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故きを温ねて 57

もつと自由に大膽(だいたん)に、子供らしく純に卒直に

1932(昭和7)年。当時の小学部美術室での写生
1965年。経塚山中腹での中学生の写生

明治維新以降の学校教育において、習字では教科書手本をまねる臨書があり、図画学習では教科書挿絵の手本を正確に写す臨画が行われた。

大正期に入り自由教育・個性尊重の教育が広まり、洋画家山本鼎(かなえ)が自分の目で見て感じ取ったものを描く自由画教育運動を提唱した。

小原國芳もその考えに意を得て「繪畫(かいが)や模寫(もしゃ)や技巧にも貴い意味はありますが、もつと自由に大膽に、子供らしく純に卒直にかゝして下さい。個性のない處(ところ) に、純眞さのない處に、創造のない處にホンモノは生れませぬ」(『母のための敎育學』)と述べた。さらに、砂場遊びも大事な芸術教育で子どもたちの生活であると、衣服が汚れることを厭わぬよう、良い教育のためには骨が折れると訴えた。

本学では創立期から小学部(当時)でも図画を美術と呼んだ。玉川学園機関誌『學園日記』第37号(1932年8月)に載る写真から、教室右端の机上の器や果物を小学生が写生している様子がわかる。

「子どもは本来、動的で、生命に充ち、自由溌剌たる創造者です。発明家です。自発教育のために、まず美術教育を、芸術教育を尊重……それらの活動を認めてやることによって、子どもたちに、ひそんでいた生命の芽が伸び出し、明るくなり、個性を発揮していく」(『美術教育』)と、小原は美術教育の大切さを重ねて述べている。

今も各部美術室には子どもたちの躍動的な作品があふれている。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2018年6月号(No.828)より

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