小島佐恵子先生第1回 大学への関心

2016.07.19

 今からもうだいぶ前になりますが、校則の厳しい小さな女子校にいた私は、「もっとたくさんの人の中で、いろいろな価値観に触れながら自由に学びたい!」という希望をもって、大規模な大学の文学部に入学しました。当時の大学は、今のようなシラバスもなく、講義とはどのようなものか、よくわからぬまま、入学式を終えたらすぐに履修登録をしなければなりませんでした。わけもわからぬままにマークシートを埋めて登録をしたものの、私は履修登録の抽選に3度も落ち、第2外国語は(予想外の)ドイツ語となり、さらに基礎演習は(ドイツ語選択にもかかわらず)フランス文学(しかも怪奇文学……)を履修するという結果になりました。フランス文学といえば『星の王子様』しか浮かばなかった私にとって、怪奇文学の世界は、履修者の面々も皆強烈な印象でしたが、刺激的な授業でもありました(授業に出てくる本をほぼ読み尽くしているような学生も多くいました)。このように1年次の履修登録では一見不遇な状況に置かれたように思ったものの、ドイツ語も教科書の内容がなかなか痛快で(『それいけ明子(Akikos Abenteuer)』同学社)、「人文地理学」「西洋哲学史」「舞踊」「人類学」「生理学」「倫理学」等々、数えるとキリがないですが、すべてが異世界でとても面白い授業ばかりでした。今でも1つ1つ授業の光景やキーワードを覚えているほどです。しかし、そうこうしているうちに前期試験がやってきて、いつもの講義室に行くと、信じられないほどの人、人、人……。あ!これは300人くらいの人が履修していたのか(いつもは数十人なのに……)、と気がつくこともありました。試験のときになって人が溢れる(普段の履修者の規模で講義室が設定されている)というのは、今となってはほとんど見られないのかもしれません。このように大学は、あらゆることが自由で、いろいろなことに混乱させられましたが、それをどこか面白がっていた自分もいました。大学4年生のときに、大学について研究したいと思ったのは、まさにこの「面白さ」と「混乱」がきっかけだったように思います。
 このような大学時代を経て、私は今大学を研究対象とした研究(高等教育研究)を行っています。「高等教育研究」は高等教育を対象とする学問であり、研究手法はさまざまです。歴史や国際比較の手法を始め、経済学・心理学・社会学等々多種多様なアプローチから研究が進められています。また、日本においては90年代末に高等教育を研究対象とした学会が作られました(大学教育学会は一般教育学会としては1979年に発足しましたが、1997年に現在の名称に変更されました。また日本高等教育学会は1997年に発足しました)。この高等教育研究の発展時期は、大学改革の波とも大きく重なっています。たとえば、現在では、シラバスが詳細に書かれ、履修指導もあり、「一年次セミナー」のような初年次教育も普及するなど、学士課程教育は年々整備されてきており、今や私が「混乱」していたような状況はなくなりつつあります。
 今、私が大学に入学したら、かつてのように大学に関心をもっただろうかと、ときどき思います。当時悩まされたことも、今の自分に結びついたと思えば、まぁいいかと思えたり、一方で、あのような思いをしなければ今ここにはいないだろうな、もっと違うことをしていたのかもしれないなとも思ったりします。
 次回以降はどのようなことに関心をもったのか、もう少し詳しくお話するとともに、教育と研究についてそれぞれ書いていこうと思います。