玉川豆知識 No.25

NHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』の主人公と小原國芳

小原國芳は、1919(大正8)年、教育界の大御所であり、牛込原町にあった成城小学校の校長であった澤柳政太郎の招きで主事として上京した。そして、小原は成城小学校の主事として新教育運動に力を注ぎ、1922(大正11)年、成城小学校と同じ学風をもった成城第二中学校を新設、さらに東京府下北多摩郡砧村(現在の世田谷区成城町)に小学校と成城第二中学校を移転し、1926(大正15)年には旧制の成城高等学校を増設した。
特に苦労したのが砧村の土地の確保と、その資金の調達であった。
土地は、地主の鈴木久弥との交渉でなんとか確保することができたが、その資金の調達が課題であった。
そこで資金の調達と学校経営について相談するために、小原は山口県の秋吉台で不良少年感化事業を行っていた教育家の本間俊平を訪ねた。本間は、かつて加島銀行の広岡浅子から50万円の寄付の申し出を受けたが断った経緯があり、その時のお金があるはずだと言い、紹介状を書いてくれた。
すでにその時広岡浅子は亡くなっており、小原は本間から紹介された浅子の娘婿で大同生命社長である広岡恵三を訪ねる。恵三は留守であったが、恵三の妻で浅子の娘である亀子に、小原は資金提供をお願いする。金額は25万円(当時の公務員の給与が75円)。そして小原の熱意が通じ、土地購入の資金を借りることができた。
さらに、広岡と地主の鈴木久弥より、建設資金への提供として、それぞれ1万円の寄付を受けることができた。
なお、広岡浅子は、現在放送されているNHKの朝の連続テレビ小説『あさが来た』の主人公である白岡あさのモデルであり、現在の日本女子大学の設立に尽力した人物である。また、広岡恵三の神戸市東灘区の私邸があったところは、現在甲南女子大学になっている。

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参考文献
南日本新聞社編『教育とわが生涯 小原國芳』 玉川大学出版部 1977
小原國芳著『教育一路』 玉川大学出版部 1980