『全人』生涯学べ(2013年4月号)

白石達哉さん
宮城県石巻市立
桃生小学校教諭
通信教育部で1996年小学校一種教員免許状、学士学位取得(大学卒業)
教え続けるために学び続けたい
中学時代から、小学校の先生になろうと思っていたんです。子どもたちに教えるのが向いているんじゃないかと言われて、うん、そうかなと(笑)。
ところが、教育大受験で失敗し、公務員になって小学校事務職員に。仕事を続けながら受験を繰り返して不合格だった三年目、恩師に勧められて玉川の通大に入学しました。実を言うと、玉川の名前も知らなかったんです。初めての夏期スクーリングで宿泊した「SK相模台」で全国から来ている仲間と出会い、もう授業後は毎晩、議論議論。理想の教師像を語り合い、将来に対する自分の気持ちが揺るぎないものになりました。かけがえのない出会いです。
入学三年目で小学校教員の二種免許が取れて、事務職員を退職。宮城県の非常勤講師になりました。僻地勤務をして、通勤中にクマが出た、校庭にサルが来たという学校にも行きました。
九六年に通大卒業、翌年、教員採用試験に三度目の挑戦で合格。非常勤講師も途切れていたときで、図書館に開館から閉館までいて勉強し、夜はバイトという生活。合格はとても嬉しかったですね。
宮城県白石市立の小学校の五年生を担任しましたが、初年次は採用試験より勉強したかもしれません。教材研究や指導法など、やっぱり現場に立ってみて初めて、子どもたちが何につまずくのか、どう教えればいいか、リアルに悩むし工夫もします。今は一年先の到達目標を見据えて計画を立てられますが、最初は目先のことで奮闘している感じです。
でも、あの初任のときの、次々に課題にぶつかりながら解決する期間って、教師にとってすごく大切で必要な経験だと思うんです。今も行き詰まったときには立ち戻る地点になっていますね。
「分かる」ためにはどうしたらいいか、考え工夫するのが教師の喜びであり原点です
ところで、私の赴任した小学校はどこも専科の先生がいないので、音楽や家庭科には苦労しています。まず、ピアノと歌。これはもう採用試験のときも十字架で(笑)、「弾き語りをすれば得点が上がる」と聞いて、小田和正の気分で高らかにやってみた。曲は「春の小川」ですが。現在も練習中です。
家庭科は調理実習に被服制作。「ミシンの下糸がボビンに絡まった!」など、こればっかりは解決法は経験しかないですね(笑)。
全科を教えるのは楽しいし、小学校教員の醍醐味です。どの教科も大事にしていますが、なかでも体育は子どもたちが達成感をもてるように取り組んでいます。「頑張れ」とか「怖がらないで」など、体育はつい精神論で指導されがち。けれども、鉄棒や跳び箱や球技でも、ちゃんとした理論で、からだのどこをどう使えば何ができるか指導をしたい。ビデオを撮ったり図解を利用したり、放課後にずいぶん研究しました。自分のからだを自分で使いこなせた感覚って、学習ともすごく結びついていて、生活の基盤でもあるように思うんです。
実は、教員の二年目は院内学級を担任しました。大きな病気や事故などで入院生活を送る子どもたちのために、病院内に設置されている学級です。
朝は医師と看護師と教師とのケース会議があって、たとえば「今日は二〇〇メートルなら歩いていいです」といった厳しさです。友だちとの交流にも制限がある。教師として教えるというより、外の世界との扉の役目を果たせるかどうか。授業計画だけではなく、感情や興味関心もからだの状態に影響されます。健康はあたりまえのことじゃない、自分のからだと向き合うことを絶対おろそかにはできないと感じる日々でした。
今まで六年生を担任することが多かったんです。どの学年もやりがいがありますが、六年生になると学校全体を動かすようなダイナミックさがありますね。子どもを教える仕事がしたいという気持ちが始まりでここまで来ましたが、子どもたちは教師になってからのほうが、うんとかわいい。どんどんかわいくなりますよ。
1996

1996

2011


2011
7年間勤務した登米市立南方小学校の離任式。教え子の卒業生たちが集まって、送り出してくれた