佐治量哉 研究室

佐治 量哉 農学部 准教授

発達脳科学  博士(工学)

赤ちゃんの「眠り」が拓く発達研究

2017.3掲載

研究内容

日本では1年間にどのくらいの赤ちゃんが生まれているのでしょうか。厚生労働省人口動態統計によれば、年間出生数は、近年おおよそ100万人超で推移しています。しかし皆さんはご存知でしょうか。日本で産まれてくる赤ちゃんの出生体重は、この30年で250g 軽くなり減少の一途を辿っています。そして今日、特に小さく生まれた赤ちゃん、低出生体重児(体重が2500g 未満の児)の割合は、約10%に達しています。つまり、現在産まれている赤ちゃんの10人に1人が小さく生まれていることになります。2013年のUNICEF の「レポート・カード11」においては、日本の低出生体重児率は先進31カ国中最悪であること、そして1970年台後半から倍増している特異なケースと指摘しています。この予定より早く・小さく生まれた児(在胎週数が37 週未満で出生した低出生体重児)の「眠り」が、私たちの研究室の第一の研究テーマです。

低出生体重児の発育

予定より早く・小さく生まれた児は、すべてが未熟です。このため出生後は、体温管理等を行いながら集中的に治療を行うNICU(新生児集中治療室)に入院します。その後、状態が落ち着くようになったら、できるだけ在胎期間別出生時体格標準値に近づけるように育てるGCU(治療回復室)へと移動し、退院するのが一般的です。WHO(世界保健機構)の世界保健統計を見ても、日本の新生児死亡率の低さは一目瞭然です。MFICU(母体胎児集中治療室)を含む日本の周産期医療は世界のトップレベルであるといえるでしょう。しかし、母親の子宮内環境とは全く異なる環境の保育器の中で、ある程度の期間、入院を続ける低出生体重児にとって、果たしてそこは望ましい発育環境なのでしょうか。

中枢神経系の働きを反映する「眠り」

予定より早く・小さく生まれた児の望ましい発育環境については、現在、明確な結論は得られていません。しかし、諸外国の報告によれば、低出生体重児の発育には神経学的異常や発達の遅れ、そして将来の発達障害のリスクが高いことは明確でしょう。それゆえ私たちは、このような児の中枢神経系の成熟過程を、保育器の中にいる時から継続的に調べていくことが重要であると考えています。そのために私たちは児に尋ねます。「答えは児の中にある」からです。保育器の中の児は、ほとんどの時間を眠って過ごしていますので、保育器の中での児の「眠り」こそが、中枢神経系の働きを知る手がかりになります。

研究室メンバーによる学会発表の様子1
(第1回自然保育学会、2016年9月、長野)

睡眠脳波分析が明らかにする脳の成熟度

大きな脳を持つ私たち人間は、睡眠を必要としています。睡眠状態の厳密な定義には、脳波を調べる必要があります。しかし、胎児期の中枢神経系の発達はきわめて急速で、それに伴う睡眠脳波の変化も著しいのです。それゆえ児から計測された脳波は、ごく一部のエキスパートを除き適切に判読することが難しいといわれています。そこで私たちが試みたのが、新しい視点からの睡眠脳波の時系列分析です。私たちは、赤ちゃんの脳波の計測のみならず、判読や分析までを行っています。その過程で蓄積された脳波の判読経験は、低出生体重児の睡眠脳波分析に、従来にはない脳波の振幅成分に注目する分析法の適用につながりました。具体的には、振幅成分の定常分布を情報量統計学の手法を用いて正確に同定しました。その結果、いくつかの情報統計量が極めてよく脳機能の成熟度を示す指標であることを明らかにしました。判読の経験と分析の技術がうまく結びつき、早産児の睡眠脳波から脳の成熟度と関係付けられる指標を見出すことが出来た研究はClinical Neurophysiology 誌に掲載されています。

研究室メンバーによる学会発表の様子2
(The 8th Annual Meeting of the Society for the Neurobiology of Language (SNL), Aug 2016, London)

発達が縦糸、そして

私たちの研究室では「眠り」以外にも様々なアプローチで“赤ちゃん・子ども”に迫っています。すなわち「発達」を基軸にして、「バイリンガリズム」「自己効力感」「科学遊び」など様々な興味を持った大学院生たちが、日々、キャンパス内の実験室のみならず近隣の保育園、幼稚園、小学校等に積極的に出向きながら研究を進めています。いわば、発達という縦糸に、様々な横糸を織り込んでいきながら“赤ちゃん・子ども”を学際的に理解しようと試みるのがこの研究室の特徴といえるでしょう。一方、私たちの研究室の専門性は、東京大学、名古屋大学、九州大学などの研究者との共同研究や、名古屋赤十字第二病院など臨床医療チームとの共同研究、そして発達障害に関する研究プロジェクト等への参画につながっています。発達を縦糸に織りなされる様々なタペストリーは、私たち研究室のアート(職人技)とテクノロジー(脳波)に支えられています。

どんなタペストリーを織りたいのか、その絵柄や模様が少しでもイメージできたら、是非、研究室の見学に来てください。

略歴

筑波大学大学院工学研究科修了(博士(工学))。豊橋技術科学大学工学教育国際協力研究センター、東京大学大学院教育学研究科、(独)科学技術振興機構・戦略的創造研究推進事業「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」研究員、玉川大学脳科学研究所・助教を経て、2011年より玉川大学脳科学研究所・准教授。2012年より東京大学大学院教育学研究科・教育学研究員、2016年より日本赤ちゃん学会・評議員も務める。