小原國芳生誕130年・没後40年・玉川大学創設70年記念講演として「小原國芳と教員養成の70年」が開催されました。

2018.01.19

2017(平成29)年は、玉川学園創立者である小原國芳生誕130年・没後40年に加え、戦後、旧制大学として玉川大学が創設されてから70年にあたります。
その記念すべき年の最終月を迎えた12月9日(土)、玉川大学教育学部全人教育研究センターの主催で記念講演会「小原國芳と教員養成の70年」が開催されました。当日は「全人教育論」を履修する教育学部2年生をはじめ、実際に小原國芳との関わりがあった玉川大学教育学部関係者など、多数の来場者が会場となるUniversity Concert Hall Marbleに集結しました。

この記念講演会は以下の通り、3部構成で開催されました。

  • 史料解説:「旧制『玉川大学設置認可申請』文書が語ること」
    白栁弘幸(玉川大学教育博物館学園史料担当・全人教育研究センター研究員)
  • 歌声は響く~玉川大学の愛唱歌をご一緒に~
    玉川大学合唱団・指揮:朝日公哉(玉川大学教育学部准教授・全人教育研究センター研究員)
  • 講演:「小原國芳の教員養成への夢とその実現―玉川大学創設70年に寄せて―」
    石橋哲成(玉川大学名誉教授・全人教育研究センター特別研究員)

① 史料解説:「旧制『玉川大学設置認可申請』文書が語ること」

1947(昭和22)年、玉川大学は60番目の、そして最後の旧制大学として文農学部(文学科・農政学科)1学部でスタートしました。2年後の1949(昭和24)年には新制大学としてあらためて認可されますが、ここでは旧制「玉川大学設置認可申請」文書を読み解きながら、玉川大学の原点に立ち返り検証します。

旧制「玉川大学設置認可申請」文書には400字詰め原稿用紙で15枚分にあたる分量で大学設立に向けた小原國芳の熱い思いが綴られた「玉川大学設立趣意書」や教育の概要を記した「玉川大学設立要項」などが含まれています。

講師の白栁氏はこれらを読み解きながら、戦後復興の中で学問の根本となる「哲学」と貧しさの中で食糧問題の解決につながる「農学」を重視した小原の考えを解説。また、「日本ヲ秀デタル学問国ニスル為メニモ、下ハ嬰児学校ヨリ一貫シテ連続セル大学ノアルコトハ実ニ貴イコトゝ思惟致シマス」(「玉川大学設立趣意書」より)とすでに小原の中に「一貫教育」に向けた強い意志があったことが紹介されました。
旧制大学創設当時から教員養成の夢を抱いていた小原ですが、当時の「大学令」の下では私学での小学校教員養成ができないため、当初は教員の再教育に力を注ぎました。その後、新制大学となり「教育職員免許法」という新しい法律によって晴れて小学校教員養成の道が開かれ、ここに“教育の玉川”“教員養成の玉川”の歴史がスタートします。白栁氏はその経緯を検証しながら、「教員養成の70年」を、今後どのように発展させていくかについて、来場した教育学部の学生たちに投げかけながら講演を締めくくりました。

② 歌声は響く~玉川大学の愛唱歌をご一緒に~

玉川の一日は「歌に始まり、歌に終わる」と言われるように、玉川学園の教育を語るにあたって欠かせないのが「音楽」です。その基盤を築いたのは創立期より小原の信頼を得て音楽教育を主導し、玉川学園校歌や数々の名曲を生み出した岡本敏明です。今回の記念講演ではその岡本の音楽教育や玉川学園の歌集『愛吟集』の研究を行っている教育学部の朝日公哉准教授の指揮で玉川学園の教育に関わりの深い「歌」が披露されました。
まず正装してステージに上がった学生たちが「どじょっこ ふなっこ」(作曲:岡本敏明、秋田民謡)を混声合唱で披露。朝日准教授は岡本の「玉川に合唱団をつくる必要はない。全員が合唱団なのだから」という言葉を紹介しました。
そしてその言葉を証明するかのように、ステージの学生と会場の学生による「学生歌」(岡本敏明作詞、ドイツ民謡)が披露され、最後に会場の教育学部2年生を四声に分けて、1年生の頃に練習したベートーベン「第九」=“歓喜の歌 An die Freude”の一節をドイツ語で合唱。久しぶりの「第九」にもかかわらず、学生たちは見事な歌声とハーモニーを聴かせ、世代を超えた会場の一体感が深まる時間となりました。

③ 講演:「小原國芳の教員養成への夢とその実現―玉川大学創設70年に寄せて―」

記念講演会のフィナーレを飾ったのは、初代教育学部長であり、かつて秘書として小原國芳に仕え、その人柄と思想を知り尽くした石橋哲成氏です。
石橋氏はまず小原國芳の生い立ちから語り起こします。

少年時代の小原は、人格者だった祖父への憧れから教師への夢を育み、18歳の時に鹿児島師範学校へ入学。夢への第一歩を踏み出しました。その後、廣島高等師範学校へ進学し、香川県師範学校の教諭となった若き小原は当時の軍隊的な教員養成教育への批判を強めていきます。石橋氏は自伝を引用しながら明治という時代を象徴する立志伝をいきいきと語ります。
その後、一度教諭を辞めて京都帝大の文科大学で哲学を学び始めた小原が西田幾多郎、波多野精一(のちに玉川大学第2代学長)ら生涯の恩師と出会い、哲学の学識と宗教心を修得し、すでに「全人教育」という言葉を用いていたことなどが紹介されました。かつて学んだ廣島高等師範学校で教諭として再スタートしてから、成城学園を経て玉川学園を設立するまでの小原の歩みは玉川学園関係者の多くが知るところですが、小原の内面を知り尽くした石橋氏の語りは、時代と苦闘しながら夢実現へ力強く邁進する一人の人間像を浮き彫りにする深みと迫力がありました。
戦時中の工業大学設立への努力と戦後の旧制玉川大学設立、そして新制玉川大学としての再出発。先に講演した白栁氏による史料解説とも重なる時代に至り、石橋氏は小原國芳が描いた「全人的教師論」、そして自らが小原の遺志を継いで初代学部長を務めた教育学部が目指す教員養成について「進みつつある教師のみ、人を教える権利あり」という小原が好んだドイツの教育学者ディースターヴェークの言葉を引用しながら、会場の学生たちに熱く語りかけました。

最後は石橋氏のたっての希望により会場全員で玉川学園校歌を合唱。再び生まれた温かい一体感の中で、3時間近くにおよんだ記念講演会は閉幕しました。

会場となったUniversity Concert Hallの1階ロビーには、小原國芳の生涯をたどるパネル展示も行われており、多くの来場者が講演内容をあらためて確かめるかのように展示内容に目をこらしていました。