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工学部

2014.03.31

社会に貢献できる、真の工学技術者育成をめざして

完成した工学部校舎 1963(昭和38)年

玉川大学が開学する以前から、玉川学園では興亜工業大学玉川工業専門学校において工学教育を行ってきた。そうした中で1960年代に入り、日本は高度経済成長に伴い工業の分野が大きく躍進。新しい工業国に欠かせない有能な科学技術者を養成するために「玉川大学にも工学部を」という気運が学内にも高まってきたのだった。
小原國芳は「資源の乏しい日本においては真実の科学技術日本を実現する他にない」という技術日本・産業立国の国是から、「欧米の科学技術を凌駕し得る素地を有する」という日本人特有の技術に堪能な勘の鋭い国民性から、「全人教育、宗教教育、教育の12信条」という過去30余年の玉川教育の実績から、そして「幼稚園から大学までを受験勉強に費やすことなく創造的、科学的、技術的才能を伸ばせる」という18年間の一貫教育の立場から、工学部の設立を決断したと語っている。
当時の「玉川大学工学部設置趣意書」には、設置の趣旨について以下のように書かれている。
「一、世界の著しき進展に伴い、我が国が新しい工業国として大きく起ち上がりつつある今日、有能な科学技術者を質的量的に確実に養成することは、現今最大の急務であります。
一、然るに十年後を目標とする科学技術振興の綜合的基本方策に拠れば、科学技術不足数十七万人を算し、国立大学の養成能力はその四割を満たすに過ぎません。
一、茲において、わが玉川大学は、真に憂国の至情もだし難く、この国家的課題の一翼を担わんとして、三十七年度を期して工学部を新設いたしました。誠に心技一如、霊肉一体の気高き工業人士の育成を期しております」。
こうして1962(昭和37)年、玉川大学に工学部が誕生した。

現在の大学8号館

玉川大学工学部に最初に設置されたのは機械工学科、電子工学科、経営工学科の3学科であった。初代工学部長は北海道大学の工学部長や室蘭工業大学の学長などを歴任してきた大賀悳二。大賀の他にも元京都大学工学部長の鳥養利三郎と東京大学名誉教授の青木保が指導顧問として就任するといった豪華な陣容となった。
大賀は工学部開設にあたり、以下のように述べている。
「今回、小原先生の御懇請で玉川大学に参りました。すべてが、今までのわたくしの周囲には、なかったことのみであり、一切が驚嘆であり、感激と感銘の連続であります。『技術は、すなわち、人なり』と言われております。これも永年、わたくしの育てた学生には、繰りかえし説いて来たことで、玉川の『全人教育』にも通じるものと信じて疑いませぬ。世は施術革新の時代と言われ、次々に成される新産業の誕生とそれに対する技術者の充足はいまや、わが国の切実な叫びとさえなっていることは周知の通りであります。しかし、このように急進しているわが国の産業のバックには、まだまだ、外国技術の導入が大きい役割を果たしているのです。残念なことではありますが、数では世界一の大学をもつわが国技術の現状であります。もちろん、技術教育には時がかかります。しかし、所詮、根本はそれに適応する人材の養成でありましょう。こうした技術教育と小原先生の『全人教育』を十分にマッチするように努力成就させることが玉川大学工学部の特徴でなければならぬと考えます。この理想実現のため御協力を冀念してやみませぬ」。

また鳥養と青木も以下のような文章を寄せている。
「小原さんは京大の同学の士です。かねて、京都哲学を基礎に、何十年、大胆なる新教育を実験して偉大な実績を挙げ、内外に高く謳われています。その土台の上に、今回、いよいよ、工学部新設を発意されたことは、数多い工業大学のある中で、嶄然、見るべきものが生れるだろうと喜びにたえませぬ。就いては、その指導顧問の重責を懇望されました。衷心より賛同申し上げ、立派な工業人を育成するために協力をお約束申し上げる次第であります(鳥養)」。

「小原学長と相知ったのは今から三十数年前、成城時代からのことです。私の三児をその成城学園に託し、そして、卓抜な『全人教育』『個性尊重の教育』『自学教育』等を受けしめたことは、最も欣快とするところで、心から小原先生の教育方針に感謝しておる一人です。今回、工学部の増設をせられるに当り、その指導顧問の大役を委嘱されましたが、かねて、先生の高遠なる教育精神、旺盛なる教育実践力を知っている私は、心から賛同申し上げ、国運開拓のために労を惜しまぬ決心をいたしました。必ずや、立派な工学の大殿堂が現出することと確信するものであります(青木)」。
こうした内容から当時における工学教育の重要性が理解されると同時に、工学と同時に全人教育を行うという、玉川大学工学部への期待感がうかがえる。

工学部は設立後も時代の変遷に合わせて新学科の改組を重ねていった。情報通信工学科、マネジメントサイエンス学科、機械システム学科、知能情報システム学科、メディアネットワーク学科、マネジメントサイエンス学科、機械情報システム学科、ソフトウェアサイエンス学科などを開設。現在は機械情報システム学科、ソフトウェアサイエンス学科、マネジメントサイエンス学科の3学科構成で、2014(平成25)年度からは数学教員をめざす学生のための専門プログラムである数学教員養成プログラムも新たに開設。2015(平成26)年度には既設の3学科に加え、エンジニアリングデザイン学科が増設される予定である。また学内に設置された学術研究所、脳科学研究所、量子情報科学研究所などはもとより、総合大学の強みを生かし、他学部との連携も緊密に図り、ハードとソフトの両面から工学の研究を行っている点が特徴である。

玉川大学工学部が誕生してから既に半世紀が経過しているが、開設当初から工学部棟の玄関の両脇には石碑が飾られている。どちらも小原國芳の筆によるものだが、一方は「慧眼見真」、もう一方は「神なき知育は知恵ある悪魔をつくることなり」とある。前者は、無量寿経という仏説の一句であり、知恵の目をもって真実を見ることを指す。そして後者は、小原國芳が編んだ『真人の言葉』(玉川学園出版部1935年刊行)に、「ウェリントンの言葉」として載るものがそれに近い意味がある。今日では、「唯物論的人生観に堕落しやすい理科マンをきびしく救うため」に書かれた小原國芳の言葉として紹介している。だからこそ科学者には玉川学園が当初から提唱する全人教育が不可欠であり、また慧眼真見も求められるのである。科学技術の発達が速度を増し、その倫理観が問われることの多い昨今、玉川大学工学部ではその誕生の時点から学生たちに向けて警鐘を鳴らし続けている。


参考文献
小原國芳編『全人』第139号 1961
玉川大学工学部創設30周年記念大会運営委員会編『玉川大学工学部30年のあゆみ』 1992

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