と深い繋がりがありました。玉川大学名誉教授にもなられています。

1.八代目 坂東三津五郎

八代目 坂東三津五郎は歌舞伎俳優。屋号は太和屋。1906(明治39)年東京生まれ。生後すぐに七代目 坂東三津五郎の養子となりました。1913(大正2)年、三代目 坂東八十助を名乗って初舞台。1928(昭和3)年、六代目 坂東蓑助を襲名。1932(昭和7)年には近代劇の創始者の一人である小山内薫の影響を受けて劇団新劇場を設立。1962(昭和37)年に八代目 坂東三津五郎を襲名。1966(昭和41)年に日本芸術院賞を受賞。1973(昭和48)年に人間国宝(重要無形文化財保持者)に。その2年後の1975(昭和50)年、美食家としても有名であった三津五郎は、好物のフグの肝による中毒で急死。68歳でした。

2.演劇舞踊海外公演での舞踊指導

1968(昭和43)年4月20日から6月21日までの約60日間にわたって、玉川大学演劇舞踊団(29名)は、第2回国際青年演劇祭への出演をきっかけに、アラスカ、デンマーク、ドイツ、スイス、イギリスで23回の公演を行いました。演目は木下順二作「夕鶴」一幕と日本民俗舞踊集(さくら、黒田節、藤娘、八丈太鼓、花笠おどり、鳥取傘おどり、わらべ唄、越後獅子、連獅子、津軽荒馬おどり、阿波おどり)。三津五郎は日本での稽古時に舞踊指導顧問として学生を指導しています。

【演出等指導】
総演出 岡田陽
舞台美術 佐藤和男
演劇指導顧問 戌井市郎、吉田謙吉、尾崎宏次
演技指導 田中信夫、青木玲子
舞踊振付 岡田純子、黛節子、江崎司、関矢幸雄、尾上菊雍、花栁寿恵幸、五条正喜緒
舞踊指導顧問 坂東三津五郎、宮尾しげお、江口隆哉

1972(昭和47)年には、玉川学園舞踊団(42名)が約20日間、野外劇場オデオン座を皮切りにギリシャの各地において10回の公演を行いました。公演の演目は、関矢幸雄作・振付の創作民族舞踊ともいうべき舞踊詩「山ふところ」と、日本民俗舞踊集(さくら、黒田節、津軽じょんがら節、わらべ唄、花笠おどり、北海太鼓、越後獅子、連獅子、阿波おどりなど)でした。日本民俗舞踊集の振付は、坂東三津五郎をはじめ江崎司、関矢幸雄、黛節子、岡田純子、方勝といった玉川大学が誇る教員が担当しました。

3.玉川学園機関誌『全人教育』への執筆

坂東三津五郎は玉川学園機関誌『全人教育』に執筆されています。

特集名タイトル名『全人教育』号数発行年/月
みつごろうげいだん 連歌師キッシンジャー論 281 1973/1
ものの考え方 282 1973/2
せりふの工夫 283 1973/3
役者の仕込み 284 1973/4
人間国宝 今こそ試練の時 285 1973/5
みつごろうげいだん 知ること 286 1973/6
故人を尊ぶ 287 1973/7
教えることのむずかしさ 288 1973/8
価値 289 1973/9

上記のほか、三津五郎は玉川学園創立40周年記念演劇発表会での『青い鳥』をご覧になられた際に、機関誌『全人教育』に感想を寄せています。

『青い鳥』は、ベルギーの劇作家モーリス・メーテルリンク(1911年にノーベル文学賞を受賞)作で世界中の人たちから愛されている作品。真実の幸福を求めて遍歴する、チルチルとミチルの物語。6幕10場の大作。玉川学園で初めて『青い鳥』を学校劇として取り上げたのは、玉川学園創立30周年である1959(昭和34)年のこと。2月14日・15日に九段会館ホールで、「墓場の場」を除いた全幕(6幕10場)を通して上演しました。

それから10年後の1969(昭和44)年6月16日、17日および21日、22日に、玉川学園創立40周年記念演劇発表会として『青い鳥』の全6回の公演が行われた。場所は都市センターホール。演出は岡田陽。総合学園劇にふさわしく、小学生から大学生まで約200名が出演。

この時の『青い鳥』について、『全人教育』第240号(玉川大学出版部発行/1969年)に三津五郎が「現代の奇跡」というタイトルで公演を観覧された感想を以下のように寄せています。なお、三津五郎は、少年時代に小山内薫の私塾で学んだことがあるとのこと。小山内薫は、1925(大正14)年12月に築地小劇場にて上演された『青い鳥』を演出したことでも知られています。

此時点で青い鳥をやるとは、岡田先生やりましたな、と思った。しかも小学生から中学生、大学生まで、全部で舞台から照明、オーケストラ、小道具、全部を先生と学生とでやったのだ。演劇とは作る喜び、作り上げるまでの苦しみが喜びにつながる。それを先生と学生が協力してやったのだ。立派なものだ。
演技の巧拙などは問題ではない。こんな立派な芝居を作り上げるところに意味があるのだ。自分の子供が学生運動に加わって、なげいている親たちが見たら、こんな学校もあったのかとさだめし驚くことだろう。今の世の奇跡それがこの「青い鳥」だ。
       (略)
世の中の人全部に見せてやりたい。舞台だけでは無い、客席も廊下も、受付も、入口も青い鳥が生んだ奇跡、ではない小原先生が産んだ奇跡、小原先生にとっては不思議でも、なんでもないのだろう。今の世の中、他の学校がどうかしているのだと、私はつねに思っていたが。玉川学園というもの、演劇、音楽、舞踊、美術といろいろあらゆる芸術の総合というものが、全人教育というものが、かくも美事な実りを見せてくれるとは。幕切れに舞台に立った小原先生を見て、実に、うらやましく思った。
       (略)
小原先生は幸福そのもの、青い鳥の、光のように小さな子供から、大学生にまでかこまれて、それには長い苦難の道を通って来られた、喜びと、ほほ笑み、私は涙をふくことも忘れ、手をたたき続けた。

『青い鳥』のカーテンコールで、
出演した小学生、中学生、大学生に囲まれて
一緒に歌う小原國芳

坂東三津五郎が亡くなったことを知って、小原國芳は『全人教育』第307号(玉川大学出版部発行/1975年)の「身辺雑記」で、三津五郎との思い出をつぎのように語っています。

十年この方の知り合いなのでしたが、全く忘れられない先生でした。いうまでもなく、歌舞伎の一等俳優。苦学力行の人。
     (略)
玉川大学出版部から出させて頂いた『歌舞伎 虚と実』なぞは全く一流の芸術学です。
芸は先師、三津五郎丈を凌ぐ至芸。「人間国宝」。私たちはお願いして、玉川の演劇の名誉教授になって頂いたのでした。
思い出せば数年前でした。大学一年生、千五百名が総見させてもらいました。
その時の先生の役は「勧進帳」の弁慶。全く魅せられました。幕の前で、私は玉川の代表で花束を上げることに仕組んで下さいました。
すると、先生は、あとずさりして、大観客の前で私を紹介して下さる。一代の光栄でした。
私が慈恵病院に二度の入院。先生は早速、美しい花束を持って、二度も訪れて下さいました。最初の時はハワイ公演からお帰りの直後、ハワイの真赤なハイビスカスの花を一束下さいました。心のこもった握手。「お大事に」と、たった数秒で退室。ドアーに貼ってあった医者の忠言通り。
二度目の入院でも早速、御訪問。また、きれいな花束。そして温かい握手で、ホントの一分足らず、尊いものを教えられました。全くの全人でした。

関連リンク

参考文献

  • 坂東三津五郎「現代の奇跡」(『全人教育』第240号 玉川大学出版部 1969年 に所収)
  • 小原國芳監修『全人』 玉川大学出版部
       第116号(1959年)、第240号(1969年)、第281号~第289号(1973年)、
       第307号(1975年)、第317号、第319号(1976年)、第345号(1977年)
  • 岡田陽編『ヨーロッパ公演旅行記』 玉川大学出版部 1968年
  • 岡田陽編『南ギリシャを行く』 玉川大学出版部 1973年
  • 岡田陽「The World Known TAMAGAWA GAKUEN―玉川学園舞踊団ギリシャ公演記―」
    (小原國芳監修『全人教育』第279号 玉川大学出版部 1972年 に所収)

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