原田先生:こころの傷についてVol.2:学校場面でみられるこころの傷−震災関係

2014.09.30

第1回コラムで、東日本大震災後転入または入学してきた児童についての相談を書きました。どのように理解し、アプローチしていくかを考えたでしょうか?
こころの理解に正解はありません。さまざまな視点から立体的総合的に一人の児童を見ていくことが大切です。ですから、ここに述べる私の意見は、一つの意見であり、正解ではありません。皆さんが自分自身で考えることが必要なのです。

1. 具体的な相談

前回書いた相談は以下のものでした。

  1. 母親からの相談:夕方になると急に子どもが不安気な表情をし、見ている母親も涙がでてきてしまう。さらに5時の放送を聞くと居ても立っても居られない気持ちになる。
  2. 教員からの相談:時々一心不乱に階段を駆け上っていく女児がいる。声をかけても聞こえないよう。放っておいてもいいですか?
  3. 現在5年生の児童:2年前に転校したときに,放射線がついてるといっていじめられた。その後もなかなか友達ができないし、学校に行きたくない。

この相談は、どれもトラウマやPTSDと関係のある相談です。

2. 相談内容の理解と対応

(1) 夕方になったり、5時の放送を耳にすると、一般的に物悲しい気持ちになるものです。しかし不安気な表情になったり、それが母親にまで伝染していくことはありません。相談者である母親の話を傾聴するうちに、この家族は原発の影響のために帰還困難地域と指定された地域から東京に避難してきたことがわかりました。さらに、避難の放送を聞き、すべてをそのままに慌てて自宅を後にしたこと、1〜2日のつもりで着の身着のままで家を出たのに、それから約2年自宅に戻ることができなかったことがわかりました。つまり、夕方の放送は避難放送を思い出させ、フラッシュバック(その時の感覚などが一瞬にしてありありと蘇ってくること)が起きていたのです。臨床心理士である筆者ならば、「お母さん、5時の放送を聞くと、きっと避難の放送を思い出すのね。それで余計に居ても立ってもいられなくなるのではないかしら」というように解釈します(精神分析では、無意識の意味を伝えることを解釈といいます)。

(2) まず、放っておいてもいいか?という問いに対しては、せっかく気がついたのだから、放っておかずに、某か反応を返すことが大切です。教員は見て見ぬフリをしてはいけないのです。
さて、この女児の一心不乱に階段を駆け上っているという行動は、どう理解するとよいのでしょうか。子どもの中には、遊びに熱中したり、ゲームに熱中していると、声をかけても聞こえなかったりすることは多いものですが、この女児は同じ行動を繰り返しています。同じ行動を繰り返すときには、そこには無意識の意味がこめられていることが多いのです。無意識なので、本人はよくわからないけれど繰り返し行動してしまいます。意地悪な子がいて逃げようとしているのか。何か嫌なことがあるのか。行動をみながらこちらもいろいろに想像してみることも大切です。この女児は、津波被害のあった地域から東京に避難してきていました。おそらく階段を駆け上がるという行動は、津波がきて裏山や高いところに必死に逃げようとしている行動なのでしょう。本人が直接体験していなくても、近くで見たり、テレビなどで見聞きしたために、このような行動をとることもあります。これは恐怖感からくる反復行動と考えられます。子どもはこころをこのように行動や遊びで表現することも多いのです。
この児童には、「ずいぶん早く駆け上がれるね」とか「一緒に階段上ってみようか?」などと現在の行動に言及し、そのあとで、「津波がきたときも、高いところに逃げようとしていたの?」「怖くなったら先生にお話ししてね」などと本人が意識していない繰り返す行動の意味に触れてみます。意味があっていると、本人ははっとした表情をし、その行動は減少していきます(これが精神分析の治療機序である無意識の意識化なのですが、そのことは書くスペースがありません)。

(3) これはいわゆるいじめと言える相談です。教員を目指す、または教育学を学んでいる皆さんは、どう理解し対応していくかよくわかっておられるでしょうから割愛します。
風評被害も含めて、現在も福島への偏見があります。転校はそれだけでも大きなストレスです。さらに環境変化、被災体験もある児童をどのように受け入れていくか、「学校に行くのが楽しみ」と思ってもらえるような学級経営はどのようにしていくとよいか、考えてみてください。

第1回、2回は震災にまつわるこころの傷をお話しましたが、こころの傷はいろいろな傷があります。次回は、学校場面で出会う震災以外のこころの傷についてお話したいと思います。