坂野先生:教育学研究あれこれVol.1:どのように研究テーマを決めたのか

2013.08.05

今日では多くの若者が大学の学部を終了後、大学院に進学します。理科系の場合、大学院を修了していないと、企業での研究職ポストを得ることが難しいという事情がありますが、文化系の場合はどうでしょうか。近時の報道では、専門職大学院として設置された法科大学院は、整理縮小の段階に入ったようです。教育学を専攻する者で大学院に進学することは、民間企業に就職することがかなり困難となることを知った上で進学することが必要になります。

私の場合、高校の段階で大学院に進学することを決めていたという意味で、多くの人とはかなり事情が異なっていたといえるでしょう。体があまり丈夫ではなかったため、自分で仕事のペースを決められる仕事を、と考え、研究職に就こうと考えたのが高校2年の時でした。大学入学後は専門書をあれこれと読みふけり、教育と法律の接点に面白さを見いだしました。その際、ドイツのワイマール憲法の社会権や教育に関する規定に惹かれたことがドイツの教育について研究するきっかけとなりました。

その後、ドイツの第二次世界大戦後の教育改革を、日本のそれと比較してみようと思い、英語やドイツ語の文献を読み始めました。敗戦はドイツが1945年5月、日本が同年8月です。しかし、アメリカの教育使節団は日本に先にやってきて(1946年3月)、ドイツには後から派遣された(同年11月)のはなぜか、日本とドイツの占領政策の違いは何か、といったことを調べ始めました。しかし、研究は思うようには進まず、卒業論文は満足のいくものではありませんでした。

その後、大学院の修士課程(博士課程前期)に進学し、卒業論文では不十分であったドイツの占領期の教育政策の分析を進めようと思っていたところ、指導教員となった松井一麿教授から、「時代や国が違っても頭の整理ができるような研究」を行うように指導を受けました。これまでの研究を活かしながら何をなすべきかと考え、多くの先生や先輩から助言を受け、ようやくたどり着いたのが中等教育研究でした。初等教育からの接続、普通教育と職業教育の関係、高等教育機関や労働市場との関係等、非常に多くの視点から自分の頭を鍛えることができるテーマを設定することができました。

その後およそ15年後に執筆した博士論文は、戦後ドイツの中等教育制度の研究となりました*。このテーマに行き着くまでに苦闘したことが、後から見ると「良かったな」と思えます。研究に迷いはつきものです。その分だけ、後から面白みが涌いてきます。

  • 坂野慎二(2000)「戦後ドイツ中等教育制度研究」風間書房