玉川豆知識 No.85

戦後まもなくつくられた「玉川音頭」、72年ぶりに復活

今から72年前、小原國芳の呼びかけでつくられた『玉川音頭』。今年(2018年)、玉川学園の街で『玉川音頭』が72年ぶりに復活しました。

1.「玉川音頭」の誕生

戦後すぐの混乱期である1946(昭和21)年、「みなさん元気を出して頑張りましょう」という玉川学園創立者小原國芳の呼びかけで「玉川音頭」がつくられることになりました。当時玉川学園の教員であった田中末広と岡本敏明の二人が、それぞれ作詞と作曲を担当。踊りの振付は小原純子(後の岡田純子)が行いました。

玉川音頭(『愛吟集』31刷より)

2.「玉川音頭」の初披露

1946(昭和21)年8月15日、玉川学園前駅の駅前で行われた盆踊りで「玉川音頭」が披露されました。ピアノ伴奏は岡本玉子が担当。その時のことが、『全人』の昭和21年9月20日発行号(玉川学園出版部発行)に次のように記述されています。

8月14日 石塚榮二(専門部2年)

十五日の盆おどり大會の準備の爲今日も又新井と二人で町内會に行く。午前中はポスターの配置、其の他の雜務で費したが午後は會場の照明や、スピーカー装置の方を手傳ふことになり濱と一緒に講堂からコード類やスライダック等を運び配線にとりかかつた。電源は驛から町内會までを鉛被線で架空線にしたので大分苦心した。擴聲装置には沖本先生の所からラジオセットを借りて來て代用した。
    (略)
夕食後塾生二年以上に手傳つてもらつて「お客の間」からピアノを驛前に運ぶことになつた。
このやうに一日をすごし午後七時三度驛前に行く。さつき運んだピアノで盆おどりの練習が始つた。

さあさ歌はうよ、玉川音頭
歌にみんなの心がとけて
いつも樂しい丘の町

8月15日 盆子原里志(玉川工業専門学校2年)

驛の廣場は電燈が皎々と照り輝き大勢の人で一ぱいであつた。廣場の中央には「玉川音頭」と朱色鮮かに恰も踊つてでもゐるかの様に描かれた大きな額が掲げてあり、上手に一段高く座が設けてあつてその周圍には鈴をつるした様に色彩鮮かな、全町から集つた燈籠が吊してあり、僕等塾生の丹精こめたのも見える。
空は隈なく澄み、月は山の端にほのかにかかり、北斗七星は冲天に美しい。
軈て音楽部の柳澤君のタクト一閃、「祭の小夜曲」に第一部は開始され、民謡、小學唱歌獨奏、丘の子供達の歌や舞踊、つづいて第二部は町内會の有志のかくし藝です。
次は愈々「玉川音頭」。田中先生作詞、岡本先生作曲、小原純子先生振付けの玉川音頭を歌ひそして踊るのです。進駐軍もジープを驅つて參加、私達は三重の圓を作り
さあさ皆んなで玉川音頭、踊りやみんなの心もはれて、いつも樂しい丘の町・・・
興奮からさめて並木の道を歸途につく、故郷の母を想ふ、星の光が美しい。

玉川学園前駅の駅前で玉川音頭を踊る
1996(平成8)年発行の愛吟集(31刷)

同誌に楽譜入りの「玉川音頭」の歌詞が掲載されています。
また、「玉川音頭」は、1996(平成8)年3月28日発行(31刷)の『愛吟集』(玉川大学出版部)に載っています。

3.「玉川音頭」が72年ぶりに復活

2018(平成30)年8月18日、玉川学園ポケットパークにおいて開催された「つばめ夏の演芸祭」(玉川学園の街を紹介するフリーペーパー『玉川つばめ通信』が主催)において、「玉川音頭」が72年ぶりに復活しました。

参考文献

  • 小原國芳監修『全人』昭和21年9月20日発行号 玉川學園出版部 1946年
  • 玉川學園五十年史編纂委員会編『玉川學園五十年史(写真編)』 玉川學園 1980年
  • 『タウンニュース』(町田版)No.748 株式会社タウンニュース社 2018年
  • 『町内会だより』2011年度No.5 玉川学園町内会 2011年
  • 『玉川学園 塾の歩み五十五年』 玉川大学・玉川学園女子短期大学塾 1985年
  • 『愛吟集』31刷 玉川大学出版部 1996年