近藤洋子先生エビデンスと子どもの健康

2020.05.19

1.疫学的手法

中国武漢に端を発し、あっというまに世界中に流行拡大が起きたCOVID-19ですが、航空機が感染源を運ぶという言葉通り、グローバル社会を象徴した現象になっています。新型コロナウイルスの蔓延を防ぐために、公衆衛生学の中の疫学的手法が駆使されています。「疫学」とは、人間集団の中で起こる健康関連の諸問題について頻度と分布およびそれらに影響を与える要因を科学的な手法で明らかにする学問です。英語ではEpidemiologyといいますが、Epidemicは流行病という意味なので、流行り病の原因や治療・予防策を追及する学問ということになります。疫学の始まりは、19世紀半ばに、ロンドンに蔓延していたコレラの流行状況を医師John Snowが調べ、原因が汚染したテムズ川から取水した飲料水にあるということを究明したことであるとされています。その後、1884年にロベルト・コッホがコレラ菌を発見し、伝染病の原因は細菌やウイルスという病原体であることがわかり、疫学も大きな変容を遂げました。
新型コロナウイルス関連情報として、毎日発表されている感染者数、死亡数、都道府県別や国別の分布などに関する情報を統計学的に分析して、感染動向を予測することが疫学的手法にあたります。専門家会議の提言に使用されている、倍加時間(感染者倍増に要する時間)、実効再生産数(1人の感染者が他の人に直接感染させる平均人数)、陽性率、抗体保有率などは、新型コロナウイルス感染や発症の特徴を示す指標になります。これらのエビデンスをもとに、感染症の拡大予防対策を実施し、さらにその対策の実効性を検証していくことになります。

2.EBM(Evidence-Based-Medicine)

医学・保健学分野ではEBM(科学的根拠に基づいた医学)という言葉が1990年代から使われ出し、病気の治療法だけではなく、病気の予防法や健康増進の方法についても、エビデンスが重視されるようになっています。エビデンスの信頼度に従って、研究法を分類したエビデンス・ピラミッドがあります(図A)1)。これによると、エビデンス・レベルが最も高い研究法は、システマティック・レビューやメタ・アナリシスになります。次いでRCT(無作為化比較対照試験)、コホート研究、症例・対照研究となり、事例報告などの症例研究は信頼度が最も低い研究法になります。最近では、図Aのようなエビデンス・ピラミッドは、古典的ピラミッドと言われ、RCTやコホート研究についても、研究の枠組みに質のばらつきがあることをふまえ(図B)、信頼度の高いシステマティック・レビューやメタ・アナリシスの研究結果をもとに、それぞれの研究成果を見直す(図C)ことがエビデンスの有用性を高めるという考え方になってきています。
子どもの健康に関する分野でも、EBMの考え方が取り入れられてきています。例えば、赤ちゃんの授乳や離乳食の進め方の基準を示した「授乳・離乳の支援ガイド」2)が2019年3月に新しく改定されました。食物アレルギー予防のためには、妊娠期・授乳期の食事制限や離乳期の卵などの摂取制限は必要ないこと、母乳はアレルギー予防には効果があるとは言えないことなど、2007年に示された旧ガイドの内容から大きな変更がありました。このガイド策定のためには、過去10年間のシステマティック・レビュー、メタ・アナリシスおよびRCTによる国内外の論文を検証し、最新のエビデンスをもとにガイドが作成されています3)
WHOが2019年4月に公開した”Guidelines on physical activity, sedentary behaviour and sleep for children under 5 years of age”(5歳未満児の身体活動・座位行動・睡眠に関するガイドライン)4)においても、エビデンスに基づく指針が示されています。ここでは年齢別に1日に行うべき身体活動、睡眠時間、スクリーンタイムの推奨時間が示されています。乳児期には最低30分うつ伏せの活動が、1歳以上の幼児は180分以上の身体活動が、特に3歳以上については60分以上の中程度以上の身体活動が推奨されています。スクリーンタイムはどの年齢も推奨時間は0分で、座位(じっとしている)時間は長くても60分とされています。このガイドラインにはWeb AnnexとしてEvidence Profilesが公開されており、乳幼児期の身体活動・睡眠時間・スクリーンタイムと、肥満、運動機能や認知能力の発達、心の健康、成人期の心血管疾患や骨粗鬆症等の関連を検討した論文をリストアップし、ガイドラインに示した指針の根拠を示しています。

図 エビデンス・ピラミッド 1)

3.これからの研究方法は?

エビデンス・レベルが高いとされる量的研究では、統計学的な有意差によって客観的に誰もが納得できる結果を示すことができます。科研費等の公的研究助成による研究においても、疾病予防や健康増進の政策や実践活動に結びつくためのエビデンスが求められます。一方、前述した疫学の祖とされているJohn Snowの研究手法は、患者発生を地図にプロットしたことから汚染源の井戸にたどり着いたという記述疫学でした。丁寧に事象を記述し、分析することが疫学の基礎であり、エビデンスの基本とも考えられます。
現代のわが国の子どもの健康課題は、病気にかからない、命を落とさないことから、QOLの向上やwell-beingの実現に視点が移ってきています。集団で感染症予防や栄養状態の改善をしていた時代から、個の子どもに注目するようになっています。すなわち、一人ひとりの多様性をふまえながら、生涯発達の視点から心身の健やかな成長を実現することが、子どもの健康のテーマと言えます。図Cにあるように、量的研究によるエビデンスを虫眼鏡のようなツールとして用いながら、質的研究、事例研究、あるいは基礎的な研究によるエビデンスを融合しながら研究を進めていくことが求められています。

引用文献・資料