佐久間先生:教育史研究こぼれ話Vol.2:「歴史上の事実」とは?:実証的な歴史研究をめぐって

2013.07.16
佐久間 裕之

教育史研究も実証的な科学である限り、他の研究と同様、事実認識を重視します。ただし、教育史研究が明らかにしようとする事実は、もっぱら歴史上の事実だという点が特徴的です。今、私は「歴史上の事実」という言葉を使いましたが、しかし、タイムマシンを持たない私たちは、一体どうやって「歴史上の事実」へとたどり着けるのでしょうか。また、それが間違いなく「歴史上の事実」であると、どのようにして証明することができるのでしょうか。

実証的な歴史研究を標榜する立場は、検証可能な客観的な証拠を探して、それに基づいて「歴史上の事実」に迫ろうとします。しかし、手に入る証拠は、断片的であったり、ごく限られたものがほとんどです(「歴史上の事実」をそのまま完全な形で閉じ込めるタイムカプセルはないのですから)。そのため、どうしても「歴史上の事実」を完全には知ることができません。そこで、手にした証拠を頼りに、いろいろと想像したり、類推を試みることになります。小説家であれば、そうした想像や類推をもとに何かを物語っても許されるかもしれません。しかし、歴史研究でそれは許されません。想像や類推は、あくまでも想像や類推でしかなく、ましてやそれを「歴史上の事実」とすることはできません。これが歴史研究に求められる実証的な態度です。

では、歴史研究はこのように厳密だから、歴史研究が捉えた「歴史上の事実」は正しいと言えるでしょうか。事態はそう簡単ではありません。なぜなら、「歴史上の事実」を研究する研究者自身も人的要因として影響するからです。一つのエピソードを紹介しましょう。

現在ドイツの教育界では、ナチス政権下で活躍した教育学者の責任追及が盛んに行われています。その鉾先は、いわゆる「ナチスの御用学者」とされる人物たちに限りません。ナチス政権下のドイツで生き延びた教育学者は恐らくナチス(あるいはナチスに加担していた)に違いない、と疑われているのです。その一人がイエナ・プランで著名なペーター・ペーターゼンです。彼は意識的にナチス政策に貢献したのだとする研究者と、それに反論する研究者との間で、激しい論争が今も続いています。しかも興味深いことに、両陣営とも実証的な歴史研究の立場に立ち、それぞれが客観的な証拠を提示してくるのです。彼らは両陣営ともに社会的評価を得ている著名な研究者たちです。恣意的に自分に都合の良い資料だけを集めて論陣を張っているわけではありません。しかし、彼らが導き出す結論は何故か真逆になっていくのです。

このように「歴史上の事実」は、最初から不動ものとして存在しているのではなく、それは問われることによって、そしてそれを問う研究者の視点、価値観などによって影響を受けつつ(それは必ずしも研究者自身に自覚されているわけではありませんが)、明るみになってきます。したがって「研究者」という人的要因の影響を完全に拭い去ることはできません。「歴史上の事実」を知るということは、そう簡単にはいかないのです。

  • ペーターゼンとナチズムとの関係をめぐる論争については、次の文献をご覧ください。
    佐久間裕之「ナチス政権下のペーターゼンとイエナ大学附属学校」(世界新教育学会誌『教育新世界』第61号、2013年、67-69頁)。