原田先生:こころの傷についてVol.3:対象喪失

2014.10.14

コラムを執筆している最中にも、日本は広島の土砂災害、御岳山の噴火、台風の直撃など次々と自然災害に出会っています。「生きる」ということは、対象喪失(object loss)をたびたび体験し、さまざまなこころの傷を体験します。

対象喪失

対象喪失とは、「欲動、会い、依存または自己愛の対象を失う体験を言います。それは、現実の人間のみならず、幻想の中の存在、抽象的な存在、重要な象徴的な意味を持った存在、自己自身および自己の身体などについて体験される。・・(略)・・外的な対象に関する外的対象喪失と内的な対象表象に関する・・(略)・・内的対象喪失がある」(精神分析事典、岩崎学術出版社より)とされています。すなわち、対象喪失というのは具体的な近親者の死などの外的対象喪失のみではなく、自分自身の健康を失ったり、それまであった環境を失ったり、理想的に思っていた人物の違う側面を見て幻滅したり・・というさまざまな喪失が含まれているのです。大学院生くらいの年齢では、恋人との別離なども対象喪失に入ってきます。

喪の仕事 Mourning work

対象喪失を体験した際に起きる心的過程を「喪mourning」といい、その愛着依存の対象から離脱していくこころの営みをフロイトFreudは喪の仕事とよびました。死別の場合を喪の仕事、生別の場合は悲哀の仕事と区別することもありますが、精神分析の世界ではmourning workと呼ぶことが多いと思います。この悲哀の心理過程の作業についての関連した研究では、ボウルビィBowlby、キューブラー・ロスKubler-Rossの研究がありますので、一度読んでみるとよいでしょう。

学校場面でみられるこころの傷

第1回2回では、こころの傷の中でも震災に関係することを取り上げてきました。
第3回では、学校場面でみられるこころの傷についてもう少し広く考えてみたいと思います。教員の異動(転勤)を例に考えてみましょう。
通常年度がかわるときに、別の学校への異動(転勤)が決まり、元の学校に別れの挨拶をし、次の学校に異動します。ところがもし、急な事態が起き、別れの挨拶もできずに新しい学校に異動したらどうでしょう?新年度が始まり、子どもたちは,先生との再会を楽しみに登校してくると、「先生がいない」ことに気がつき、混乱します。悲しみや、怒りや、あきらめの気持ちが錯綜し、それらの感情を向けるべく対象が不在のために、湧き出てきた子どもたちの感情は宙に浮いてしまいます。
教員の異動(転勤)は致し方ないことです。つまり、生きている限り、対象喪失やこころの傷は受けてしまうものですが、その時の状況により、傷の程度はずいぶん変わってくるのです。別れは誰にとっても辛い体験ですが、しっかりとさようならをすること、別れにまつわる気持ち(情緒)を体験することが大切です。それらの体験を通して、こころは徐々に対象を失ったことを受け入れる準備ができ始めるからです。一人で体験することよりも、そこに誰かが寄り添ってくれると、体験を共有してもらえるため、受け入れることを助けます。 
また、寄せ書きをしたり、写真を撮ったり、アルバムを作ったりする作業も喪の仕事の一つです。失った人を思い出したり、その「とき」を思い出したりして、やはり失ったことを受け入れていくのです。逃げたり回避したりせずに、しっかりと子どもたちと対峙することが大切なのです。

参考文献
キューブラー・ロス 死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)
小此木啓吾 対象喪失―悲しむということ (中公新書)