『全人』生涯学べ(2020年8月号)

武田由隆さん

横浜本牧絵画館
館長

大学卒業後、銀行勤務を経て50歳で独立、コンサルタントに。2015年、学芸員資格取得。17年、妻の叔父で画家の岩田榮吉の作品を中心に横浜本牧絵画館を開設

銀行員の経験を生かして私設美術館の館長に

 私設の美術館、「横浜本牧絵画館」で館長を務めています。主に展示するのは、パリで写実的で細密なトロンプルイユ(だまし絵)を描き続け、没後も美術界で特異な地位を占める画家、岩田榮吉(えいきち)の作品です。
 岩田は東京藝術大学美術学部油画科を経て1957年にフランスにわたっています。当時日本でまだ広く知られていなかったフェルメールに傾倒し、彼の足跡を追い、学びました。82年に彼が亡くなってから、姪である妻が作品や資料を整理してきました。その蓄積をもとに、設立に向けて動き始めたのは2013年頃のことでした。
 私は銀行員として、融資をはじめ、さまざまな資金調達手段を通じて取引先が夢を実現するお手伝いをしてきました。経験を美術館運営に生かし、人生最後の仕事をしたいと考えたのです。
 私たちの絵画館は、博物館法の適用を受けない私設美術館であるものの、企画展のために個人や他の美術館から作品を借りたりすることを当初から想定していました。もし学芸員がいなければ貸してくださる方々の信頼は得にくいでしょう。有資格者を従業員に雇用することも可能でしたが、自分で勉強しようと考え、通信教育課程の学芸員コースに入学しました。
 絵はもともと好きだったものの、専門的に勉強したことはありません。でも学ぶことに抵抗はありませんでした。銀行員は仕事柄、多様な企業とお付き合いします。製鉄会社担当になったときには、まず鉄をつくるプロセスを勉強したものです。取引先の事業を理解できないようでは仕事になりませんからね。銀行員にとって、学びは日常的なことだったのです。

一人の画家の紹介にとどまらず後進育成にも努めたい

 コンサルタント業のかたわらで知人や取引先のつてを頼りに、美術館の建築とはどんなものか調べました。実際に訪ねて収蔵庫など裏側も含めて見学する中で聞いたのは、「コレクションの内容と規模で建築の仕様が大きく変
わる」ということでした。
 立体作品を扱うなら、天井を高くする必要があります。コレクションを大きく増やしたいなら、展示スペースと引き換えに収蔵庫を確保しなければなりません。収蔵庫の不足は多くの美術館関係者から聞く悩みごとでした。一方収蔵庫を大きくすると、恒温恒湿を維持するために使用するエアコンの電気料金がかさむことにもなります。
 こうした課題を前に、建築にあたって、資金と夢の折り合いをつける必要がありました。銀行員やコンサルタントの立場で、企業活動に伴走した経験が役に立ちました。
 岩田は丁寧に作品づくりをした画家で、寡作です。作品を見た来館者から「プロらしくないプロですね、プロは
手抜きをしますから」と、岩田の本質を見抜く感想を聞けたときほど喜びを感じることはありません。
 今後は岩田の作品に限らずコレクションを充実させるつもりです。これまでに、彼が直接交流した画家だけでなく、彼の影響を受けながら現在活躍している画家の作品も含めて紹介してきました。現役の画家の方々を発掘・支援することが、岩田やトロンプルイユの認知度を高め、ひいては当館のステータス向上にもつながるはずだと考えているからです。
 美術展や美術館運営の企画立案など銀行員時代には想像もしなかった仕事ですが、さまざまな角度から、画家の魅力を照らし出していきたいですね。

2016

義父の没後、その住まいがあった場所で横浜本牧絵画館建設を開始。本牧は名勝・三溪園があり、幕末から洋風文化が根づいた土地でもある

2017

5月に開館。開館記念展は「岩田榮吉の世界」と題し、生涯を作品と資料を通して辿る形で構成した

2018

岩田のフェルメールへの傾倒ぶりや、学んだポイントをもとに、渡仏後の作品を紹介した

My Precious Day

妻で運営法人の理事長・武田春子さんと、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌをモチーフにした岩田の「薔薇の貴婦人」の前で。春子さんは『岩田榮吉画集』(求龍堂)刊行や作品・資料整理、年譜作成などに携わった