佐久間裕之先生『全人教育論』出版50周年に寄せて

2019.11.27

―西田幾多郎『善の研究』との関わりを軸に―

玉川学園・玉川大学の創立者小原國芳が、我が国で初めて「全人教育」を提唱したのは、1921年8月8日のことである。提唱の舞台は、大日本学術協会主催の「教育学術研究大会」であった。一般にそれは「八大教育主張」講演会と呼ばれている。翌年、小原の講演記録は、尼子止編『八大教育主張』(大日本学術協会、1922年)に収められた。しかし、小原自身によって『全人教育論』(玉川大学出版部)が著作として世に出されたのは、約半世紀を経た1969年8月のことである。したがって、今年2019年は、『全人教育論』出版50周年という記念すべき年にあたる。
この初版『全人教育論』の目次は、次のとおりである。


一、全人教育論
二、全人教育 「八大教育主張」講演会(大正十年)より
三、価値体系論 『教育の根本問題としての哲学』より
結び

ここに示されているように、本書は1921年の講演記録の単なる再録ではない。「二、全人教育」は確かに「八大教育主張」講演会からの再録とも言えよう。しかし注目すべきは「一、全人教育論」の加筆である。この章は分量的に本書の約半分を占めている。これは小原があの講演会から約半世紀の歩みを経て、82歳の時に改めてまとめたものである。本書の「序」で小原は、「全人教育! 私はホントに、正しかったと、つくづく感謝しています」(注1)と、これまでを振り返っている。小原は本書の出版によって、彼の全人教育の思想と実践を総括、集大成したのだと言えるかもしれない。
ところで、小原の全人教育思想はいかに形成されたのか。この問いに答えることは容易ではない。なぜなら、彼は博覧強記の人であり、洋の東西を問わず、数多くの人物たちに言及しているからである。ただし、これまでに小原の「全人」思想に影響を与えた思想家として西田幾多郎と朝永三十郎が、また「全人教育」思想に関しては澤柳政太郎と小西重直が「とりあげられなければならない」(注2)と指摘されている。このコラムでは西田幾多郎に着目してみることにしよう。
『小原國芳自伝―夢みる人―(2)』(玉川大学出版部、1963年)によれば、小原は1915年、京都帝国大学文科大学に入学した後、自分の専攻を決めるにあたり、「先ず、西田先生をお訪ねいたしました」(注3)と記している。また、京大に在学した3年間の中で、小原は哲学概論をはじめ、特殊講義、演習など西田のもとで熱心に学んだ。哲学概論について、小原は「『教育の根本問題としての哲学』を書き上げた時には、大いに世話になった」(注4)と述べている。彼の入学以前に行われていた西田の宗教哲学講義についても、彼は卒業した先輩からノートを借りて写し取り、「卒業論文作成には大分、役に立ちました」(注5)と記している。西田の『善の研究』に関しては、1911年に弘道館から初版が刊行されたその年に、本書を手にしていたという(注6)。小原と『善の研究』をめぐっては、次のような興味深いエピソードが残されている。

この本を私は何万冊、買ったことでしょう。岩波さんにお礼をしてもらいたい位です。成城、玉川でも教科書に永年つかいました。約五十年間の夏季、冬季、日曜日曜の何千ヵ所の講習会では、よく、午後か夜、二、三割の優秀教師を集めて、あの本を講読に使わせて頂いたものです。時には、あの本ばかりを使って、三百、五百の人たちと一緒に、三日とか五日とか講読会をやったことも何十回あったでしょう。(注7)

なお、この講読会に関して、赤井米吉が叔父の西田から聞いた話を小原に伝えたという。その時のことを小原は次のように書き残している。

赤井君からの話でした。「西田のオジが、言ってたよ。僕が十年もかかって苦心して書いた本を、小原は三日で話すそうだ」と。私は三日間で紹介して廻っただけのことです。(注8)

ともあれ、『善の研究』の講習会・講読会の話は、小原がいかに西田に傾注していたかを示すエピソードの一つといえよう。
さらに小原の『全人教育論』を繙くならば、その中に『善の研究』からの直接的な影響をも読み取ることができる。西田は『善の研究』第3編第9章「善(活動説)」において、「善」とは「自己の発展完成」であると説き、次のように述べている。

竹は竹、松は松と各自其天賦を充分に發揮する様に、人間が人間の天性自然を發揮するのが人間の善である。(注9)

一方、小原は彼の「全人」思想について『全人教育論』の中で次のように記している。

「人」それは発しては個人であり、社会人であり、国民であり、人類であり、神の子であり、人の子であり、腕は働くべく、頭は考うべく、美を慕い、善を行い、しかも体系的秩序を有する一個の大宇宙です。しかも、各自が「天上天下唯我独尊」、唯一無二の、全世界とも代えられない宇宙である。その各宇宙が内的発展完成により各自の天性自然を発揮する時に、何物にも代えられない、竹は竹、松は松、菊は菊、菫は菫という独一無二の美しき完全境を生ずるのである。(注10)

小原にとって「全人」とは、各自のもって生まれた天性自然を発揮する唯一無二の美しい完全境のことを指しており、このことは西田が『善の研究』で説いた天性自然を発揮するのが人間の「善」とする思想と強い親和性を持つものである。小原は西田が「竹は竹、松は松」と語りだす言辞さえも自家薬籠中のものとして、小原自身の「全人」思想をさらに発展させていったとみることができる。もとより、以上のことは、あくまで小原への西田からの影響を示すほんの一例にすぎない。それはまた、あまりにも皮相な言及のままに留まっている。前述したように、小原の「全人」思想そして「全人教育」思想を理解するには、広汎な思想界の渉猟のみならず、彼の実人生に起こった種々の出会いと諸経験の世界へと立ち入らねばならない。それはまた他日を期したい。

〔注〕
  • 注1 
    小原國芳『全人教育論』玉川大学出版部、1969年、1頁。
  • 注2 
    三井善止「小原國芳の全人教育思想」『全人教育通論I・Ⅱ』玉川大学通信教育部、1988年、77頁。
  • 注3 
    小原國芳『小原國芳自伝―夢みる人―(2)』小原國芳全集29、玉川大学出版部、1963年、14頁。
  • 注4 
    同上、15頁。
  • 注5 
    同上、14頁。
  • 注6 
    同上、13頁。
  • 注7 
    同上、13-14頁。
  • 注8 
    同上、14頁。
  • 注9 
    西田幾多郎『善の研究』弘道館、1911年、189頁。
  • 注10 
    小原國芳『全人教育論』玉川大学出版部、1969年、199-200頁。