故きを温ねて 48

全学園、二学期間にわたる徹底的な満洲研究

「万里の長城」を教室の壁いっぱいに描く小学部児童(1940年)。
当時専門部学生であった小原哲郎(後の学長・総長)らは満洲各地に向かい資料収集を行った
「ラマ廟と高梁畑」を小学部児童が描く。1940年

創立者小原國芳の中国大陸訪問は1930(昭和5)年8月の大連等への訪問を皮切りに、数度にわたって行われた。当時の南満洲鉄道や満洲国文教部からの招聘であった。

1932年3月、満洲国が建国した。学内に満洲国留学生も在学し、生徒たちにアジアへの関心が高まった。1940年1月から小学部、中学校、女学部で満洲総合研究が実施された。

「全学園、二学期間にわたる徹底的な満洲研究。地理、歴史をはじめ、国語も音楽も、理科も語学も、美術も舞踊も」(『玉川教育』)と、小原は回想する。これらの学習成果のひとつは大連、奉天、新京、哈爾浜、大興安嶺、長白山脈等の大陸の景観を校舎内に再現し、万里の長城を教室の壁面いっぱいに描いたことだ。

満洲研究への取り組みから必然的に満洲へ行きたいという希望が生徒たちに湧いた。それを叶えるため、同年6月から45日間にわたって、小原國芳夫妻ら教職員保護者生徒学生一行35名が、満洲、内蒙古訪問を実施。軍隊への慰問、各都市の学校等でデンマーク体操や舞踊、合唱の発表、小原の教育講話を行った。日中戦争が拡大する大変な困難が伴う中で、「南京虫にかまれながら、酷暑と戦いながら」(『全人』91号)の公演旅行であった。

児童生徒一人ひとりが意欲的に学習課題に取り組んだからこそ、満洲を自分の目で確かめたいという希望が出たのだろう。学習にどのように向かい合うかが、児童生徒の自ら学ぶ力を高める原点になるのではないか。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2017年9月号(No.819)より