大学院生の研究成果 ピックアップ

本研究科(旧 脳情報専攻も含む)の大学院生が公表した学術論文をピックアップして紹介します。

ブロックおよびトライアル単位でのプロアクティブ抑制中における領域特異的な大脳皮質活動の修飾
吉田 純一 脳科学研究科【博士(工学)】2018年10月
Area-specific Modulation of Functional Cortical Activity During Block-based and Trial-based Proactive Inhibition. Yoshida J, Saiki A, Soma S, Yamanaka K, Nonomura S, Rios A, Kawabata M, Kimura M, Sakai Y, Isomura Y. Neuroscience. 2018 Sep 15;388:297-316.

人間を含め動物は状況に応じて慎重に行動を開始したり、或いはその行動の開始を意図的に遅くしたりすることができる。たとえば、横断歩道で信号を待っている状況を考えてみる。もしその横断歩道では車の飛び出しが多いといったことを事前に知っていれば、私たちは信号が青になったとしても急には渡り始めずに一度左右を確認してから歩き出すことができる。このようなある特定の行動(例. 信号が青になったら横断歩道を渡る)を状況(例. 車の飛び出しがよくあるのか否か)に応じて抑制することはプロアクティブ抑制と呼ばれる脳の重要な高次機能のひとつである。これまでもこのプロアクティブ抑制のメカニズムについてはヒトやモデル動物を使って研究がなされてきているが、いまだに神経細胞レベルでの詳細なメカニズムについてはよく分かっていない。くわえて、長期的 / 一時的といった状況変化の時間スケールの違いがプロアクティブ抑制の制御にどのように影響しているのか、といったことも知られていなかった。本研究ではこれらの問題にアプローチするために、プロアクティブ抑制の評価にも使用されるストップ・シグナル課題と呼ばれる行動抑制課題を改良してラットに訓練し、ラットがこの課題を行っている際に大脳皮質の各領域(一次運動皮質:M1、二次運動皮質:M2、後部頭頂皮質:PPC、眼窩前頭皮質:OFC)からマルチニューロン記録を行った。

【図1】実験パラダイム

今回使用した行動課題は2種類のトライアルと2種類のブロックから構成されている。go信号の提示に応じてレバーを動かすアクションをすると報酬信号とレバーの先端から0.1% サッカリン溶液が提示されるgoトライアルと、go信号の直後に報酬信号とサッカリン溶液が続けて提示されるstopトライアルという2種類のトライアルをラットに行わせた。Stopトライアルでは、ラットはgo信号に応じたレバー操作をする必要はなく、この行動を抑制して報酬のサッカリン溶液を飲むことが最適な行動制御となる。1回の課題セッション中にはgoトライアルだけから構成されるG-ブロックと高確率のgoトライアルと低確率のstopトライアルがランダムに起こるGS-ブロックが交互にくり返される。したがって、課題中の動物は、ブロック単位でstopトライアルの有無が変わる長期的な状況変化と、GSブロック中にトライアル単位で直前にgoトライアルかstopトライアルかが変わる短期的な状況変化を経験することになる。今回の課題中にラットはブロック単位で長期的に状況が変わったときも、トライアル単位で一時的に状況が変わったときにも、いずれの際にもgo信号に応じたレバー操作までの時間が遅延するというプロアクティブ抑制を示した(図1;ブロック単位およびトライアル単位のプロアクティブ抑制)。

本研究ではこの課題中に記録したニューロンから神経活動の波形特徴に基づいてレギュラースパイキングニューロン(主にグルタミン酸作動性ニューロンと考えられているニューロン群)を選び出し、課題中のイベントに応じて活動を変化させた課題関連ニューロンについてさらに詳しい解析を行った。すると、OFCニューロンの中でも特にgo信号に応じて活動を変化させる傾向のあるニューロンではブロック単位のプロアクティブ抑制中にその活動は減弱しており、一方でM1とM2のニューロンはブロック単位のプロアクティブ抑制下のレバー操作の準備段階でその活動が亢進されていた。だが、M1のニューロンは遅延されたレバー操作が実行される段階ではその活動が抑えられていた。興味深いことにトライアル単位のプロアクティブ抑制下においては、前述したOFCニューロン群の活動は活性化されており、遅延されたレバー操作の実行時にはM1とPPCニューロでも活動の活性化が見られた(図2)。これらの結果は長期的 / 一時的といった状況変化の時間スケールの違うプロアクティブ抑制が異なる神経メカニズムによって制御されていることを示している。

【図2】神経活動結果のまとめ

本研究で見られたプロアクティブ抑制下の大脳皮質各領域の神経活動の修飾をより正確に理解するためには、これらの大脳皮質領域とネットワークを構築する他の領域からの神経活動の解析が重要だと考えられる。とくに、プロアクティブ抑制には状況・文脈の判断や運動学習といった要素が強く含まれるため、これらに必要とされる大脳基底核ループや小脳の活動との関係性を調べることは必要不可欠だと思われる。今後はこれらの領域も含めた神経活動の解析を通し、神経回路レベルでのプロアクティブ抑制のメカニズムの解明を目指していきたい。