竹田先生Vol.9:授業力を磨く①―子どもを見つめる目―

2016.10.07

教職について数年目、説明文の研究授業に取り組んだ時のことです。一生懸命教材研究し、実践書にも目を通して出来る限りの準備を整えて授業に臨みました。授業はほぼ予定した通りに進みました。子どもたちも積極的に発言してくれて、私の普段の授業に比べれば、よりましな授業だったように思います。
しかし、授業を終えて感じたことは、充実感というより肝心な何かが欠けていたような物足りなさでした。30年以上も前のことで、授業の記憶も薄れかけているのですが、その時の満たされない思いだけは今でも鮮明に残っています。
当時は、その理由がよくわかりませんでした。教師としての経験を重ねる中で、振り返って考えてみると、決定的に欠けていたものがあったように思います。
私の気持ちが子どもに向いていなかったのです。自分がどう評価されるのか参観している先生方の目ばかりを気にしていました。子どもたちの学んでいる姿を見てもらうのではなく、私を見てもらおうという意識が強すぎたようです。
学習課題に対する子どもの思いや考えをしっかり受け止めることができていませんでした。予想していた意見が出ると思わずニコッとして板書しながら、子どものつぶやきやノートなどには目もくれず、都合のよい考えだけを取り上げ、予定した通り授業を進めようとしていました。子どもを見つめる私のまなざしは形式的なものでした。
一見活発な話し合いのように見えて、実は子どもたちは内面から深く学んではいなかったのではないでしょうか。私には授業を進める上で肝心なことが分かっていませんでした。
授業に物足りなさを感じた原因は、見栄えの良い授業を考えるだけで、子ども一人ひとりの具体的な学びの姿に目を向けられていなかった私の姿勢にあったのです。