故きを温ねて 42

舞踊を通して、子供たちの情操を思う存分伸ばしてやりたい

1954(昭和29)年頃の幼稚部リトミック。舞踊教室にて
1957(昭和32)年刊行の岡田純子編『学校舞踊』。「どんぐりぼうや」など25の舞踊が収められている

小原國芳は舞踊について「もっともっと教育で大事にされねばならぬと思います。全人教育では欠かせぬ一つの項目です」(『全人教育』262号)と述べた。

その理由として「豊かな芸術性、深い内容、美しい技術は必要ですが、舞踊を通して子供たちの情操を思う存分伸ばしてやりたい……子供たちは歌いたい、はねまわりたい、とび上がりたいのです。これを昇華させ、美しい清らかな芸術に結びつけ、更に深く、高い芸術的境地に導いてやるためには何よりだとさえ思います」と、続けている。

舞踊の高い芸術性を看破し、玉川では創立時より舞踊家の石井漠、リトミック指導の先駆者である小林宗作らの指導を受けた。それは石井や小林の舞踊への取り組みが、小原の唱えた全人教育における芸術への考え方と同じだったからである。それはまた、小原が世界一の体操として導入したデンマーク体操の「よりリズミカルに」というあり方ともつながり、全人教育での調和的人格の形成を目指す道の一つであった。

戦後、小学部(当時)での舞踊指導は、石井の直弟子の一人でもあった小原國芳次女の純子(後の岡田純子)らによって引き継がれた。岡田はともすれば女子に偏りがちであった舞踊を男子大学生にも指導した。日本の民俗舞踊も取り入れ、海外公演では大きな賞賛を得た。それは小原の言う「舞踊は世界共通のことば」である証として、舞踊教育に力強い息吹を与えることになった。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2017年2月号(No.813)より