玉川大学 読売新聞社立川支局 共催 連続市民講座第9回「野球というスポーツと人間教育」

2018.11.28

2018年4月より玉川大学では、読売新聞社立川支局と共催の連続市民講座「進む大学研究 最先端の現場から」がスタートしました。この公開講座は玉川大学8学部・研究所の先生方が講師を務め、12月まで全11回、それぞれの分野での“最先端”についてわかりやすく講義します。第9回のテーマは「野球というスポーツと人間教育」。講師を務めたのは樋沢良信玉川大学硬式野球部監督です。樋沢氏は元読売ジャイアンツ選手・コーチで、2005年から2010年末まで若手選手が生活する「ジャイアンツ寮」の寮長を務めていました。野球と人間への愛にあふれたその言葉は会場に集まった多くの方々の心のミットにキャッチされたようです。

冒頭で「緊張して昨晩は寝られず、今も背中に汗をかいている」と笑わせた樋沢良信監督。まず同じ時期にジャイアンツに在籍した先輩である長嶋茂雄さんの「野球というスポーツは人生そのもの」という言葉で講義を始めました。樋沢氏自身が「まさにその言葉通り」の人生を歩まれてきたそうです。

岩手県久慈市に5人兄弟の末っ子として生まれた樋沢氏は、兄と同じく東北高校の硬式野球部で甲子園をめざしました。1年生からレギュラーの座を獲得した樋沢氏はポジションを奪われた先輩などからしばしば「制裁」の標的とされました。1年生は上級生のユニフォームの洗濯を命じられ、食事もご飯のみ、風呂も上級生が入った後でほとんどお湯が残っていない状態だったそうです。「なんでこんなことまで」と毎日布団の中で涙を流していたという樋沢氏は、そうしたつらい体験から「自分がそれをやってはダメだ」と考え、自分が上級生になったときには後輩への思いやりを忘れずにいようと決め、実際に優しく接してきたそうです。

高校卒業後は日本電信電話公社東北支社(現在のNTT東日本宮城支社)硬式野球部で内外野を守れるユーティリティーな選手として活躍。1970年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツに4位指名されて、「土井(正三)2世」としての期待を受けて入団しました。
樋沢氏が入団したのは、川上監督率いるジャイアンツV9時代の後期。長島、王をはじめ、柴田、高田、土井、黒江、末次、ピッチャーでは堀内、髙橋一三らV9戦士のエピソードは当時を知る野球ファンにとって心躍るものでした。樋沢氏自身も子供の頃から憧れていた長島、王といったスーパースターと同じユニフォームを着て、同じグラウンドに立てたことに感激しつつも「不思議でしょうがなかった」と話します。

「プロは結果が全て」であり、なかなか試合で結果を残せなかった樋沢氏はプロ5年目で引退というつらい決断をします。しかし、チームは樋沢氏の才覚を評価していました。現役引退後もスカウト、コーチとして長嶋、藤田、王、堀内、原ら歴代監督のもとでジャイアンツに貢献。さらに2006年より「ジャイアンツ寮」寮長として、多くの若手選手の面倒を見てきました。厳しい寮長であったと自ら話す樋沢氏ですが、悩みを抱える選手には自身の苦労した経験を話し「一日でも長くユニフォームを着るために」何をすべきかを諭したり、選手たちのことが気になって眠れない夜を過ごしたことも少なくなかったと振り返ります。

2014年に玉川大学硬式野球部監督に就任。「実は声をかけていただくまで玉川大学に野球部があることすら知らなかった。大学で野球部員に練習をやらせてみると…ほんとうに下手でした(笑)」。樋沢監督の指導はまず「挨拶、時間厳守、感謝を教える」ことから始まりました。「当たり前のことが当たり前にできる。それが野球にとって非常に大切なことだからです」。上手・下手、学年関係なく部員全員がボールに触る練習を行い、監督1年目は玉川大学が所属する首都大学野球2部リーグ戦は春秋ともに1勝のみ。それが2018年のシーズン、秋のリーグ戦でベストナインに玉川の選手が3人選ばれ、そのうち一人は2部の個人打撃成績で打率トップに輝きました。樋沢監督の野球への思いが今、玉川の丘でも結実しつつあります。

「子供たちの成長は、親がどう教育し、応援するかに左右される」と話す樋沢監督。長い野球人生に裏打ちされた人間とスポーツに対する深い洞察がにじみ、ユーモアたっぷりに話される講義は、多くの受講者の心に染み渡りました。