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故きを温ねて 70

敎科書、掛圖、玩具、敎具等の蒐集

広島高等師範学校附属教育博物館(広島高等師範学校五十年史「永懐」より)。
名校長と謳(うた)われた北条時敬(ときゆき)の意見により転任記念として設立された
「第二博物圖」。果実44種、瓜果15種類が色鮮やかに描かれている。文部省刊行(教育博物館所蔵)

1877(明治10)年、上野公園に現在の国立科学博物館の前身である「教育博物館」が開館。その後「東京教育博物館」と改称してお茶の水の湯島聖堂内に移転後、再び上野公園へ。
1915(大正4)年11月には「広島高等師範学校附属教育博物館」が開館。奇しくも小原國芳が香川県師範学校を辞し、京都帝国大学へ入学した年と重なる。
玉川学園開校後、小原が「敎科書、掛圖、玩具(がんぐ)の蒐集(しゅうしゅう)」を呼びかけたのは創立の1929年8月発行『學園日記』(第二號)であった。さらに太平洋戦争終了年の9月、学生宛文書で「図書館の充実を図りたい、博物館も建設したいと」と述べ、その夢を24年後に「教育博物資料室」として実現させた。上野と広島、どちらの博物館のイメージが小原の頭の中に描かれていたのだろうか。
先にふれた「掛図」は玉川大学教育博物館での主要収蔵史料の一つで、「掛図」の特別展も開催してきた。果実・瓜果類が載る「第二博物圖」の色合いや形状の美しさは秀逸と思われる。銅版墨刷りで、色は木版によってつけられ、銅版特有の表現で細部にわたり描かれている。本史料は1873年の製作である。教科書が児童に行き渡らず一斉指導の折に使用するため、より正確な描写をしたのだろう。科学と芸術が融合した教材と言える。
浮世絵や錦絵などの江戸期の豊かな芸術文化があったからこそ、明治初期にこのような教材が生まれた。「掛図」は教育博物館第1展示室にて常設展示中。是非、見ていただきたい。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2019年9月号(No.841)より

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