『全人』生涯学べ(2013年11月号)

加藤恵樹さん

東京都北区立
西浮間小学校教諭

東京都出身。2013年通信教育部で小学校2種教員免許状、図書館司書資格、学士学位取得。同年4月から西浮間小学校に勤務

社会人経験を教育の場に活かす

 50代半ばで小学校教員の道を志したのは、まさに第二の人生のスタートでした。それまで企業で培われた経験を「教育」という場で活かしていくことで、今度は社会へお返しできればと思ったのです。
 短大卒業後、私は医療機器の業界に携わり、30代でフィリップスという外資系企業へ転職しました。当時、フィリップスでは身体の病変をMRIで撮影する診断装置を開発し、日本でも導入される黎明期だった。臨床の現場では試行錯誤を重ね、技術面をサポートする仕事を20年ほど担当。日本の医療に貢献しているという充実感もあり、駆け抜けるような日々でした。
 ところが、外資系では50代になる社員に早期退職を募る。いわば第一線から退くよう勧める〝リストラ〟です。会社を去っていく先輩たちを見ながら、そろそろ自分の番かなと思う。けれど、その先どうすればいいのかと悩み続け、ついに退職を決意したのは53歳のとき。あとは自分にできることから試してみようと思ったのです。
 趣味で30年以上写真を撮っていたので、まずはカメラの仕事を探すため、撮影スタジオへ面接に行きました。声をかけられた会社で入社式の撮影を任され、結婚式などの撮影の注文も入るようになった。自分でHPを立ち上げ、個人で受けるようになりました。
 さらにもう一つ挑戦したのは、4年制大学の卒業資格を取ること。仕事の求人も短大卒の学歴では不利になりがちなので、玉川の通信教育部へ入学し、図書館司書の資格取得も目指しました。あの頃はまだ教員になろうとは考えもしなかった。それが教育の場に関わることになったのは、北区で理科支援員の募集を見つけ、採用されたのがきっかけです。理科の実験をサポートする仕事で、自分も小学校時代は理科の先生が好きで、とにかく実験が楽しかった。小学校へ週2回通うなかで、教育の面白さを感じていく。そこで通大でも教職課程を履修し、今年3月には小学校教員の2種免許状を取得。57歳で教員を目指すことになりました。

30数年、社会で経験したことをこれからは次の世代に伝えたい未来ある子どもたちの生きる力になることを願って

 東京都では年齢制限の募集枠が広がっていても、現実には受験しても難しい。その矢先、北区で理科支援員をしていた小学校の校長から連絡があったのです。「4月から産休・育休補助教員として来てくれないか」と声をかけられ、これもご縁と有難く受けました。
 とはいえ、新卒でいきなり3年生の担任を任されても、実際の現場ではわからないことばかり。子どもとコミュニケーションが上手くとれず、私語が多くなって授業が成立しない。自分は教員に向かないなら、もう辞めたほうがいいのかとまで思い悩みました。
 それでも夏休みに入り、児童心理や発達障害などのセミナーを受講して理解を深めると、心に余裕が出てきた。すると子どもを見る目も変わってくるんです。今まで叱ってばかりいたけれど褒めることを心がけた。朝、出欠を取るときも「先生が一番元気」と言われるほど大きな声で名前を呼ぶと、皆も元気に答えるようになりました。
 思えば最初の辛い時期を乗り越えられたのは、社会人としてもっと苦しい経験をしてきたことが支えになった気がします。実は会社をリストラで退職してまもなく、大学4年の長女を病気で亡くしました。娘も教員免許が取れた矢先で、夢を果たせなかったことが無念だった。そんな経験を経て、ようやくスタートした第二の人生だけに辞めるわけにはいかないと思ったのです。
 今、授業で子どもたちと向き合っていると目の輝き方が違う。それはサラリーマン時代には味わったことのない感動を与えてくれます。子どもたちの前では、自分も本当の意味での実力を、日々、試されていますね。

2012.3

通大の谷和樹先生をお招きした学習会に参加。スクーリングで一緒になった仲間とは今でも交流がある。教員になった人たちとの情報交換も貴重

2013.3

通信教育部の卒業式。1977年に短大を出て以来、36年来の夢が叶った。スクーリングでお世話になった先生方とも一緒に記念撮影をお願いした

2013.8

今年4月から西浮間小学校の産休・育休補助教員として採用された。夏休みのプール指導で子どもたちの健康カードをチェックしている

2013.9

自分自身も小学校時代は情熱ある先生の指導で、理科の面白さを知った。だから、1人でも多くの理科好きの子を育てたいという夢がある。担任する3年3組の授業では楽しく理解できるよう工夫し、子どもたちも熱心に聞いている。植物の育ち方を説明し、サボテン栽培を提案した