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玉川豆知識 No.209

本学では創立以来「本物に触れる教育」を推進

玉川学園では、本物に触れ、子供たちの五感に訴える教育活動を実践。玉川学園創立者である小原國芳の「教育に対して何ごとも惜しまない姿」、「子供たちに本物に触れさせたいという姿」は、現在の玉川学園の教育活動にも脈々と受け継がれています。

1.玉川学園創立の年に、小学生が富士登山

玉川学園創立から3か月半しか経っていない7月21日に、小学生の富士登山が実施されました。当時、小学生は総勢16名。そのうち、1年生2名を含む11名がこの登山に参加しました。その中には、後に理事長・学長・学園長、総長となる小原哲郎も含まれていました。引率教員、父母さらに中学生と塾生のサポーターを加えると総勢31名。一行は新宿から大月を経由して河口湖へ。河口湖畔で1泊したのち、吉田口ルートから登り始めました。5合目までは馬に乗っての登山。33頭の馬が連なって富士山を登って行きました。5合目からは、それぞれが金剛杖を持ち、自分の足で登山開始。小学生たちは、富士山の自然に触れるとともに、馬にも乗り、さまざまな体験をしました。学校が創設してからまだ3カ月半しか経っていないときに、このような行事を行ったのは、子供たちに都会ではできない貴重な体験をさせたいという小原國芳の思いがそこにあったからです。

富士山何合目かの山小屋の前と思われる

2.海外から第一人者を招聘

1930(昭和5)年の正月、生徒たちを連れてスキー場を訪れた小原國芳は、「どうせ習うなら、世界で一番スキーのうまい人に教わりたい」という生徒のことばに心を動かされました。「それは誰なのか」と生徒に問い直すと「オーストリアのハンネス・シュナイダーですよ」と。どんなことでも一流のものを子供たちに触れさせることに意義を感じていた小原は、シュナイダーの来日を実現させました。後に小原は、シュナイダーの「真の精神を体得しさえすれば、百の方法は自ら生まれ来る」という考えに、本学との面白いほどの共通点を見出したと述べています。さらにその33年後には、“第二のシュナイダー”、あるいは“オーストリア・スキーの父”と言われたシュテファン・クルッケンハウザー一行を招聘。シュナイダーの招聘が、日本のスキー史上における先駆的役割をはたしたとすれば、クルッケンハウザー一行の招聘は、日本のスキー技術の変革と統一という面で画期的な意義をもったと言えるでしょう。

小原國芳とシュナイダー
小原國芳とクルッケンハウザー(中央)

また、1931(昭和6)年には、デンマーク・オレロップ国民高等体操学校(現・オレロップ体操アカデミー)の創始者であり、デンマーク体操(基本体操)の考案者、ニルス・ブックも一行26名を従えて来園しました。この招聘についても、「世界の体育・体操家のなかで一番偉いのは誰か」と尋ねた小原に対し、当時、成城学園の体育教師だった三橋喜久雄(当時スウェーデン体操の権威者)の一言がきっかけとなりました。

来園したニルス・ブック一行
デンマーク体操のデモンストレーション
(大グラウンドにて)

小原國芳は、当時、思いつきや奇をてらってシュナイダーやニルス・ブックを招聘したのではなく、世界一流の物、人によって得られるものの大きさを図り、長大な計画の基で各氏の招聘に臨んでいました。その思いは小原國芳著『小原國芳全集14 塾生に告ぐ』(玉川大学出版部発行)の一節より読み取ることができ、現在まで続く教育活動の大きな特色ともなっています。

『塾生に告ぐ』の「シュナイダーを呼んだワケ」より
さまざまの問題の第一人者に触れるということ、生きた偉人の謦咳に接することから、ホントの物が与えられると思う。一体、世間の学校の先生方は、あまり、自分自身が生徒に与えようとし過ぎる。世間にはいくらも偉い人がおるものをナゼ、そのえらい人に来て貰って、いいものを吸収するように努めないんだろう。
つぎつぎに世界の第一人者に来て貰おうよ。接することによって、お互いが刺激され、貴い感化を受け、人間内容が豊かになり高められ清められていくのだ。

3.一流に触れ、教養を深める、技術を高める

大学では、教養と感性をみがくための「研修行事」を充実させています。演劇、音楽、歌舞伎、能・狂言の鑑賞、大相撲観戦、マナー研修など、一流の芸術や伝統文化に触れるチャンスを多く設けています。また、大学だけでなく学園全体で、各分野の著名人による講演、プロスポーツチームによるクリニックなどを開催しています。

ニューヨークのオフ・オフ・ブロードウェイ「ラ・ママ実験劇場」の公演
NASA長官による講演会
ラグビー世界トップチームである南アフリカのBlue Bullsが来園し、ラグビークリニック&交流会を開催
NBAのワシントン・ウィザーズのOB選手・コーチらが来園し、バスケ&ダンスクリニックを開催

4.地球はわれらの故郷である

本学の12の教育信条にある「国際教育」の説明文に、「地球はわれらの故郷なり」の言葉が次のように使われています。

今、「地球はわれらの故郷なり」という広い視野と気概を持った国際人が求められている。語学の習得に満足することなく、豊かな国際感覚を養うため、地球のあらゆる場所で行えるany placeの教育を目指している。

小原國芳は著書『教育一路』の中でつぎのように述べています。

教育というものは、教室の中だけで行われるものでなく、地球上のあらゆるところが、宇宙のすべての場所が教育の現場でなければなりません。学生、生徒の国際交流はもとより、先生たちの交流にもつとめました。玉川学園ほど国際交流、国際親善に寄与している学校はない、と自負しております。

さまざまな国際交流が行われていますが、海外公演もその一つです。1961(昭和36)年、玉川学園メキシコ親善使節団(団長:小原國芳、教職員7名、研究生5名、大学生9名、高等部生9名、中学部生5名、小学部生4名の計40名で組織。副団長はメキシコ公演の総監督でもある岡田陽)がメキシコ政府から招聘を受け、本学が贈呈した野口英世のブロンズ立像除幕式に参加。除幕式終了後には、学生、生徒、児童たちによる日本芸能公演「日本の日」が企画され、一行は「日本文化の夕べ」の公演で、日本の歌や演劇、伝統舞踊などを披露しました。

除幕式で合唱する学生・生徒たち
メキシコ大統領を訪問

1968(昭和43)年4月20日から6月21日までの約60日間にわたって、玉川大学演劇舞踊団29名(団長含む教職員7名、大学生21名、中学部生1名)は、第2回国際青年演劇祭への出演をきっかけに、アメリカ(アラスカ)、デンマーク、ドイツ、スイス、イギリスで23回の公演を行いました。舞台公演の披露はもちろんのこと、学生交歓やヨーロッパ文化に触れることも目的であり、公演後イタリア、ギリシャの見学旅行も日程に組み込まれました。

ヨーロッパ公演に出発
バチカン宮殿にてローマ教皇謁見

1972(昭和47)年8月10日、玉川学園舞踊団はギリシャに出発。野外劇場オデオン座での公演を最初に、42名の一行は20数日間にわたる公演を行いました。それは、ギリシャ古代劇場と日本民俗芸能との調和への挑戦でもありました。このギリシャ公演は、舞台公演の披露はもちろんのこと、現地の学生との交歓やギリシャ文化に触れることも大きな目的でした。

パトラス市のオデオン座での公演
エピダウロスの野外劇場で合唱

1978(昭和53)年3月15日から4月17日まで、玉川大学舞踊合唱団がアメリカ、カナダにて公演。各地の大学等で16回の公演とワークショップを実施。公演のほか、アメリカ、カナダの大学生たちとの交歓、日本の舞踊や音楽についての公開授業などが行われました。今回の公演のキャッチフレーズは、Sharing is Loving(シェアリング・イズ・ラヴィング/分かち合うことは愛すること)。この言葉は公演紹介のポスターにも印刷されました。

5.異文化に直接触れて理解する

本学での年間200名近い生徒の海外派遣、そして同数の海外生受入は、日本の中学・高校の中でトップクラスと言えます。このようにキャンパス内外で異文化と触れる機会があり、国際感覚を磨くための環境が整っています。大学においても海外留学・研修プログラムが充実。観光学部、文学部英語教育学科、農学部環境農学科では学生全員が長期の留学を行っています。

ハーカー校より29名の児童が来園
生徒たちがアフリカで研修

6.ワンキャンパスを活かした教育交流

児童たちが大学の農場や施設で米作りやアイスクリーム作りを体験したり、ミツバチの行動を観察したり、LEDでの野菜栽培を見学したり、生徒たちが自由研究などで大学の施設や研究所を訪問して教員や大学生から研究の支援を受けたり、本学ではワンキャンパスだからこそできる本物に触れる機会が数多く存在しています。教科書に掲載されている内容を学ぶだけではなく、実物を見ながらの学習により、子供たちの理解がより深まっています。

2年生児童の総合科の授業「田植え」
生徒たちがミツバチの採蜜に挑戦

7.自然とふれ合う、丘めぐり

園児、児童たちは、折りに触れてキャンパス内の丘を歩いてめぐります。これは「丘めぐり」と呼ばれ、自然を観察し、理科的な学習に役立てることはもちろん、季節を肌で感じながら自然とふれ合うなど、豊かな感性を育むことにもつながっています。数多くの花や木があり、さまざまな鳥や昆虫が生息する約61万m2の広大な緑豊かな玉川の丘そのものが、学びの場となっています。

児童の丘めぐり
緑多き玉川学園キャンパス

8.収蔵資料は約46,000点以上、授業でも活用する教育博物館

玉川大学教育博物館では、全人教育の理想を具現化するために、資料の収集、保存、調査研究、展示などを行うことはもちろん、さらに博物館教育などの活動にも力を入れています。収蔵する資料は、日本教育史、芸術、民俗、考古、シュヴァイツァー関係、ガスパール・カサドおよび原智恵子関係、そして玉川学園創立者小原國芳関係、玉川学園史関係など、多岐の分野にわたっています。さらにはイコン(聖像画)やジョン・グールド鳥類図譜なども収蔵。実物に接することが重要との観点から、約46,000点以上(2022年1月現在)の資料より精選した約500点を展示し、広く学内外に公開。その他、独自の企画展を随時開催。また、学生、生徒、児童たちの本物に触れる機会、学芸員資格の取得を目指す本学の学生を対象とした博物館実習の場としても活用されています。

4年生「社会科」の授業
大学生の博物館実習

『全人教育』第468号の巻頭言で、小原哲郎が次のように述べています。

顧みますと、創立者小原國芳は「全人教育」を実践してゆく中で、先人の文化遺産からその本質を学び、ホンモノ(実物)に直接触れ体得することの大切さを常々説いておりました。私共は、この創立者の精神を尊重し、日常の教育活動のかたわら教育関係を主体とする資料の収集に心掛けてきました。
 (略)
昨今の文化状況は極めて表層的・刹那的であり、学生・生徒たちは、じっくりと人類の文化遺産に接しつつ学ぶことを忘れがちであります。「故きを温ねて新しきを知る」ことは、教育的にみて大変大事なことであり、その意味で本教育博物館開館の意義も深いと自負しております。

1年生児童と保護者の博物館見学
通大生の博物館実習

関連サイト

参考文献

  • 小原國芳著『教育一路』 玉川大学出版部 1980年
  • 小原國芳著『小原國芳全集14 塾生に告ぐ』 玉川大学出版部 1964年
  • 小原國芳編集『學園日記』第3号 玉川學園出版部 1929年
  • 小原國芳監修『全人』第101号 玉川学園 大学出版部 1958年
  • 小原國芳監修『全人教育』第324号 玉川大学出版部 1976年
  • 小原哲郎「教育博物館の開館にあたって」(『全人教育』第468号 玉川大学出版部 1987年 に所収)
  • 小原哲郎監修『全人教育』 玉川大学出版部
     第349号、第350号(1978年)、臨時増刊第424号(1983年)、第468号(1987年)
  • 小原芳明監修『全人』 玉川大学出版部
     第704号(2007年)、第736号、第738号、第745号(2010年)、第751号(2011年)、
     第768号、第770号(2013年)、第811号(2016年)、第846号(2020年)
  • 玉川学園編『メキシコ親善旅行記』 玉川大学出版部 1961年
  • 岡田陽編『ヨーロッパ公演旅行記』 玉川大学出版部 1968年
  • 岡田陽編『南ギリシャを行く』 玉川大学出版部 1973年
  • 岡田陽「The World Known TAMAGAWA GAKUEN―玉川学園舞踊団ギリシャ公演記―」
     (『全人教育』第279号 玉川大学出版部 1972年 に所収)
  • 白柳弘幸「故きを温ねて」
     (『全人』第661号 玉川大学出版部 2003年 に所収)
     (『全人』第805号 玉川大学出版部 2016年 に所収)
     (『全人』第811号 玉川大学出版部 2016年 に所収)
  • 南日本新聞社編『教育とわが生涯 小原國芳』 玉川大学出版部 1977年
  • 山崎亮太郎著『今、蘇る全人教育 小原國芳』 教育新聞社 2001年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史 写真編』 玉川学園 1980年

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