若月芳浩先生:保育研究の発展と保育の質(1)保育研究の現代的課題

2021.05.11

保育の質的研究が進行する中、大学院における研究においても保育実践と研究が融合する方向性でここ数年の研究が進められています。筆者が玉川大学大学院文学研究科学校教育学専攻の時代は修士論文を手書で提出しなければならない最後の時代だった事は今でも鮮明に記憶しています。当時の研究担当であった日名子太郎氏(元玉川大学教授)は当時「保育の構造化」i と称して科学的な知見に基づいた、根拠を明確に出来る保育内容の構造化に取り組み、筆者は当時幼稚園・保育所における保育目標とカリキュラムの関連構造について調査を実施しました。当時は最先端で研究が出来ていたと自負していましたが、大学院修了後に保育の現場に入り、担任の業務に携わったことによって、研究と実践の壁を痛烈に感じた事を記憶しています。

しかし、それから30年もの間に質研究の方法論や研究の方向性は明らかに進化し、保育の実践から乖離した研究に対する批判や、子どもを取り巻く環境や社会構造の変化によって研究のあり方は大きく変化を遂げてきたのです。特にここ数年は保育の質に関する研究が盛んになり、秋田氏ら ii による「乳児保育の質に関する研究の動向と展望」に象徴されるように、日本の実証研究の課題について明確な指摘をしています。その概要は以下の通りです。

  1. 日本の保育の現状を捉え、子どものどのような経験を保障し、どのような能力を育てることを目指すのかについて明確にする必要がある。
  2. 子育て支援機能の重要性とその支援の方向性の明確化。長時間保育と保育の質の検討。集団的敏感性と保育者の関係性。保育室の面積基準の狭さ。
  3. 保育の質評価尺度等による、日本が目指す能力・コンピテンシー等の測定。質の高い保育がもたらす成果。
  4. 保育に関わるシステム全体の在り方を検討する必要性。制度や保育指針等におる保育プロセスの質の評価。保育者の質や園長の在り方等。
  5. 量的研究だけでなく、質的研究の実施。保育プロセスの可視化。

以上のような課題から見えてくる事は、保育実践における実践的研究の在り方と保育の質をどのように向上させるかを明らかにすることが必要であることは、疑いのない事実です。

このような日本の保育における課題を少しでも解決することが研究者や実践者、更には大学院等における質的研究に求められています。質的な分析方法はここ数年多くの手法が取り上げられていますが、ミクロ的な発想に立つと、その分析結果が保育の実践に与える影響は、研究を丁寧に取り上げると大きな示唆を与えることがあります。またマクロ的な視点に立つと、量的な研究結果が保育の質に影響を与える可能性もあります。保育学研究を概観してみると、現場の保育者が興味を示し、自園の保育の質的な向上や個々の保育者の資質向上につながる研究も散見されるようになってきました。

上田敏文氏 iii らの研究では「私立幼稚園における主任教諭のリーダーシップに関する研究」において、M-GTAを活用して、リーダーシップの概念図を作成し、課題と今後の方向性を明らかにしています。特に私立幼稚園は世襲によって園が運営される傾向があり、経営者が保育実践にかかわりを持たないようなケースが多くあります。日本の70パーセントが私立幼稚園を占めている状況を考えると、経営に関わる人が、保育の実践に関わることは欠かすことが出来ない要素なのです。田澤里喜氏 iv の研究によると、私立幼稚園において免許を持っていない園長が46%を占めており、園長の資質について改めて問う必要があると指摘しています。このようない状況から考えると、保育の質的な向上を目指すには程遠いと言っても過言ではありません。筆者も私立幼稚園の経営と園長を担う立場から考えると、研究が実践に示唆を与えるためには、まずは実践者や経営者、園長職の立場の人間が自身の教育や保育に対する興味や関心だけでなく、研究としての方向性に一歩踏み出す必要があるのではないでしょうか。

  • i.
    日名子太郎『保育の過程・構造論』学芸図書、1986
  • ii.
    野澤祥子、淀川裕美、高橋翠、遠藤利彦、秋田喜代美「乳児保育の質に関する研究の動向と展望」東京大学大学院教育学研究科紀要56、399-419,2017
  • iii.
    上田敏文、秋田喜代美、芦田宏、小田豊、門田理世、鈴木正敏、中坪史典、野口隆子、淀川裕美、森暢子「私立幼稚園における主任教諭のリーダーシップに関する研究」日本保育学会、保育学研究第58巻1号:67-79,2020
  • iv.
    田澤里喜「就学前施設の園長・施設長の資格要件の現状と課題」玉川大学教育学部紀要:1-28,2021