玉川大学・玉川学園Webサイト
IEサポート終了のお知らせ

玉川大学・玉川学園webサイトTOPページリニューアルに伴い、Microsoft 社の Internet Explorer(以下、IE)のサポートを終了いたしました。本学園が運営するサイトをIEで閲覧した場合正しく表示されない恐れがございます。
皆様にはご不便をおかけしますが、別のブラウザを利用しての閲覧をお願いいたします。

玉川豆知識 No.39

小田急線「玉川学園前駅」の開業と玉川学園

玉川学園が小田急電鉄に駅敷地及び駅舎を提供して小田急線「玉川学園前駅」を新設してもらいました。

玉川学園建設は無一文からの出発でした。創立者小原國芳は多額の借金をして、東京府南多摩郡町田町本町田(現在の東京都町田市)周辺の土地336万㎡を当時の地価の3倍で買収し、その約8割の260万㎡を宅地造成して分譲。残りの土地を学園の敷地として使用しました。土地開発と並行して小田急電鉄と交渉。玉川学園が駅敷地及び駅舎、建築材料降荷のための引込線用の敷地を提供するという条件で、小田急電鉄は「玉川学園前駅」を新設することを確約。駅ができれば通学に便利というだけではなく、地価も上がり、この地に住もうと思う人も増えます。そして、國芳は土地分譲の利益を校舎建築などの学校運営にあてることができました。1967(昭和42)年の表示改正により住所も「町田市玉川学園」となり、学校名と地名、駅名が同じとなりました。

玉川学園前駅と駅前の道
玉川学園前駅のホーム

國芳は玉川学園建設に何故この地を選んだのでしょうか。その理由はいくつかあります。

  1. 美しい丘陵地帯であり、ペスタロッチのノイホーフの学校によく似た環境であったこと。
  2. 成城学園のときと同様に学校名と同じ駅名の新駅を作りたいという思いが國芳の中にあったこと。
  3. 当時、新駅を設置するには、駅と駅との間が3マイル(4.8㎞)以上離れていることが条件で、それをクリアできる箇所が小田急線沿線には3か所しかなく、東京府では当地のみであったこと。
  4. 当時、相模大野から小田原行き、江の島行きはどちらも1時間に1本の運行であったが、相模大野から新宿方面は30分おきに電車が走っていたこと。
  5. この土地が東京府に属していたため宅地分譲がしやすかったこと。
  6. 駅間3マイルの土地は駅から遠いので地価が安い。しかし、新しく駅ができれば地価は高騰する。したがって分譲すれば利益が生じ、校舎建設などの学校運営資金が確保できると考えたこと。
開業の日の玉川学園前駅

小田急線「玉川学園前駅」が業務を開始したのは、小田急線開通から2年後の1929(昭和4)年4月1日のことでした。駅舎は、総武線の千駄ヶ谷駅の駅舎をモデルにした三角屋根のモダンな建物でした。そして、その一週間後の4月8日に玉川学園が開校しました。当時のことが『イデア』第73号(イデア書院/1929年3月30日発行)に次のように記されています。

小田原急行電車沿線一の瀟洒たる駅の本屋も出来上がりました。これでいよいよ4月1日から開業のことに確定いたしました。丁度同電車の江の島線開始と同時です。江の島線は玉川学園前駅の次の駅から分岐して約30分で到せられます。もうあと数日です。待ち遠しくってなりません。

また、「玉川学園前駅」が業務を開始した4月1日のことが『学園日記』No.1(小原國芳著/1929年6月25日発行)に次のように記述されています。

4月1日、この朝は、曇っていて生憎と太陽の顔を見る事が出来なかった。今朝から「玉川学園前」にも電車が停まるはずと御飯を食べずに行って見ると、ちょうど向こうからやって来た上りが静かに停車した。車掌さんが声をはり上げて「玉川学園前―――玉川学園前―――」と呼ぶ。何だか、もっともっと大きな声で呼んでもらいたいような気がした。案外乗り下りする人が多いのも嬉しかった

1930(昭和5)年頃の玉川学園前駅
駅舎の窓のガラス拭き

玉川学園前駅の開業当時は、駅の収益額が目標の額に満たない場合は、不足分を玉川学園が補填することになっていました。実際に当時は補填もしていました。今では、玉川学園前駅の一日の平均乗降者数は2015(平成28)年度では約48,200人となり、小田急線70駅のうち24番目に乗降客が多い駅となっています。駅を開設してもらうことで生徒の足を確保するとともに、多くの人たちが住む町づくりに繋がりました。

「デンマーク体操(基本体操)」を考案したニルス・ブックや、世界のスキー普及に偉大な足跡を残したハンネス・シュナイダーも、玉川学園前駅で電車を降りて、本学園に来園しています。

玉川学園前駅のホーム
来園したスキーの第一人者シュナイダー氏

1966(昭和41)年、玉川学園前駅の駅舎が改築されました。地元の人たちや乗降客から親しまれていたユニークな鋭角の三角屋根と待合室の暖炉は、この改築で姿を消しました。
そして玉川学園前駅は1970(昭和45)年に3度目の改築。7月19日に改築された駅舎で営業を開始しました。同時に自動出改札装置が設置されて試験運用が行われました。今では、自動出改札装置があるのが当たり前ですが、当時は玉川学園前駅以外に設置している駅はなく大変珍しいものでした。玉川学園前駅を初めて訪れる人たちは、この自動出改札装置を見てびっくりしていました。玉川学園前駅の改築について、『玉川学園報』(第137号)に以下のような記述があります。

7月19日(日)晴
学園前の小田急駅、改築なりて、今朝から橋上の駅舎で営業開始。
今から40余年前、はじめて駅が出来た時からこれが3度目の改築か。人手を省いた新式の駅舎。しかし、昔の「畑の小駅に電車を待てば」といったあの姿がなつかしい。

玉川学園前駅付近
現在の玉川学園駅
参考文献
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 南日本新聞社編『教育とわが生涯 小原國芳』 玉川大学出版部 1977年
  • 小原國芳著『教育一路』 玉川大学出版部 1980年
  • 小原國芳著『学園日記』No.1(昭和4年6月25日) 1929年
  • 『全人』No.672(2004年7月号) 玉川大学出版部 2004年
  • 『玉川学園報』第137号 玉川学園 1970年
  • 鎌田達也著『小田急線沿線の1世紀』 株式会社世界文化社 2009年
  • 永江雅和著『小田急沿線の近現代史』 クロスカルチャー出版 2016年

シェアする